ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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 注)タイトルに「*」のついた記事は「ネタバレ記事」です。ご注意ください。
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ボスの日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、即席みそ汁(油揚げ、乾燥わかめ、とろろ昆布)、肉じゃが、小松菜のわさび和え、かぼちゃの煮物、ぬた、冷奴、納豆、味付海苔


前回の失敗に鑑み、かぼちゃは別立てで煮物とすることにした。まあそれでなくても、肉じゃがにかぼちゃを入れようなどとは、いくらわたいでも最初から思いつきもしないが。
いつもはつい煮過ぎてしまい、かぼちゃがどろどろになることが多かったのだが、今回は上手くいった……ような気がする。
だしは煮干しとだし昆布でとる。それに顆粒状のあごだしを加える。かぼちゃを入れ、酒を廻し入れて強火でアルコールを飛ばす。火を弱めて、砂糖を入れる。わたいの場合、みりんは使わない。このへんは人それぞれ、その家の家風にもよろう。最後に薄口醤油を入れて蓋をする。弱火〜とろ火にして、竹串がスッと徹るようになったら出来上がりである。わたいの場合は火を止めて、蓋をしたまま5分ほど置いておく。味を滲みさせるためである。
調味料の「さしすせそ」が指す「さ」は「砂糖」なのだそうだが、わたいの場合は「酒」も含有される。
わたいが料理るものは、たいてい、だし、酒、砂糖、醤油、と、なっているようだ。
ちなみに、これも以前記したが、だしじゃこもだし昆布も、だし殻になってしまっていても、全部食べる。お大名じゃあるまいし、だしをとった後の昆布やじゃこを棄てるなどと、トンデモナイ話である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:16 | - | - |
ボスの日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(角切山椒昆布)、肉じゃが、小松菜のわさび和え、ぬた、山芋の上のオクラ


以前にも記したかも知れないが、わたいは不肖にして、長葱(白葱)を酢味噌で和えたものを特別に“ぬた”と称するのだと思っていた。他の食材を酢味噌で和えたものは、たんに○○(食材名)の酢味噌和え、と、呼んでいた(例:イカの酢味噌和え)。
それが、分葱であろうが、鱧であろうが、レタスであろうが、烏賊であろうが、酢味噌で和えるのはすべて、ぬた、なのだそうである。
元来「ぬた」と云うのが、食材を和えるための酢味噌の見た目が沼田(ヌマタ)に似ているところから名づけられた、と、あるように、別に食材が長葱(白葱)に特化しているわけではないのである。おそらく我が家では長葱(白葱)を使うことがほとんどだったのだろう。
酢も味噌も、身体に好い調味料である。いったいに和食の調味料はしごくあっさりして淡泊で、欧米や中国などのように、ねっとりベタベタと執濃くない。塩分が多いのが珠に瑕だが、素材の味を引き立てて、一段高い段階に引き上げる、すぐれものばかりである。このような日本伝来の調味料を駆使した和食をなおざりにして、舶来ものを食べ歩く連中の気がしれない、と、云うものである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 19:08 | - | - |
ボスの日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×1枚)、半熟卵(2個)、チェダー・チーズ、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ


今日は“ボスの日”だそうである。
Wikipediaによると、“1958年に、アメリカのパトリシア・ベイ・ハロスキ(Patricia Bays Haroski)が、会社を経営していた父のために、経営者と部下の関係を円滑にする日として提唱し、アメリカ商業会議所に登録されたことが始まり”だとか。“アメリカではこの日に、ボスを昼食に招待したりプレゼントを贈ったりして日頃の労をねぎらう。日本でも1988年からデパート業界が実施している”のだそうだ。
これがアメリカでどのように受け取られているのかは知らないが、現在の日本では、まず、定着しないのではないだろうか。
一部の例外を除き、部下が、日頃の労をねぎらいたい、と、思うようなボスが、そもそも存在するとは思えない。
まあ、Twitterでフォローしている人たちが所属している事務所はそうでもないようだが、それだって、いわゆる「表向き」の発言だし、日本と云う国がそもそも、ボス(上司)に対する不平不満を表立って云えない社会風土になっている。まあ、欧米だって中東だって、他のアジア諸国だって、大同小異、似たようなものではあるだろうが。
そんななかで、世間には知られなくても、こう云った“ボスの日”みたいなイヴェントがほんとにできる企業や会社、事務所、組織などは、それこそ昨今で云うところの「ホワイト企業」であろう。
ここでの「ほんとにできる」と云うのは、従業員一同が自発して企画開催運営する、と、云うほどの意味である。
ボス自身やその取巻連が“ボスの日”のイヴェントを行っても、なんの意味もない。
もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
ボスも部下も中間管理職も、まったく一切なにひとつ関係のない、いたって平穏平和な、いつもながらの献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 19:06 | - | - |


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