ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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うるしの日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、即席みそ汁(長ねぎ、乾燥わかめ、とろろ昆布)、筑前煮、小松菜のわさび和え、ツナと白菜と大根のスープ煮、木綿奴、納豆、味付海苔


この時季、ツナと白菜と大根のスープ煮がけっこうハマりやすい。旬の食材だし、料理るのに手間がかからないし、味付けが簡単だし、滋養があるし、身体は温まるし、で、まったく重宝な献立である。
今回はコンソメ(固形)と塩胡椒だけで味つけたが、酒と醤油と顆粒だしとで、和風に味付けてもよろしかろう。素材が淡泊なので、和洋中その他、いかようにも味つけできる。そう云う意味でも、なかなか重宝である。
以前にも記したとおり、筑前煮の材料は、鶏もも肉、蓮根、ごぼう、人参、厚揚げ、里芋、こんにゃく、しめじ、である。
獣肉…1、野菜…3、きのこ類…1、芋類…2、豆類…1、と、なる。
素晴らしく栄養バランスが整っている。きのこ類がもう1種、野菜がもう1〜2種、あれば、云うことなしだろう。ただしその場合、2回に分けて料理らねばなるまい。それはそれで、手間なことである。
あるいは、おなじ材料を使って、別の献立を料理るか、で、ある。
わたいは基本、全食材を使って、いっぺんに料理る。だから食材があまることはほとんどないが、その代わり、筑前煮のように、その献立に必要な食材が多いと、1週間それだけになってしまう。それはそれでかまわない。上手く料理れれば、1週間昼夜おなじ献立でも、いっこうに苦にならない。
問題は、おなじ材料を使って別の献立を料理れるほどの技量も知識もないことである。少ない材料ならともかく、材料が多くなるにしたがって、むずかしくなる。里芋など、筑前煮以外の使い道を知らない。いくらわたいでも、筑前煮と里芋の煮っ転がしを一緒に料理ったりはしないのである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:19 | - | - |
うるしの日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(鶏皮のカリカリ揚げ)、筑前煮、小松菜のわさび和え、かぼちゃの煮物


麦飯のトッピングにした鶏皮のカリカリ揚げは、筑前煮に使用した鶏もも肉の皮を流用したものである。最初はわざわざ剥がすつもりはなかったが、一口大に切っていくうちに、皮だけ剥がさざるを得なくなった。棄てるのも勿体ないので、居酒屋などで提供される鶏皮の揚げ物を料理ってみよう、と、思い立ったのである。
フライパンにサラダ油を多めに引いて、鶏皮を入れるだけなのだが、これが見事に失敗してしまった。味の美味い不味いとか、食べられる食べられないとかではなく、鶏皮を入れた途端、やたらに油はねがして、手には跳んでくるわ、コンロ周辺には飛び出すわで、エライことになったのである。
油はねで油のなかの鶏皮をあやつることもできず、フライパン自体手にすることも難しく、往生してしまった。
なるほど、こうなるから、ちょっとした焼き物や揚げ物などには、衣をつけるのか、と、納得した。ひとつ賢くなった。なんでも経験である。
今度は小麦粉なりパン粉なりを付けてから、焼くなり揚げるなりすることにしよう。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:16 | - | - |
うるしの日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×1枚)、半熟卵(2個)、チェダー・チーズ、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ


今日は”うるしの日”だそうである。
Wikipediaによると、“平安時代に文徳天皇の第一皇子・惟喬親王が京都の法輪寺に参詣した時に「うるしの製法」や「漆器の製法」を虚空蔵菩薩から伝授されたという伝説から、その満願の日である11月13日を「うるしの日」に制定した”のだそうである。だれが制定したのかは不明である。別に知りたくもないが。
うるし、と、云うよりも、漆器は英語名「japan」として広く海外に知られている、と、思っていたが、Wikipediaによると、“英米の英語辞典にはjapan欄に「漆」、「漆器」の意味は載っていない”のだそうである。(Wikipedia/「漆器」より)
“漆器は日本だけでなく東アジア、東南アジア、南アジア地域、と広く見られる”そうであるが、やはり日本の伝統工芸品のひとつとして、多くの国や地域で受け入れられているようである。
美術工芸品としてはもとより、日用品の数々も興味をもたれているようで、いわゆる百均点などでも、漆器(もどき)のコーナーに多くの外国人の姿を見かけることがある。美術工芸品などもいいが、日常頻繁に使用する品物で日本製のものが受け入れられると云うのはよろこばしいことである。たんなる物珍しさではなく、ふだんの生活様式そのものの理解と受容につながる、と、考えられるからである。
もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
漆器とも陶器とも、美術工芸品とも生活様式の理解と受容とも、まったく一切金輪際かかわりあいのない、いつもながらの献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:14 | - | - |


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