2019.03.02 Saturday
愚論〜沖縄経済史
ハッキリ申しまして、経済に関するわたしの知識は、貧弱そのものです。自慢できることではないでしょうが、自信をもって云い切れます。経済に関するわたしの知識は、貧弱そのものです。
そんなわたしでも、現在の為替レートが、固定相場制ではなく、変動相場制であることくらいは知っています。 そしてその為替レートが、円安になれば我が国の輸出産業に有利であり、円高になれば不利であることも知っています。 第二次大戦後は固定相場制でしたが、一九七一年(昭和四十六年)のニクソン・ショックにより、一九七三年(昭和四十八年)には、いわゆる先進諸国が相次いで変動相場制へと移行し、それが現在にいたっている、と、云うことも知っています。 固定相場制のときには、円とドルとの為替レートが、1ドル=360円だったことも知っています。 現在ではいくらくらいでしょうか。1ドル=100〜110円くらいでしょうか。このあたりになると、よく知りません。 しかし、もし現在の為替レートが、1ドル=100〜110円くらいだとしますれば、固定相場制の時代から見ますと、現在は3倍超の円高になっていることになります。これくらいのことは、いかに数学が苦手なわたしにも解ります。 我が国は工業資源に乏しく、国外から工業資源を輸入し、これを加工生産して輸出する、その差額で利益を得る、そうしなければ、我が国の国富は増大しない、それくらいのことも理解しています。 余談ですが、わたしの好きな小説のひとつに、『小説 吉田学校』があります。 文庫本で八部のシリーズものでして、戦後の第二次吉田内閣の成立から、一九八〇年(昭和五十五年)の鈴木善幸内閣までの経緯を綴った、政界大河ドラマ、です。 憲政史研究家の倉山満氏によりますと、「この作品は、なんども劇画化されて、今でもコンビニ漫画として売られているロングセラー」でして、「それだけに影響力は大きく、学者でも、実際の政治の世界の人でも、影響を受けていない人を探す方が難しいほど」の作品です。(『政争家 三木武夫』、講談社、2016年12月20日 第1刷発行、p.70) その『小説 吉田学校』の第六部「田中軍団」のなかに、こんな描写があります。 田中角栄氏が二階堂進氏に云います。 「経済がたいへんだよ、経済が……」、「一ドルが二百円の大台を割るまでになるぞ。そうなったら日本経済はますます不況におちいる」(『小説 吉田学校』第六部「田中軍団」、角川文庫、昭和五十六年五月十日 初版発行、昭和五十六年七月二十日 四版発行、p.117) 現在はどうでしょうか。「一ドルが二百円の大台を割る」どころの騒ぎではありません。わたしの貧弱な知識でも、1ドルは100〜110円くらいになっているのです。日本経済がどうなっているか、それはみなさまがたが日々の生活をとおして、その身をもって、痛感しておられることだろうと思います。 ですからこそ、現政府は、金融関係諸官庁、諸組織を督励して、為替レートを円安に導こうと腐心しているのでしょう。 残念ながらその功は、いまだ現象していないようですが……。 しかしわたしがここで述べたいのは、現政府ならびに金融諸官庁、金融諸組織の無能ぶりではありません。 沖縄の経済です。 みなさまご存じのように、沖縄は日本の領土です。日本の一道一都二府四十三県のうちのひとつ、ひとつの「県」です。兵庫県、青森県、島根県、福岡県、岡山県、等々とおなじ、ひとつの「県」、ひとつの自治体です。 しかしこれまたみなさまご存じのように、沖縄「県」には、沖縄「県」独自の、他の「県」にはない歴史があります。 他でもありません。それはかつての大戦時、唯一、連合軍の上陸を許さざるを得なかった県なのです。 連合軍に蹂躙された沖縄は、戦後、連合軍の占領下に置かれました。 その沖縄が日本に復帰したのは、一九七二年(昭和四十七年)のことです。 これくらいのことは、わたしでも知っています。わたしでさえ知っているのですから、みなさまがたは、とうにご存じのことでしょう。 日本がポツダム宣言を受諾して敗戦を認め、連合軍の支配下にはいったのは、一九四五年(昭和二十年)のことですから、沖縄は二十七年間、連合軍の占領下にあった勘定になります。これくらいの計算は、わたしにもできます。 本土――沖縄以外の日本の領土――も連合軍の占領下にありましたが、一九五一年(昭和二十六年)のサンフランシスコ平和条約の締結、そして同条約の批准、発効とともに、翌一九五二年(昭和二十七年)には、主権の回復、独立を果しました。 しかし沖縄は、それ以後も、連合軍の占領下に置かれたままでした。 サンフランシスコ平和条約の発効時を起点として計算しましても、沖縄は二十年間、連合国軍の占領下に置かれていたことになります。それくらいの計算は、わたしにもできます。 二十年と云えば、生まれた子どもが成長して、無事に成人式を迎える歳月です。 その二十年間が、はたして長かったのか、短かったのか、それはわたしには判りません。 とまれ、その二十〜三十年にわたって、沖縄は、連合軍の占領下に置かれていました。 そしてその間、沖縄における為替レートは、1ドル=120円でした。 当時の日本本土の3倍の円高です。これくらいの計算は、わたしにもできます。 1ドル=360円の円安為替レートが、奇蹟と云われた日本の高度成長に大きく資したことは、いまや、ある種の“神話”、“都市伝説”、と、なっています。 経済の発展にはさまざまな要因が複雑に絡み合っていますので、1ドル=360円の円安為替レートが、日本の高度経済成長に資した、とは、一概には云えないかも知れませんが、それでも大きな要因のひとつになったであろうことは、否めません。 1ドル=360円の円安為替レートが、日本の高度経済成長の大きな要因となった、と、しますれば、それでは、1ドル=120円の為替レートに固定された沖縄の経済は、どうだったでしょうか。 それだけを単純に見ますれば、その経済成長は、1/3にしかならなかったでしょう。それくらいの計算は、わたしにもできます。 高度経済成長の頃、昭和の昔、多くの男たちは会社勤めに粉骨砕身し、「モーレツ社員」、「企業戦士」などと呼ばれました。多くの女たちは、専業主婦として、そんな夫たちを支えました。 そんな時代、夫は家庭内にあって、「一家の大黒柱」と呼ばれ、あたかも国家における専制君主の如き観を呈していました。 ――だれのお蔭で食っていけてると思ってるんだ。 現在ならば爆笑を誘うそんな言葉が、笑い話にならずにすんだ時代でした。 当時は、子どもたちはもとより、成人女性でさえ、現在とは比較にならないほど、就業の門戸が狭く、独立して生計を立てることなど、思いもよらない時代でした。 平成も終ろうとしている現在、二十一世紀もその五分の一を閲した現在でさえ、女性がひとりで子どもを育て、立派に成人させることが難しい時代です。 昭和の頃なら、なおさらでしょう。 働きたくても働けない、女手一つで子供を育てようと思っても育てられない、そんな時代であり、そんな社会環境でした。 沖縄は、単純に為替レートだけで見ても、本土の1/3に抑えられ、その経済発展も、阻害されました。 そんな沖縄は、米軍基地に依存しなければ、とても立ち行かなかったでしょう。 日本も米国も、沖縄の経済を締めあげ、米軍基地の存在に依存しなければ、立ち行かないように仕向けました。そして現在でもなお、そう仕向け続けています。 あたかも、女性が一人で独立して生計を維持していけるだけの環境を整えず、男性に依存しなければ生計を樹てられないように仕向けているように。 女性が男性に依存しなければ生計を樹てられない、と、云う意見に、多くの異議が寄せられるであろうことは、いかに愚鈍なわたしでも解ります。 そんな女性ばかりではない、女手一つでも、立派に子どもを育てている女性もいる、なるほど、もっともです。 わたしの周囲にも、そんな女性は多くいらっしゃいます。 しかし考えて見てください。女性が男性に依存しなければ生計を樹てられない、そんな社会だからこそ、いわゆるシングル・マザーの問題がクローズ・アップされ、その救済策が検討されているのではないでしょうか。 女性がひとりの人間として独立できず、男性に依存しなければその生存を維持できない、それは女性に対する侮蔑であり、そうあらしめている社会は、なんと、遅れた、貧しい社会ではないでしょうか。 男性の側からしますと、女性が独立して生計を営めないようにしておいて、 ――俺が食わせてやってるんだ。 などと、そんなところでしか、男性としての値打ちを誇示しえないなどとは、なんと情けないことでしょうか。 沖縄に対しても、おなじようなことが云えます。 先述しましたように、日本も米国も、米軍基地に依存しなければ、沖縄の経済が立ち行かないように仕向けました。 そうしておきながら、沖縄の人たちが、米軍基地反対、を、掲げますと、 ――でも、基地のお蔭で生活できてる人もいるんだから。 などと、ほざきます。 “基地のお蔭で生活できている”のではありません。 “基地に依存しなければ生活できないように仕向けられている”のです。 それはまさに、女性から独立して生計を樹てる手段を奪っておきながら、 ――だれに食わせてもらってると思ってるんだ。 と吠えている昭和の親爺の姿を思わせます。 さいわいなことに、平成も終ろうとしている今日、二十一世紀もその五分の一を閲した今日、 ――だれに食わせてもらってると思ってるんだ。 などと云う言葉を吐く親爺は、嘲笑の的になっています。 同様に、 ――そんなこと云っても、基地のお蔭で生活できてる人もいるんだから。 などと云う言葉を吐く奴輩も、嘲笑の的になるでしょう。 |