ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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Sketch(走り書き)と云うよりは……?

 注)タイトルに「*」のついた記事は「ネタバレ記事」です。ご注意ください。
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「才能」とは?
怠惰な人間が勤勉な人間の成功を評するとき、「才能」と云う。
| Woody(うっでぃ) | ちょっと一言 | 21:55 | - | - |
生命尊重の日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(ピリ辛らっきょう)、さばの塩焼き(2切)、小松菜としめじと蒟蒻の煮浸し


さばの塩焼きは、近所のスーパーで買ってきたものである。弁当の主菜がなくなると、近所のスーパーで買ってくるようになって久しい。たいていはさばの塩焼きであるが、たまに、コロッケのときもある。
焼魚や揚げ物などは、もっぱら、スーパーの惣菜を利用する。
大量の油や、グリルを使用したりなどすると、後が面倒である。
今日は“生命尊重の日”であるらしい。“生命”があるのは、人間ばかりではない。
さばもいわしも、鮭もサワラも、豚も牛も鶏も、馬も羊も猪も、みんな“生命”を有している。
蛙もいなごも(食用)ミミズも、みんな、生きている。
動物だけではない。
レタスやキャベツ、もやし、貝割、ほうれん草などの植物も、みんな生きている。
米、粟、稗、麦などの穀物、バナナ、すもも、スイカ、ブドウ、梨、リンゴなどの果物も、アーモンド、ピーナッツ、くるみなども、わかめ、もずく、ひじき、昆布などの海藻類も、みんな生きている。
それが証拠に、みんな、生育している。成長している。生命力を有している。即ち、生きているのである。
人間はそれらの生命を摂取して生きている。
思えば、罪深いものである。
草食動物ならば、草だけを食べる。肉食動物ならば、肉だけを食べる(わけではないのだが)。しかも、腹一杯になれば、みずからの生命を保持し得るだけの栄養が摂取できれば、それ以上は食べない。
人間は、それ以上を食べる。食べて、「健康のため」、「美容のため」などと称して、その成果を無駄にする。
摂取しえないほどの生命を犠牲にして、遺棄して、恬として恥じるところがない。
浅ましいことである。
我々は食事の前に合掌して、
「いただきます」
と、云う。
食事の後に合掌して、
「ご馳走さまでした」
と、云う。
これは、その食事を料理ってくれた人に対する感謝の念であるとともに、その食事が得られる幸運に対する感謝であり、そして、“生命”をいただくことに対する、贖罪の念である。
――わたしはあなたの“生命”をいただきます。許してください。そうしなければ、わたしは死んでしまうのです。
その代わり、わたしはあなたの“死”を、あなたの“生命”を、けっして無駄にはしません。
あなたの“生命”をいただいたわたしは、きっと、立派な行いをします。
あなたに対して、あなたやわたしを育む、この大自然に対して。
だから、許してください。
そんな思いが、「いただきます」の中には、篭められているのである。
篭められているのだ、と、信じたいし、少なくともわたしは、その思いを篭めて、食事前には、合掌することにしている。

なにやら辛気臭く、抹香臭い記事になってしまったが、この3連休、各地で猛暑日となるらしい予報である。
みなさまがたには、くれぐれも体調健康にお気をつけられて、愉しい週末を過ごされますように(^^)/
また来週、お目にかかりましょう!
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:12 | - | - |
生命尊重の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ(2本)、すもも



今日は“生命尊重の日”だそうである。
Wikipediaによると、「1948年のこの日、優生保護法(現在の母体保護法)が公布されたことを記念」して、「医師、法律家、教育者、主婦等で構成される『生命尊重の日実行委員会』が1984年に制定」したのだそうである。
昨今、この「優生保護法(現在の母体保護法)」に基づいて、いわゆる障害を有する人たちが、本人の意向を無視して、不妊手術を強行された、として、各地で批難の声が上がり、訴訟沙汰が展開されていることは、みなさん、よくご存知のことと思う。
本来は、母体の生命健康を維持するために制定されたのであろう法律が、いわゆる障害を有する人々から、子を産む権利を剥奪するために使用されたとは、皮肉なことである。
一世を風靡した田中芳樹氏の名傑作、『銀河英雄伝説』のなかでは、「劣悪遺伝子排除法」なる法律が存在していたことになっており、その非人道性が各所で指摘されている。
小説やアニメなどでは、その非人道性を素直に受け入れ、義憤を感じた人も多くおられたことと思うが、同様なことが、その同じ人が毎日を暮らす現在の世でも、平然と行われていたのである。
そこには、「障害は遺伝する」、「障害者は社会の役に立たない」、「障害者は肉親や周囲の人たちに苦悩を負わせ、迷惑をかけるだけである」、等々、相模原の障害者施設で起こった殺傷事件の犯人の言い分にも通じた考えがある。
我が友、遊冶郎が云ったことがある。
「あの事件(相模原障害者施設殺傷事件)に義憤を感じる人たちに訊いてみたいんだ。あなたは、いわゆる障害をもった人と、自分の子どもとの結婚を、祝福するかね? と」
別の友人は云った。
「養護学校(現在で云うところの、特別支援学校)ができることには賛成する人でも、その学校が自分の宅の近くに建てられることには反対する」
と。
もっとも、そのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
偽善ともタテマエとも関係のない、いたって真っ正直な献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 20:39 | - | - |


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