ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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Sketch(走り書き)と云うよりは……?

 注)タイトルに「*」のついた記事は「ネタバレ記事」です。ご注意ください。
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「的」の有無
とある男を、「彼は女性である」とは、云えない。
しかし、とある男を、「彼は女性的である」とは、云い得る。
とある資本主義社会を、「封建社会である」とは、云えない。
しかし、とある資本主義社会を、「封建的社会である」とは、云い得る。
かように、「的」と云う言葉は、はなはだアイマイなところ──より精確に云えば、それが付着する言葉をアイマイにしてしまう作用──がある。
したがって、「的」と云う言葉が入っている場合と、入っていない場合とでは、意味合いが違ってくる、と、云うことを、念頭に入れておかなくては不可ない。
哲学書などを読む場合には、とくにそうである。
「具体」と「具体的」は違う。
「客観」と「客観的」とは違う。
「抽象」と「抽象的」は違う。
「主観」と「主観的」は違う。
「根本的」と「根本」は違う。
「本質的」と「本質」は違う。
等々、etc.……。
そのことを念頭に入れておかないと、論旨がアヤフヤになってしまう。
とりわけ注意せねばならないのは、
「論理的」と云いながら「論理」にかなっていない、
「合理的」と云いながら「理に合っていない」、
「理論的」と云いながら「理論」になっていない、
こう云ったことが、非常にしばしば、行われている、と、云うことである。


| 哲ッちゃん | コラム―哲学もどき | 22:59 | - | - |
スマホを見ながら歩いている人について
スマホを見ながら歩いている人たちについて、各人の曰く──、
Mac「いいことじゃないか。
ムシャクシャしているときなんか、わざとそいつにぶつかって、持ってるスマホを叩き落してやるんだ。
そうすれば、少しは気が晴れる。そいつのスマホが壊れでもしたら、ザマーミロ! ってなもんで、すっきりするね」
哲っちゃん「個別主観性が充満して溢れ出んとしている一現象と云える」
遊冶郎「スキだらけだから、どうぞ襲ってくださいって、言い触らしてるようなもんだな」
| Woody(うっでぃ) | 気まぐれなコラム | 22:58 | - | - |
久しぶりのひとりメシ(晩)
玉子麦飯(天かす入り)、インスタント味噌汁(乾燥わかめ、えのき入り)、どて焼き、小松菜と厚揚げの煮浸し、納豆、もずく、辛子明太子


11/20(木)〜23(日)まで、八戸に行っていた。
そのあいだは、朝、昼、晩、と、美味い飯をたらふく食った。
で、戻ってきて、ふたたび、ショボいひとりメシが始まったのである……。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:26 | - | - |
以前にも書いたとおり……
以前にも書いたとおり、11/20(木)から3泊4日で、青森県八戸市に行ってきた。
滞在中は北国らしからぬ好天に恵まれ(日中の気温15〜6℃)、快適な旅行だった。
セーターどころか、ベストも不要なくらいの陽気で、町中を歩いていると、うっすらと汗ばんでさえくる。さながら春の如き気候だった。
もっとも、暑い寒いもさることながら、彼の地は空気自体が違う。
清澄で透明である。さわやかで、「おいしい」とさえ、思う。
また、彼の地は、時の流れ方がまるで違う。時間単位、あるいは、朝、昼、夕、晩、の区切りで流れている。
分単位で暮らしている日頃の生活とは、雲泥の差である。
飯がこれまた美味い!
“ろ〜りぃの食卓”に並ぶ献立とは、(当然のことながら、)エラい違いである。

| ろ〜りぃ | 気まぐれなブログ | 20:25 | - | - |


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