2015.01.12 Monday
成人の日
今日は成人の日である。
そんなわけで、このブログを読んでくれている新成人のきみたちに、少々、愚論を開陳する。エラそうなことを述べるから、うっとうしかったら、無視してくれていい。 成人の日は、昔は1月15日と定まっていたのだが、いつ頃からか、1月の第2月曜日、となった。 おそらく、親元地元を離れて就学就職しているきみたちたちが帰省しやすいように、と、云う、政治家諸公の配慮であろう。政治家連中も、たまには、粋なことをする。 さて、この日各地では、新成人を祝う各種の儀式が行われる。 TVなどで観ると、たいがいは、ホールや会館などに集まった新成人たちが、もっともらしいことを述べるエライさんの話を拝聴している。 しかしきみたちたちは、そんなおエライさんの話など、まともに聴いてはいないだろう。 きみらの頭を占めているのは、久しぶりに再会した、旧友たちとの語らいのひとときであろう。 それでいい。 壇上からもっともらしいことを述べている市長さんや知事さん、議員のみなさまがたにしても、職務の一環で述べているにすぎない。将来きみたちが地元に帰ってきたとき、一票にでもなれば御の字だ、と、思っているだけだろう。 いづれの日にか、きみたちが地元に帰ってきて、地域発展の一翼を担ってくれるように、とでも、思っていれば、リッパなものである。 今日はあちこちで、成人としての心がまえなどを聴かされるだろう。うっとうしいことだ。同情に堪えない。 なにしろ、大人でござい、と、ばかりにエラそうにしている世の大人たちで、きみたちが尊敬でき、目標にでき、「こんな大人になりたい!」と、思えるような大人が、はたしていますかね? 成人の日とは、ともに青春期を過ごした友だちと久々に再会し、懐かしき日々を回想し、新たな門出を祝って夢を語り合う、そんな日である。 親にとってみれば、よくぞここまで育ってくれた、と、感慨に浸る日である。 きみたちにはまだ実感できまいが、子どもを20年間にわたって育てあげると云うのは、並大抵の事業ではない。 しかし、きみたちはそんなことを知る必要はない。これからイヤでも、そのことは実感するのだから。 そのときに、親のことを思い、そのときに、親に感謝できればいい。 それよりもこの成人の日は、世の大人たちが――自分もそのひとりなのだが――、「自分は子どもたち――新成人たち――から、“こんな大人になりたい”と、思われるような、そんな大人になっているだろうか?」と、みずからを顧みる日である。 そう云う意味で、成人の日は、新成人よりは、旧成人にとって、重い意味を持つ日である。 |