ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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 注)タイトルに「*」のついた記事は「ネタバレ記事」です。ご注意ください。
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浅草仲見世記念日の日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、粕汁(鮭、鰯のつみれ、焼麩、大根、人参、白葱、白菜、蒟蒻、ニラ、もやし、貝割、薄揚げ)、菠薐草のお浸し、冷奴、納豆、味付海苔


小松菜と違って、菠薐草は冷凍保存すると、旨味が4倍増(当人比)する。小松菜もよりよくなるのかも知れないが、わたいがやってみた実感では、あまりお奨めできない。解凍すると、水っぽくなってしまうのである。調理法や冷凍保存の仕方、解凍方法などにも問題があるのかも知れない。違った方法でやれば、小松菜も味力がアップするような方法で冷凍保存できるのかも知れない。ただ、現在のところは、それを調べる気にも、やってみようと云う気にもならない。
ありがたいことに、一時高騰を来していた菠薐草の値段が、いつもどおりに下がったので、比重が小松菜から菠薐草にシフトしているのである。小松菜のほうが灰汁がなくてサッパリしているので、調理しやすいし食べやすいのだが、そこはそれ、菠薐草には菠薐草なりの味わいがある。とりわけ、この時季旬の菠薐草には。できれば大量に冷凍保存しておきたいのだが、冷凍庫の容量が小さいので、思うようにいかない。こんなとき、冷凍庫を別誂えで購入することを、本気で考えるようになるのである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:08 | - | - |
浅草仲見世記念日の日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(ピリ辛高菜)、玉子焼き(2個)、ウインナー(5本)、ブロッコリの塩昆布和え


手抜き街道まっしぐら、で、ある。
昨日の公約(?)どおり、油を使わないで玉子焼きを料理ってみた。油を使わない方が上手くできたし、容器も洗いやすかった。いままでの苦労はなんだったんだ〜、と、云うほどの苦労はしていないが、なにやらむなしい徒労感に襲われたことは否めない。
ウインナーにはたいがいケチャップをかけるのだが、仕事場に常備しておいたミニ・ケチャップがなくなり、新しいのをもっていくのを、いつも忘れている。とうとう仕事納め間近になってしまった。
ケチャップがないときは、ソースで代用している。もともとは、ケチャップ・ソースにしていたのだが、さすがに弁当でそこまでするつもりはない。どちらか一方で充分である。
それにしても、ケチャップ、と、云えば、トマト・ケチャップだが、トマト製以外のケチャップなどと云うものが、あるのだろうか?
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:04 | - | - |
浅草仲見世記念日の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ(2本)、みかん(2個)


今日は“ 浅草仲見世記念日”だそうである。
Wikipediaによると、“1885年のこの日、浅草の仲見世が新装開業した。東側に82件、西側に57件の計139件が煉瓦作りで開店した”のだそうである。
1885年と云えば、明治18年である。
それまでの太政官制が廃止されて内閣制が採用され、伊藤博文が初代総理大臣に就任し、第1次内閣を組織した年である。
フランスではルイ・パスツールが開発した狂犬病ワクチンが初めて人体に接種され、宇都宮駅で日本初の駅弁が販売された年でもある。
浅草の仲見世はこの後、“1923年9月1日の関東大震災で倒壊した後、鉄筋作りで再建された”。(Wikipediaより)
ちなみに、「仲見世」とは、現在で云うところの「商店街」のことである。“商品の中身を見せて(展示して)販売する”ところから、仲見世、と、称するようになったらしい。
“仲見世”、と、云うと、なにやら下町風情、下町情緒が感じられて、ほのぼのした感じがする。
まあ最近では、“商店街”と云う言葉も、かなり昭和の語薫を帯びるようになってはきたが。
もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
商店街とも下町風情とも、一切無縁の、いたって非文化にして非商業な献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:59 | - | - |


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