2014.11.25 Tuesday
「的」の有無
とある男を、「彼は女性である」とは、云えない。
しかし、とある男を、「彼は女性的である」とは、云い得る。 とある資本主義社会を、「封建社会である」とは、云えない。 しかし、とある資本主義社会を、「封建的社会である」とは、云い得る。 かように、「的」と云う言葉は、はなはだアイマイなところ──より精確に云えば、それが付着する言葉をアイマイにしてしまう作用──がある。 したがって、「的」と云う言葉が入っている場合と、入っていない場合とでは、意味合いが違ってくる、と、云うことを、念頭に入れておかなくては不可ない。 哲学書などを読む場合には、とくにそうである。 「具体」と「具体的」は違う。 「客観」と「客観的」とは違う。 「抽象」と「抽象的」は違う。 「主観」と「主観的」は違う。 「根本的」と「根本」は違う。 「本質的」と「本質」は違う。 等々、etc.……。 そのことを念頭に入れておかないと、論旨がアヤフヤになってしまう。 とりわけ注意せねばならないのは、 「論理的」と云いながら「論理」にかなっていない、 「合理的」と云いながら「理に合っていない」、 「理論的」と云いながら「理論」になっていない、 こう云ったことが、非常にしばしば、行われている、と、云うことである。 |