ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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歩行者天国の日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、即席みそ汁(豆腐、乾燥わかめ、とろろ昆布、にら)、鶏肝の生姜煮、小松菜のわさび和え、生野菜サラダ、冷奴、納豆、味付海苔


主菜(鶏肝の生姜煮)も第1副菜(小松菜のわさび和え)も、昼の弁当のお菜と重なってしまったが、やむを得ない。
鶏肝はあまり日持ちがしないので、できるだけ早く食べ切ってしまわねばならない。保って2日、日曜に料理るので、精々が火曜まで、で、あろう。
鶏肝(あるいは、鶏肝に限らず、レバー類)は、臭味があるので嫌いだ、と、云う人もいるが、わたいはいっこうに苦にならない。
生姜とにんにく、それも、チューヴ製品ので、充分、臭味は取れる。
中には牛乳に浸したり、沸騰したお湯に潜らせて氷水につけたり、冷ました緑茶に浸したり……と、さまざまな方法があるようである。
わたいは血抜きをした後、酒、砂糖(もしくは味醂)、薄口醤油にチューヴの生姜とにんにく、で、充分である。それで別に、臭味も嫌味も感じない。
できれば内閣閣僚や経済界のお偉方などは、酒、砂糖(もしくは味醂)、薄口醤油にチューヴの生姜とにんにくの混ぜ汁で顔を洗ってから、人前に出てほしいくらいである。そうすれば、少しは臭味や嫌味も除れるだろう。欲を云えば、その混ぜ汁の風呂に入浴して欲しいのだが、そこまでは求めない。
小松菜のわさび和えは、1束=98円(税抜)だったのを、4束買ってきた。今回は瞬時の差で、菠薐草が売り切れてしまったのである。
その4束で10食分出来た。つまり、月〜金の昼と晩の分が賄えたのである。98円×4束×1.08≒423円で10食分である。と、云うことは、423円/10食分=42円30銭となる。細かく云えば、味付けに使用した、チューヴわさび、あごだしの顆粒、濃口醤油の価格も反映させるべきなのだろうが、そこまでは考えない。それを仮に、1食分70銭としても、1食あたり43円である。栄養価や食べ応えなどを勘案すれば、驚くほど廉い。試みに、どこかの外食店で、同量(あるいは半量でもいい)の、小松菜のわさび和えを註文してみれば、はたして幾らぐらいするだろう。博雅の士の教えを乞いたい。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:18 | - | - |
歩行者天国の日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(ピリ辛高菜昆布)、鶏肝の生姜煮、小松菜のわさび和え


先週は思いっ切りシンドかった。シンドかった、と、云うよりは、怠かった。いかにも梅雨時の倦怠感、湿気の多さや低気圧の重苦しさがもたらす重圧感、そんな体調と心調に支配された一週間だった。
こんなときは、精をつけねばならぬ、と、云うわけで、鶏肝の生姜煮を料理った。
鶏肝は、低脂質、高タンパクで、そのうえビタミンB群がまんべんなくふくまれており、滋養強壮、疲労回復、貧血防止、眼精疲労の緩和などに、効果バツグンであることは、これまでにもたびたび記してきたところである。
わたいが鶏肝の生姜煮を食べだしたそもそもの契機も、夏バテ予防のためであった。当時テニス部に所属していたわたいは、夏の過酷な練習を乗り切るために、鶏肝の生姜煮を食べるようになったのである。おかげで当時は、夏バテとか、貧血などとは無縁であった。
これから梅雨に入り、いよいよ体力が蝕まれていく季節、極力、世木栄養素を摂取するよう、心がけねばならない。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:15 | - | - |
歩行者天国の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、生野菜サラダ、チェダー・チーズ


今日は“歩行者天国の日”だそうである。
Wikipediaによると、“1973年のこの日に銀座から上野までの5.5kmで日本初の歩行者天国が実施されたことから”制定されたのだそうである。
もっとも、おなじWikipediaでも、「歩行者天国」の項には、“日本初の歩行者天国がどれであるかは諸説ある”と記されており、“、「歩行者天国」という名称が一般的になる前から裏通りを中心に何回か実施されており、東京では1887年(明治20年)に神楽坂(牛込区、現新宿区)の縁日で初めて実施されたと言われている”と、ある。
なお“大規模なものは1969年(昭和44年)8月6日から12日間、北海道旭川市平和通で実験的に実施されたのが始まりである”とされ、“東京都内では、美濃部亮吉知事(当時)の提唱で、1970年(昭和45年)8月2日に銀座・新宿・池袋・浅草の4地区で初めて実施され、4大繁華街の目抜き通りで、午前10時から午後5時まで車道を歩行者に開放する試みがされた”らしい。
その後、防犯、風紀の乱脈、騒音、ごみなどの諸問題の深刻化により、廃止縮小されていったが、現在もなお、一部存続はしているようである。
しかし考えてみれば、”歩行者天国”とは不思議な云い方で、道路では、歩行者が第一に優先されるべきである。それがいつしか、車両が優先され、歩行者が片隅に追いやられている。
それが歩行者の安全を蔑ろにし、あまたの交通事故が絶えない一因となっているのである。なるほど、ある意味、歩行者“天国”である。
もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
歩行者天国であろうが、歩行者地獄であろうが、まったく関係のない、いたって安全安心な、いつもながらの献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:02 | - | - |


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