ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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孝明天皇祭の日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、粕汁(鮭、鰯のつみれ、焼麩、大根、人参、白菜、長ねぎ、玉葱、椎茸、えのき、突き蒟蒻、油揚げ、ニラ、もやし、貝割)、ほうれん草としめじのお浸し、カボチャの煮物、冷奴、納豆、味付海苔


昼の話の続きではないが、そんなわけで、粕汁だけでなく、ほうれん草としめじのお浸しにも、油揚げを入れている。
これでもか、と、云うくらいに、野菜を摂取していることは、一目瞭然だろうが、大豆食品も結構摂っている。と、云っても、油揚げ、豆腐、納豆の3種類だが。
大豆は日本が世界に誇る食材のひとつ──あるいはking of kings──である。
白人至上主義者がなんと云うか知らないが、大豆食品のよさを認めない人間は、救いがたい愚物、と、云うほかない。
かつて来日したドイツ人が、大豆を称して、“畑の肉”と呼んだことは有名であるが、栄養面から観れば、肉よりはるかにすぐれている。
その大豆が、いまや日本ではほとんど栽培されておらず、外国からの輸入に頼っているとは、まったく情けないことである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:03 | - | - |
孝明天皇祭の日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(しそ昆布)、山菜と高野豆腐の煮物、小松菜のわさび和え


小松菜のわさび和えに、すりごまをかけた。
我が私淑する川島四郎先生と、サトウサンペイ氏の対談、『食べ物さん、ありがとう』ならびにその続編、続々編を、久しぶりに読み返したら、さまざまな料理に、すりごまを振りかけて食べるとよい、と、あったのである。
とりわけ、小松菜やほうれん草などの青菜類には、よく合うそうである。青菜類には、ビタミンAが豊富に含まれているが、そのビタミンAは脂溶性で、油によく溶ける。すなわち、油炒めにしたり、油揚げと一緒に炊いたり、すりごまをかけたりするとよいのだそうである。すりごまには良質の油が多く含まれているのだそうだ。
すりごまなら、ふりかけの容器に入れて置けば、手軽に使える。
これはよし、と、云うわけで、さっそく実行してみることにしたのである。
ちなみに、昨日の菜の花の辛子和えにも、すりごまを振りかけた。
我ながら、影響されやすい性格である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:00 | - | - |
孝明天皇祭の日のひとりめし(朝)
ワッフル(4個)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ


慶応2年(1867年)の今日(旧暦では12月25日)、孝明天皇が崩御なされた。
孝明天皇と云えば、明治天皇の父親である。幕末の風雲の中で、それまで存在感のなかった朝廷が、突如、激動する政治の中心に押し出された時の天皇である。
幕末と云えば、開国に伴う尊王攘夷の風潮が吹き荒れ、朝廷の存在感が高まるとともに、徳川幕府の勢威が没落し始めた時期として印象されている。
しかしそのような時代に天皇であった孝明帝は、皮肉なことに、“佐幕攘夷”とも云うべき考えの持ち主であったらしい。
それはなにも、孝明帝が頑迷固陋であったわけではなく、当時との朝廷としては、きわめて当たり前の考えであった、と、云えるだろう。
しかしそのような孝明帝の存在が、朝廷の権威を担いで倒幕を志向していた西郷や大久保、あるいは木戸や岩倉などにとって、快かろうはずもない。
孝明帝崩御の当時から、岩倉による孝明帝暗殺なる伝説が、まことしやかにささやかれているのも、そのためであろう。
もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
政権争奪とも、暗殺とも、まるで無縁の、いたって平和で平凡な献立である。
それにしても、孝明帝崩御のその日、朝廷ではどのような食事が喫されたのであろうか。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:58 | - | - |


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