2015.01.19 Monday
『三四郎』(夏目漱石)
元来胃腸は丈夫なはずなのだが、この時季は不具合をおぼえることが多い。
いわゆる、ウイルス性胃腸炎、と、云うやつである。 近所の町医者に行き、診察を待っている間に新聞を広げてみると、朝日新聞に『三四郎』が再連載されていることを知った。 朝日新聞と云えば、漱石が東京帝国大学教授への昇進を断って、職業作家として入社した会社が発行している新聞である。 若き日に、いわゆる左翼青年だったものの悪癖で、“いまなぜ、漱石か?”と、思いつつも、“漱石は時代を超えて愛読される価値がある。とりわけ『三四郎』はいい。朝日新聞も、なかなか粋なことをする。”と、思わず頬がゆるんでしまった。 漱石と云えば、『坊ちゃん』が有名であるが、『坊ちゃん』は余りに軽快で、お手軽すぎる(読み込めば、思わぬ深さがあり、その奥深さに愕然とするのだが)。 『吾輩は猫である』も読み易いが、かなり長い。(漱石の作品としては、『明暗』に比すくらいの長さである。) 『夢十夜』、『永日小品』などは読み易く、また面白いが、いまひとつ、メジャーではない。 『草枕』、『野分』、『虞美人草』などは、文章が難渋で読みにくい。ハッキリ云えば、下手なのである。 やたらに漢語を並べたような『草枕』や、俳句を連らねたような文章で、「文章に厚化粧があり、会話に厚化粧があり、構成に厚化粧がある」と評された『虞美人草』は、それゆえに、インテリには好まれる(文章が難解ゆえに、それを読んだ、と、云うだけで、自尊心が満たされるのである)が、「全くただの人間として大自然の空気を真率に呼吸しつつ穏当に生息しているだけ」の普通の人間には、はなはだ取っ付き難いものである。 その点、『三四郎』は読み易い。しかも内容が、それまでの作品から格段に進化して、円熟深味を増している。 初めて『三四郎』を読む人は、“今も昔も、青春時代と云うのは、変わらぬものだなぁ”と、思われるだろう。或る人はこの作品に描かれたような大学生活に憧れを抱き(高校時代に初めてこの作を読んだ自分がそうだった)、或る人はこの作品に描かれた大学生活から、かつて過したみずからの青春の日を思い起こすであろう(現在の自分がそうである)。 そのような思いを惹起せしめるところに、漱石の並々ならぬ力量の一片が窺い知れる。 他の万巻の、いわゆる“青春小説”なるいかなる作品よりも、この一篇の『三四郎』こそが、真の“青春小説”と呼ばれるに相応しい。 『三四郎』は、およそ我が国初の“青春小説”であるのみならず、現在なお第一等の“青春小説”なのである。 試みに、他のいわゆる“青春小説”なるものを読んでみたまえ。 なるほど、そのときそのときの風俗や現象などは、描き出されているであろう。しかし、青春の時期に生きる若者たちの心象を、かくまでみごとに描き出した小説は絶えて、ない。 赤川次郎氏も、新井素子女史も、若者の心象を見事に描き出されたとして、それぞれ一世を風靡なされたが、『三四郎』には、遥か及ばず、である。 漱石の大先輩、二葉亭四迷氏の『浮雲』も、その四迷氏の師匠、坪内逍遥氏の『当世書生気質』も、“青春小説”と云う観点からは、『三四郎』には及ばない。 鴎外が『三四郎』に刺激され、ライバル意識を燃やして『青年』を書いた、と、云うが、もしそれが事実なら、無謀も甚だしい。 鴎外ごときが漱石に対抗するなど、身の程知らずと云うものである。 現に『青年』など、じつにツマラヌ作品であった。面白かったのは、主人公の名まえ(小泉純一)くらいのものである。 鴎外の諸作品は、インテリが如何にツマラヌ、腐った心性をもっているか、インテリとはなんと惨めで、憐れな、情けない人間であるか、それをみごとに表現している。 ところが、世のバカな輩は、その鴎外を崇拝し、“文豪”などと、奉っている。 なるほど、鴎外の文章は小難しい。やたらに知識を披露したがる。だからこそ、インテリ連中には、たまらない魅力があるのだろう。漱石の『草枕』や『虞美人草』を読んで得意がっているのと同じである。 「へぇ〜、難しくて読めないの? ボクは読んだよ」 と、いう訳である。 また鴎外自身も、その諸作品で、ツマラヌ、クダラヌ、腐った心性の、どうにも救いようのないインテリを、あたかも立派な人物の如く描いている。 だからこそ、ご同様の、ツマラヌ、クダラヌ、腐った心性の、どうにも救いようのないインテリどもが、狂喜し、崇拝し、崇め奉り、“文豪”と、称しているのである。 その鴎外を、漱石とともに、“近代日本の二大文豪”などと持ち上げているのは、漱石に対する侮辱もはなはだしい。 三四郎は東京へ向かう汽車の中で、「髭を濃く生している」、「面長の痩せぎすの、どことなく神主じみた男」と一緒になる。 その男は、三四郎が 「これからは日本も段々発展するでしょう」 と、云うと、 「亡びるね」 と、云う。 熊本でこんなことを口に出せば、すぐ擲ぐられる。わるくすると国賊取扱にされる。三四郎は頭の中の何処の隅にもこう云う思想を入れる余地はない様な空気の裡で生長した。 と、漱石は書いている。 その男は、 「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」で一寸切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。 「日本より頭の中の方が広いでしょう」と云った。「囚われちゃ駄目だ。いくら日本の為を思ったって贔屓の引倒しになるばかりだ」 この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出た様な心持がした。同時に熊本に居た時の自分は非常に卑怯であったと悟った。 バカなインテリ連中は、引用した前者の、「亡びるね」と、云う箇所をもって、太平洋戦争における日本の敗戦を予言した、などと、抜かしている。 インテリなどと云う連中は、どこまでバカなのか、程度が知れない。漱石は小説家であって、予言者ではない。 それよりも、後者の引用の方にこそ、多く含むところがあるであろう。 男の言葉を聞いて、“真実に熊本を出た様な心持”になり、“同時に熊本に居た時の自分は非常に卑怯であった”と悟り得る三四郎の感性は、なんと若々しく、みずみずしいことか。 とても鴎外ごときには描写できない心性である。 三四郎は、その若々しく、みずみずしい感性をもって、東京での暮しを開始する。 その三四郎の東京での生活が、これまた、活き活きとしておもしろい。 是非一読を乞う所以である。 |