ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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 注)タイトルに「*」のついた記事は「ネタバレ記事」です。ご注意ください。
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デカルト
ルネ・デカルト(René Descartes、1596年3月31日‐1650年2月11日)

 さて、ベーコンの次には、卵を炒めます……、すみません、デカルトです。
 例によって、デカルトが生きた時代を年表風に記して、当時の時代背景を感得してみましょう。

【時代背景】
1300年代〜1500年代 ルネサンス時代
1517年 ルターによる宗教改革の始まり。
1524年 ドイツ農民戦争勃発。
1558年 エリザベス女王(祇ぁ紡彜А
1561年 フランシス・ベーコン誕生。
1564年 シェークスピア誕生。
     ミケランジェロ死去。
1588年 アマルダの海戦。
1590年 豊臣秀吉による天下統一。戦国時代の終了。
1593年 豊臣秀頼誕生。
1596年 デカルト誕生。
1600年 関ケ原の合戦。
     『ハムレット』執筆
1603年 徳川家康、征夷大将軍に任ぜられる。
     エリザベス女王(祇ぁ吠御。
1616年 ガリレオ 第1回異端審問。
     シェークスピア死去。
1618年 三十年戦争勃発。
1620年 ベーコン『ノヴム・オルガヌム(新機関)』(59歳)
1622年 リシュリュー(『三銃士』の敵役)、枢機卿就任。
1623年 徳川家光 征夷大将軍に任ぜられる。
1624年 リシュリュー 首席国務大臣(事実上の宰相)就任。
1626年 ベーコン死去。
1632年 ガリレオ 『天文対話』発行。
1633年 ガリレオ 第2回異端審問。
1637年 島原の乱、勃発。
     デカルト『方法序説』刊行(41歳)
1641年 清教徒革命。
     デカルト『省察』刊行(45歳)
1642年 リシュリュー 死去。
1643年 ルイ14世 フランス国王に即位。
1644年 デカルト『哲学原理』刊行(48歳)
1649年 清教徒革命終結。
     デカルト『情念論』刊行(53歳)
1650年 デカルト死去。
1651年 徳川家光死去。
1661年 ルイ14世、親政開始。

【主著】
1637年(41歳)『方法序説』刊行。
1641年(45歳)『省察』刊行。
1644年(48歳)『哲学原理』刊行。
1649年(53歳)『情念論』刊行。

 いかがですか。デカルトが生きた時代の雰囲気が、おぼろげにでもつかめましたでしょうか。
 さて、みなさんもよくご存じのように、デカルトと云いましたら、“cogito,ergo sum”(「我思う、ゆえに我在り」)と云う命題が有名です。実際、この命題によってこそ、デカルトは哲学史上にその名を燦然と輝かせているのです。
 したがいまして、ここでは、デカルトのこの有名な命題、“cogito,ergo sum”(「我思う、ゆえに我在り」)を中心にして談を進めてまいります。
 それではまず最初に、デカルトの哲学史上の位置と意義を、シュヴェーグラーの『西洋哲学史』によって、確認しておきましょう。
 引用は『西洋哲学史 下巻』、シュヴェーグラー著、谷川徹三・松村一人訳、岩波文庫、1939年11月9日第1刷発行、1958年4月5日第24刷改版発行、1989年9月5日第57刷発行によります。

【哲学史上の意義 機
p.13
「近世哲学の創始者であり父である」
 ☞ このシュヴェーグラーの評価は間違っていません。近世の哲学は、まさに、デカルトから始まるのです。デカルトの哲学を述べる、と、云うことは、近世哲学の近世哲学たる所以を述べることにほかなりません。
「これまでの哲学と絶縁してまったく新しく事をはじめたが」、「ベーコンのようにたんなる方法論的原理を提示しただけでもなく、…(略)…まったくの無前提の立場から出発して、新しい、積極的な、内容豊かな哲学原理を提示し、この原理から直ちに、一貫した論証の道を通って、その体系の根本的諸命題を導き出そうとした。」
 ☞ この「積極的な」という語は、ベーコンの方法が、“消極的な”ものであることを暗示しています。
   ベーコンの哲学史上の意義は、自然を哲学の対象から分離することにありましたが、それはあくまでも、“自然は哲学の対象ではない”と云う、消極なものにすぎませんでした。
   これに対して、デカルトの哲学史上の意義は、“哲学とは、〜である”と云う、積極なものを確立したところに存します。
「その原理の無前提と新しさとによって近世哲学に道を開いた人であり、その原理が内的に示唆に富んでいることによって近世哲学に基礎をおいた人である。」
 ☞ 「無前提」とは、それが直接に与えられたものであり、万人が否応なく認めざるを得ないもの、と、云う意味です。
   そして、そのゆえにこそ、それは、「原理」となりうるのです。
   「原理」とは、あらゆるものの拠って立つ根本であり、あらゆる事象がそれから説明される核心です。それゆえに「原理」は、それに先行するなにものもなく、それを生じさせるなにものもない、第一のもの、直接なもの、すなわち、「無前提」なもの、で、なくてはならないのです。
   「原理」が、そこから、原理自体から、なんらの展開、発展、進捗、等々をも見せないようならば、少なくとも、その「示唆に富んで」いなければ、「原理」としての意味を成しません。

デカルトが「無前提の立場から出発して」「提示」した、「新しい、積極的な、内容豊かな哲学原理」、それが、あの有名な命題、“cogito,ergo sum(我思う、ゆえに我在り)”です。
 それでは次に、デカルトがいかにしてこの命題に行き着いたか、そしてこの命題“cogito,ergo sum”とはどういうことか、それを、シュヴェーグラーの『西洋哲学史』から見ていきましょう。
【方法的懐疑】
p.14-p.15
「A 懐疑。もしわれわれが学問において堅固で恒久なものをうち立てようとすれば、われわれは最初の根拠からはじめ、子供のときからもっているあらゆる前提や想定を破壊しなければならない。一口に言えば、ほんの少しでも不確実と思われるものはすべて疑わなければならない。したがってわれわれは、感官はしばしば欺くから感覚的事物の存在を疑わなければならないだけでなく、数学や幾何学の真理をも疑わなければならない。というのは、二と三の和は五であるとか、正方形は四つの辺をもつというような命題がどんなに明白に見えようとも、われわれは、われわれ有限な存在に一般に真理の認識が与えられているかどうか、神がわれわれを誤るように創っていないかどうかを、知ることができないからである。したがって、すべてを疑うこと、いな、すべてを否定し誤りと考えることがのぞましい。」
 ☞ このデカルトの“懐疑”は、従来の“懐疑”とは、その性質をことにします。
   従来の“懐疑”は、いわば、“懐疑のための懐疑”とでも、申しますのでしょうか。“物事は、疑えば、どこまででも疑える。真理や真実など、どこにもない”、そのことを立証するための“懐疑”でした。
   それに反して、デカルトの懐疑は、「方法的懐疑」と呼ばれています。
   デカルトの懐疑が「方法的懐疑」と呼ばれるのは、それが、「原理」、「学問において堅固で恒久なもの」、「最初の根拠」を見出すための手段、すなわち、「方法」にほかならないからです。
    デカルトにとって「懐疑」とは、真理や真実が存在しないことを立証するためのものではなく、逆に、確実なる真理や真実を突き止めんがためのものなのです。
p.15-16
「B 『われ思うゆえにわれ在り』。」
「少しでも疑わしいものはすべて誤りと考えても、われわれは次の一事、すなわち、このように考えるわれわれ自身が存在するという真理を否定することはできない。」
「『われ思うゆえにわれ在り』(“Cogito,ergo sum”)という命題こそ、すべて哲学的に思索する者が見出す最初のそして最も確実な命題である。他のすべての認識の確実性は、すべての命題のうちでもっとも確実なこの命題に依存している。」
 ☞ デカルトが、「方法的懐疑」の末に行き着いたのが、この、「われ思うゆえにわれ在り」と云う命題です。
   まさに、「すべての命題のうちでもっとも確実な」命題です。
この命題ばかりは、どんな学者でも、口巧者でも、偏屈者でも、否定するわけにはいきますまい。
   この命題はまさに、「堅固で恒久なもの」であり、「最初の根拠」でもあります。
   あらゆる事象、あらゆる事物の存在を疑っても、それらを疑っている自分、その自分自身の存在すらをも疑い、否定しても、現にそうやってあらゆる事象、あらゆる事物を疑っている思惟の働き自身は、否定することはできないでしょう。
「C 精神の本性。」
「『われ思うゆえにわれ在り』という命題から、さらに精神の本質の一般的規定が帰結される。自分と異なるすべてのものを誤りと考える自分とはいったい何者であるかを吟味するとき、われわれは、われわれのうちにあるすべてのものを、われわれの人格を否定することなしに、捨象することができるが、思考だけはそうすることができない。思考はそれがそれ以外のすべてを否定する時でも、存在しつづける。したがって、拡がりとか形とか、その他物体に帰しうるものは、すべてわれわれの本性に属さず、ただ思考のみがそうである。わたしはゆえに本質的に思考する存在である。言いかえれば、精神であり、魂であり、知性であり、理性である。思考がわたしの実体である。」
p.16
「D 確実性にかんする規則。」
「わたしが明晰判明に(clare et distincto)真実と認識するもの、わたしの理性が『われ思うゆえにわれ在り』と同じ程度に争いがたい自明性をもって真実と認識するものは、すべて確実である。」
 ☞ デカルトは「すべて哲学的に思索する者が見出す最初のそして最も確実な命題」であり、「すべての命題のうちでもっとも確実」な命題である命題、「『われ思うゆえにわれ在り』(“Cogito,ergo sum”)という命題」を、「確実性」の基準にします。

 ではあらためて、デカルトの哲学史上の「立場と歴史的位置とを特徴づけている諸点を」確認しておきましょう。

【哲学史上の意義 供
p.23
「第一に、まったくの無前提という要求を出したことによって、哲学の新しい時代の創始者である。すなわちデカルトは、思考によって措定されていないすべてのもの、あらゆる与えられた真理に対して絶対の抗議を要求したのであるが、これはそれ以後ずっと近世の根本原理となっている。第二に、デカルトは、自己意識の原理、純粋に自立的な自我の原理を提示したが(デカルトは、精神すなわち思考する実体を個人的自己、個々の自我と考えた)、これは古代の知らなかった新しい原理である。第三に、デカルトは存在と思考、存在と意識との対立を提示して、この対立の媒介を哲学的課題として宣言したが、これは近世哲学全体の問題となっている。
 ☞  屬泙辰燭の無前提という要求」、「思考によって措定されていないすべてのもの、あらゆる与えられた真理に対して絶対の抗議を要求した」ことについては、ルネサンスの影響が多分にうかがわれます。ベーコンによる、実験をつうじての真実、真理の探究、確認も、同様です。
   ベーコンが実験によって行ったことを、デカルトは思惟によって行おうとした、と、云えるでしょう。
   ◆崋己意識の原理」が「古代の知らなかった新しい原理である」ことについては、異論はありません。
   また、デカルトが、「純粋に自立的な自我の原理を提示した」ことも、「精神すなわち思考する実体を個人的自己、個々の自我と考えた」ことも、肯定するにやぶさかではありませんが、その哲学史上の意義となりますと、なお一考の余地があろうかと思われます。
   デカルトが、「存在と思考、存在と意識との対立を提示して、この対立の媒介を哲学的課題として宣言した」こと、それが「近世哲学全体の問題となっている」ことについても、同様です。
   これら 銑については、【私見】の項で詳述します。
【デカルトの諸欠陥】
p.23
「しかし、これら哲学史上劃期的な諸観念の半面には、デカルト哲学は次のような諸欠陥をもっている。第一に、デカルトはその体系の内容、とくにその三つの実体を経験的にとりあげている。デカルトの体系は現存しているすべてのものにたいする抗議をもってはじまっているのであるから、それは与えられたものを与えられたものとして採用せず、すべてを思考から導き出しているかのように見える。しかし、この抗議はそれほど真剣に考えられているのではなく、一見棄て去られたように見えたものも、確実性の原理が得られると再びそのまま採用されるのである。」
p.24-25
「デカルトは、神(すなわち創られぬ実体)という観念だけでなく、二つの(創られた)実体をも、直接に与えられたものとして目の前に見出している。」
「この二つの実体が……経験的にとりあげられる」
「第二の欠陥」…「対立の両側面、思考と存在とを切り離している」
「かれはこの二つを『実体』、すなわち排除し否定しあう力と考えている。」
「精神と物体とをこのように理解すれば、両者の内面的媒介は不可能であって、人間におけるように二つの側面が一緒になり統一されているばあいでも、それは創造の強制的な行為、神の助けによってのみそうありうるにすぎない。しかもデカルトは二つの側面の媒介を要求している。」
「かれの立場の二元論が本当には克服できないところにこそ、まさにかれの体系の第三のそして主要な欠陥がある」
「自我は延長にどのように関係するかという問いにたいして、デカルトの立場からすれば、思考的に、すなわち否定的、排除的にとしか答えることができない。そこで二つの側面を媒介するものとして神の観念しか残らない。二つの実体は神によって創られたのであり、神の意志によって結合されているのであり、延長が存在するいう確実性をわたしが得るのは神の意志によるのである。かくして神は自我と延長との統一を媒介する」
 ☞ デカルトの欠陥としてシュヴェーグラーは、
    峺渋犬靴討い襪垢戮討里發里砲燭い垢觜概弔鬚發辰討呂犬沺廚蝓◆嵳燭┐蕕譴燭發里鰺燭┐蕕譴燭發里箸靴萄陵僂擦此△垢戮討鮖弭佑ら導き出しているかのように見え」ながら、「一見棄て去られたように見えたものも、確実性の原理が得られると再びそのまま採用され」ていること、「その体系の内容、とくにその三つの実体を経験的にとりあげている」こと。
   ◆崑侘の両側面、思考と存在とを切り離している」こと、思考と存在と云う「この二つを『実体』、すなわち排除し否定しあう力と考えている」こと。
   思考と存在、「精神と物体とをこのように理解すれば、両者の内面的媒介は不可能」となり、「かれの立場の二元論が本当には克服」できなくなってしまうこと。
   この三つを挙げています。
   これらにつきましても、【私見】で詳しく述べることにいたしましょう。
p.25
「デカルトの体系のこのような欠陥こそ、これに続く諸体系の基礎にあってそれらを押し進める動機をなしている」
 ☞ シュヴェーグラーによれば、デカルト以後の哲学は、「デカルトの体系のこのような欠陥」を「基礎」として、それらを是正していく過程、と、捉えられるでしょう。

【私見】
〔“cogito,ergo sum”機
 デカルトが、その“方法的懐疑”によって行き着いた真理は、“cogito,ergo sum”と、表現されます。
 日本語では、“我思う、故に我在り”と、訳されています。
 どんなに確実と思われることでも、疑えば、疑い得ないことはない。
 しかし、現に疑っているわたしの存在は、疑うことはできない。
 疑っている以上、その疑っている主体である“我”は、存在している。存在していなければ、疑うこと自体、不可能である。
 それが、“cogito,ergo sum”です。
 ですから、邦訳としては、“我疑う、ゆえに我在り”とするのが、より適当であるように思います。これは重要な点なのですが、そのことは後に述べましょう。
 とまれ、このデカルトの命題、“cogito,ergo sum”は、哲学史上に劃期を成す、重要な命題です。
 ここに、“思う”、精確には “疑う”、すなわち“思惟”の重要性が確立されたのです。“思う”のも、“疑う”のも、“思惟”の作用、“思惟”の働きです。
 思惟こそが絶対に存在するものであり、他の存在はすべて思惟に基づくのです。
 と、云いましても、思惟に基づかない、いわゆる客体として存在する事物の存在を認めない、と、云うものではありません。
 しかし、思惟されない事物などは、少なくとも、哲学においては、無意味なのです。思惟と無関係に、思惟から独立して存在する物体や事象は、なるほど、存在しはするでしょうが、それが哲学にとって、あるいは人間にとって、いえ、動物にとってさえ、なんの意味があるのでしょうか。思惟によってその存在を把握されなければ、いかなる物体も事象も無意味です。
 思惟されない事物、感取できない存在――そんなものに、なんらかの意味があるでしょうか。いえ、そもそも、考えられないものを考えたり、感じ取れないものを感じ取ったり、そんなことがはたして、可能でしょうか。
 ♪お化けなんてないさ お化けなんてウソさ
 と、云う歌があります。
 なるほど、お化けなんていないでしょう。
 しかし、お化けがいない、と、云うのは、その現存在、意識から独立した客体として存在するお化けがいない、と、云うことでありまして、思惟の上においては、お化けはちゃんと存在しているのです。
 存在しているからこそ、お化けの形像を感じ取り、お化けを怖がり、お化けについて考えたりできるのです。
 と、云えば、
「なるほど、そう云えば、お化けは存在しているだろう。しかしそれは錯覚、思惟の上でのことだ。実際には、客観の事物としては、お化けなどと云うものは、存在していない。そんなものは真の“存在”ではない」
 と、云う向きもありましょう。
 なるほど、わたしもそう思います。
 では、「愛」は? 「友情」は? 「信頼」は?
 意識外に、事物として、意識から独立した客体として存在していますかね。
 それらも、思惟がもたらした存在ではないのでしょうか。
 エンゲルスは『空想から科学への社会主義の発展』の英語版の序文のなかで、
「プディングの味は食ってみればわかる。これらの対象のうちにわれわれが知覚するいろいろな性質に応じて、われわれがそれらの対象を自分の役にたたせるその瞬間に、われわれは、われわれの感官知覚が正しいか正しくないかについてまちがいのない吟味をしているのである。」
 と、述べています。
 なるほど、プディングの味なら、食べてみればわかるでしょう。
 しかし、「愛」の味は? 「友情」の味は?
 そもそも、「愛」や「友情」が、食べられるのでしょうか?
 たしかに、「愛」や「友情」、「信頼」などの存在を確かめるとき、わたしたちは、それらの「いろいろな性質に応じて」、「それらの対象を自分の役にたたせるその瞬間に」、「われわれの感官知覚が正しいか正しくないかについてまちがいのない吟味をしている」かも知れません。
 しかし、だからと云って、それらの観念――「愛」や「友情」や「信頼」など――が、意識外に事物として存在している、意識から独立した客体として存在している、とは、云えないでしょう。
 むしろ、意識外に事物として存在していないからこそ、それらの「いろいろな性質に応じて」、「それらの対象を自分の役にたたせるその瞬間に」、「われわれの感官知覚が正しいか正しくないかについてまちがいのない吟味」をしなければ、その存在を確認することができないのでしょう。
 しかし、と、云われるかも知れません。
 そうやって、その存在を確認することができたら、それは――たとえ、「愛」や「友情」や「信頼」などと云った、観念にすぎないにせよ――、たしかに、存在している、と、云えるのではないか。
 なるほど、もっともです。
 それでは、それを確認する作業は?
 「愛」や「友情」や「信頼」、その他諸々の観念を、「いろいろな性質に応じて」、「それらの対象を自分の役にたたせ」、「われわれの感官知覚が正しいか正しくないかについてまちがいのない吟味」をするその作業――いわゆる“判断”――は、いったい、なにが行うのでしょうか。平たく云えば、判断の主体は、なんなのでしょうか。
 もちろん、わたしたちの、“思惟”にほかなりません。わたしたちの思惟こそが、それぞれの関係について、それらの関係を、「愛」や「友情」や「信頼」、等々と名付け(規定し)、それらがその名(規定)に相応しいかどうか、「われわれの感官知覚が正しいか正しくないかについてまちがいのない吟味」を為すのです。
 それぞれの関係、それらを“関係”として把握するのも、思惟の働きです。
 哲学が対象とするのは、そう云った観念――人類がその頭脳から産み出した、観念です。いわゆる唯物論哲学なるものが、空虚な、名称のみの存在であることが、お解りいただけると思います。
 デカルトはそのことを示しました。そこに、デカルトの哲学史上の意義があります。
 デカルトは、思惟こそが、確実に存在する唯一のものである、と、喝破しました。
 それが、“cogito,ergo sum”です。

〔“cogito,ergo sum”供
 “cogito,ergo sum”と云うのは、ラテン語です。
 いささか衒学めきますが、お許しください。これが意外に、重要なのです。
 ラテン語では、主語と動詞が一体となっています。つまり、主語と動詞が合わさって、ひとつの言葉となるのです。
 ですから、“我思う”の主語である“我”と、動詞である“思う”がひとつとなって、“cogito”と云う語になります。
 おなじく、“我在り”の主語である“我”と、動詞である“在り”がひとつとなって、“sum”と云う語になります。
 それが、“故に”と云う繋辞 “ergo”によって結び付けられているのです。
 この、“ergo”(ゆえに)は不要である、と、云う論は、デカルトの在世中からあったようです。
 「故に」、「だから」、「したがって」、等々の繋辞は、AとBとをつなぐのがその役割であり、さらに、Aを前提すればBが導出されることを示しています。と、云うことは、前提されるAと、導出されるBとは、異なったもの、と、なります。
 ですから、“cogito,ergo sum”は、“cogito”(我思う)を前提すれば、“sum”(我在り)が導出され、しかも、前提される“cogito”と、導出される“sum”は、異なったもの、と、解されます。
 しかしデカルトが述べているのは、そのような意味ではありません。
 デカルトにとっては、“cogito”と“sum”は、あらゆる推理、推論、理屈、過程、等々――いわゆる媒介――を要せずして、直接に結び付いているのです。
 ですので、言語表現としてはともかく、実質としては、“ergo”と云う繋辞は不要なのです。
 “cogito”は“sum”を、直接に、なんの媒介も、なんの繋辞もなしに、内包しているのです。
 さて、先述しましたように、ラテン語では、主語と動詞が一体となっています。
 日本語では、主語である“我”と、動詞である“思う”は、分離されています。
 外国語に弱いのではっきりしたことは云えませんが、おそらく、他の国語でも同様でしょう。
 “cogito”は、英語では、“I think”であり、主語である“我”=“I”と、“思う”=“think”が、分離されています。
 同様に、フランス語では、“cogito”は、“Je pense”でして、やはり、主語である“我”=“Je”と、“思う”=“pense”が、分離されています。
 デカルトはその『方法序説』をフランス語で書きました。
 当時、学問上の著作は、ラテン語で書くのが、ふつうでした。
 それをあえてフランス語で書いたのは、デカルトがその思想を、広く民衆大衆に理解してもらおうと意図していたからだ、と、云われています。
 ここにルネッサンスの影響を見る人もいます。
 “ラテン語=ローマ・カトリック教会”の権威を否定し、“フランス語=自国の、民衆大衆の言葉”を尊重する、と、云うわけです。
 しかしそのようなことは、枝葉末節、デカルト本人の意図はどうにせよ、哲学史上では、どうでもいいことです。
 なるほど、たしかに、哲学思想を一般の民衆大衆にあまねく広めるためには、小難しいラテン語によるよりも、通常の話し言葉によるフランス語を用いるほうが、好ましいには、ちがいないでしょう。
 日本語で、小難しい文語漢語の文章で書くよりも、平易な口語の文章で書くほうが理解しやすいのと、おなじ道理です。
 しかしここで重要なのは、主語と動詞が一体となったラテン語ではなく、主語と動詞が分離したフランス語で書かれた、と、云うことです。
 もっともそのことの重要性は、当のデカルトはもとより、彼に続く哲学史上の人々も、充分には理解していなかったようです。
 “cogito,ergo sum”と、表記されれば、“我”と“思う”、“我”と“在り”が一体不可分となり、“我”の存在が前提されてしまいます。
 これをフランス語で表記すると、“Je pense, donc Je suis”となり、“我”=“Je”と、“思う”=“pense”、“在り”=“suis”が分離されます。
 英語でも同様で、“I think,therefore I am”となり、“我”=“I”と、“思う”=“think”、“在り”=“am”が分離されます。
 よくは知りませんが、おそらく、ドイツ語やロシア語、中国語でもそうなるだろうと思います。
 そうなるだろう、と、云うのは、主語である“我”と、動詞である“思う”、“在り”が、それぞれ分離独立しているだろう、と、云うことです。
 これが重要なことです。
 “思う”=思考することと、その主体である“我”、“在り”=存在と、その主体である“我”が分離されているために、それらのそれぞれを、それぞれとして、独立して考えることができます。
 デカルト、そして、彼に続く哲学史上の後継者たちが誤りを犯したのは、“Je pense, donc Je suis”の主体である“Je”に力点を置いたことです。
 “Je pense, donc Je suis”の命題において、 “Je(我)”が、“pense(思う)”と、“suis(在り)”の主体であるがために、この“Je(我)”を、過大に評価しました。
 そこに誤りが生じました。
 この“Je(我)”は、捨象するべきでした。
 わたしも先に、
「どんなに確実と思われることでも、疑えば、疑い得ないことはない。
しかし、現に疑っているわたしの存在は、疑うことはできない。
疑っている以上、その疑っている主体である“我”は、存在している。存在していなければ、疑うこと自体、不可能である。
それが、“cogito,ergo sum”です」と、述べました。
 たしかに、従来の哲学史では、そのように解釈されてきました。
 しかしそれは間違いです。
 確実に存在しているのは、“Je(我)”ではなく、“pense(思う)”すなわち、思惟なのです。
  “Je(我)”を、“pense(思う)”と“suis(在り)”をつなぐ繋辞とみなしてこれを捨象すれば、“pense(思う)”と“suis(在り)”は直接に結びつきます。
 “cogito,ergo sum”の繋辞である“ergo”を捨象して、“cogito”と“sum”を直接に結びつけることによって、その意味内容がより真実に表されるように、“Je(我)”を捨象して、“pense(思う)”と“suis(在り)”を直接に結びつけることによって、哲学史上におけるこの命題の真実の意義、すなわち思惟の存在の絶対性が確立するのです。
 さらに、個別を表現する“Je(我)”を捨象することによって、“pense(思う)”と“suis(在り)”は普遍となり、思惟の存在の普遍性が確立されるのです。
 個別としての「在り」が、普遍としての「在り」に、転化するのです。

〔デカルトの功績〕
 先に【哲学史上の意義 供朖△如▲妊ルトの功績として、シュヴェーグラーは、「デカルトは、自己意識の原理、純粋に自立的な自我の原理を提示したが(デカルトは、精神すなわち思考する実体を個人的自己、個々の自我と考えた)」と、述べましたが、それは誤解です。デカルト自身、自分の発見した“cogito,ergo sum”と云う原理の重要性、劃期性には気付かなかったのではないでしょうか。
 なるほど、デカルトによって、「古代の知らなかった新しい原理である」「自己意識の原理、純粋に自立的な自我の原理」が発見され確立されましたでしょうが、それは重要ではありません。
 デカルトの意義、その哲学史上における功績は、普遍としての“pense”こそが、真実な“suis”であることを示したことにあるのです。
 そして、【哲学史上の意義 供朖で示したこと、すなわち、シュヴェーグラーが述べている「近世哲学全体の問題」、デカルトが提示した「存在と思考、存在と意識との対立」、そして「哲学的課題として宣言した」「この対立の媒介」が、そもそも存在しないことも、明らかでしょう。
 存在(“suis”)と思考あるいは意識(“pense”)は一体不可分のものであり、対立などしておらず、したがって、媒介もあり得ないのです。
 問題自体が間違っているのです。
 【デカルトの諸欠陥】△鉢、すなわち、デカルトが、「対立の両側面、思考と存在とを切り離している」こと、デカルトが「この二つを『実体』、すなわち排除し否定しあう力と考えている」こと、「精神と物体とをこのように理解すれば、両者の内面的媒介は不可能」となること、これらについても同様です。
 デカルト自身も気づいていなかったようですが、彼の見出した根本原理、“cogito,ergo sum”には、「存在と思考、存在と意識との対立」など、なかったのです。
 「思考」も「意識」も「存在」するのです。より精確に云えば、「思考」や「意識」こそ、真実に「存在」するのです。その意味では、「思考と存在とを切り離している」ことは、なるほどたしかに、「欠陥」と云えるでしょう。
 “cogito,ergo sum”と云う命題は、「思考」と「存在」が一体となっていることを示した命題なのです。

〔デカルトの欠陥〕
 【デカルトの諸欠陥】 ◆屮妊ルトの体系は現存しているすべてのものにたいする抗議をもってはじまっているのであるから、それは与えられたものを与えられたものとして採用せず、すべてを思考から導き出しているかのように見える。しかし、この抗議はそれほど真剣に考えられているのではなく、一見棄て去られたように見えたものも、確実性の原理が得られると再びそのまま採用」されていること、「その体系の内容、とくにその三つの実体を経験的にとりあげている」ことについては、なるほど、デカルトに非があります。
 デカルトは「わたしが明晰判明に(clare et distincto)真実と認識するもの、わたしの理性が『われ思うゆえにわれ在り』と同じ程度に争いがたい自明性をもって真実と認識するものは、すべて確実である。」と述べますが、その「明晰判明」とは、直接であること、すなわち媒介が存在しないことです。
 しかし、直接である、すなわち、媒介が存在しないのは、“cogito”と“sum”の関係だけであり、それゆえにこそ、“cogito,ergo sum”は、真実となり得るのです。
 デカルトは“cogito,ergo sum”と云う命題にしか存在しない直接性、無媒介性を、他のものにも及ぼそうとしました。これがデカルトの「欠陥」です。
 さて、シュヴェーグラーは、「デカルトは、神(すなわち創られぬ実体)という観念だけでなく、二つの(創られた)実体をも、直接に与えられたものとして目の前に見出している。」と、述べておりますが、デカルトが、「実体」を三つにしたのは、たしかに、欠陥です。
 「実体」は、「精神」か「物体」か、と、云う問いは、哲学にとっては問題にはなり得ません。これもまた、問いにならない、設問が間違っている、と、云えましょう。
 デカルト自身が導き出した命題、“cogito,ergo sum”は、“cogito”だけがそれ自体で存在するもの、すなわち「実体」であることを明らかにしています。
 より精確に申しますれば、「実体」であるのは、“pense”なのですが。
 “pense”はそれ自体に“suis”を含みますが、“suis”はそれ自体では存在できません。“pense”(思考)されない“suis”が存在し得ないことは、上述したとおりです。
 いわゆる唯物論(哲学)者は、精神は物体(肉体の一部である脳)から生ずるではないか、と、云います。なるほど、もっともです。しかしそれがどうしたと云うのでしょう。
 哲学にとって重要なのは、精神から物体が生じるか、物体から精神が生じるか、ではないのです。
 哲学の対象は“pense”すなわち“思う”、“疑う”であり、その主体である“思惟”です。もっと精確に云えば、“思惟”の主体、その拠って来たる基礎、“意識”です。
 デカルトの“pense”は、最も単純な、最も抽象な、最も無規定な“pense”です。
 それはあらゆる規定を内に宿した“pense”です。この“pense”は、そのなかに数多の規定――感覚、思惟、意識、思う、疑う、直観、媒介、否定、即自、対自、向自、絶対、抽象、即且対自、等々――を内在していますが、その諸規定がいまだ現象していません。諸規定は、ヘーゲルの言葉を藉りれば、即自に存在しているだけです。
 デカルトは自らが到達した哲学史上に劃期をなす原理、“cogito,ergo sum”から、いったん否定した諸事象へと逆進したために、シュヴェーグラーが指摘するように、「一見棄て去られたように見えたものも、確実性の原理が得られると再びそのまま採用される」との批難を蒙りました。
 デカルトは到達した“cogito,ergo sum”からさらに、“cogito”、より精確には“pense”の内容に、“pense”それ自体の分析に進むべきでした。
 【哲学史上の意義 供朖 ◆屬泙辰燭の無前提という要求」、「思考によって措定されていないすべてのもの、あらゆる与えられた真理に対して絶対の抗議を要求した」結果得られた命題――より精確に云えば、“pense”それ自体――が哲学の対象であること、その「内容豊かな哲学原理」、「内的に示唆に富んでいる」「その原理」の「豊かな」「内容」を、「内的な示唆」を、明らかにするのが、哲学であることを突き止めたのが、デカルトの哲学史上における最大の意義です。
 この“pense”に内在されている諸規定を現象させていくのがデカルト以後の哲学の課題であり、“pense”に内在されている諸規定が現象していく過程がデカルト以後の哲学史なのです。
 その意味で、デカルトが到達した命題は、「以後ずっと近世の根本原理となっている」のであり、デカルトは、「近世哲学に基礎をおいた人」と、称賛されるのです。
| 哲ッちゃん | 哲学のおと | 23:20 | - | - |
ヴェルラムのベーコン
ヴェルラムのフランシス・ベーコン(Francis Bacon, 1561年1月22日−1626年4月9日)

ベーコンのことをお話しする前に、彼がどのような時代に生まれ、そして死んで行ったのか、その時代背景を、年表風に記してみましょう。

【時代背景】
1300年代〜1500年代 ルネサンス時代
1517年 ルターによる宗教改革の始まり。
1524年 ドイツ農民戦争勃発。
1558年 エリザベス女王(祇ぁ紡彜А
1561年 フランシス・ベーコン誕生。
1564年 シェークスピア誕生。
     ミケランジェロ死去。
1588年 アマルダの海戦。
1590年 豊臣秀吉による天下統一。戦国時代の終了。
1596年 デカルト誕生。
1600年 関ケ原の合戦。
     『ハムレット』執筆
1603年 徳川家康、征夷大将軍に任ぜられる。
     エリザベス女王(祇ぁ吠御。
1616年 ガリレオ 第1回異端審問。
     シェークスピア死去。
1618年 三十年戦争勃発。
1620年 ベーコン『ノヴム・オルガヌム(新機関)』(59歳)
1622年 リシュリュー(『三銃士』の敵役)、枢機卿就任。
1623年 徳川家光 征夷大将軍に任ぜられる。
1624年 リシュリュー 首席国務大臣(事実上の宰相)就任。
1626年 ベーコン死去。
1632年 ガリレオ 『天文対話』発行。
1633年 ガリレオ 第2回異端審問。
1637年 島原の乱、勃発。
     デカルト『方法序説』刊行(41歳)
1641年 清教徒革命。
     デカルト『省察』刊行(45歳)
1642年 リシュリュー 死去。
1643年 ルイ14世 フランス国王に即位。
1644年 デカルト『哲学原理』刊行(48歳)
1649年 清教徒革命終結。
     デカルト『情念論』刊行(53歳)
1650年 デカルト死去。
1651年 徳川家光死去。
1661年 ルイ14世、親政開始。

【主著】
1620年(59歳)『ノヴム・オルガヌム(新機関)』(岩波文庫)
〔話のネタ〕
ベーコンの主著は、この『ノヴム・オルガヌム(新機関)』です。岩波文庫から出ていますので(絶版になっているかも知れませんが)、わりと手に入りやすいと思います。
彼の有名な、“四つのイドラ”――「種族のイドラ」、「洞窟のイドラ」、「市場のイドラ」、「劇場のイドラ」――は、この書に記されています。

【引用&注釈】
「経験すなわち観察し実験する自然研究を意識的に原理とし、しかもこれをスコラ哲学とこれまでの学の方法とにはっきり対立させた」
 ☞ と、云うよりも、ベーコンが掲げた原理が、それ自体で、スコラ哲学や、それまでの学の方法と対立するものだった、と、云ったほうがいいでしょうね。
「したがってしばしば新しい哲学の先頭におかれる。」
 ☞ 新しい哲学、すなわち近世哲学、ですね。
   スコラ哲学と訣別することによって、新しい哲学、すなわち近世哲学が始まったのです。
「諸科学はこれまできわめて歎かわしい状態にあった」
「哲学は空虚で無駄な言葉争いに没頭し、幾世紀もの間、人間生活に真に役だつような仕事や実験は一つとして生みださなかった。これまでの論理学は、真理の探究というよりむしろ誤謬の固定に役だった。これらすべては何に起因するのか。これまでの諸科学のみじめさは何に由来するのか。それは、科学がその根である自然と経験とから遊離したからである。」
 ☞ ベーコンによれば、従来のスコラ哲学は、空虚で無駄な言葉争いにすぎないものでした。
   科学の根本は、自然と経験にある、と、云うのです。
「今や、学問をもっとも低い基礎から更新し復興し改革しなければならない。今や知識の新しい地盤、学問の新しい原理を発見しなければならない。こうした学問の改革および本本治療には二つの条件が必要である。その客観的条件は、学問を経験と自然科学とに還元することであり、その主観的条件は、伝統的な学問や世論やわれわれ自身の(個人的な、および共通の)性質がわれわれに真実と思いこませている、あらゆる先入見と幻像(idola)から精神が脱却することである。この二条件がそろって自然科学の正しい方法が生れるのであるが、その方法とはすなわち帰納法にほかならない。学問の健全はまったく真の帰納法にかかっている。」
 ☞ 新たな学問は、経験と自然科学に基礎を置き、あらゆる先入見と幻像(idola)を排することにある、と、云うのが、ベーコンの主張です。
「以上の諸命題のうちにベーコンの哲学は含まれている。」
「かれの歴史的意義は、一般的に言えば、かれが同時代人の人々の眼と思考とを再び与えられた現実、まず第一に自然に向け、以前は偶然事にすぎなかった経験をそれ自身思考の対象とし、経験が必要欠くべからざることを一般に意識させたことにある。科学的な経験の原理、思考的な自然研究の原理をもたらしたのがかれの功績である。しかし、かれの意義はただこの原理をかかげたことにある。」

【私見】
ベーコンは「自然」を対象とし、「自然の解明」を課題としました。そしてその課題を解決するのに、「精緻な実験」を重視しました。
そのことによって、哲学に新たな道を切り開いた、と、云うのが、哲学史上におけるベーコンの功績として、通説になっているようです。
しかしそれは間違っています。
「自然」は哲学の対象ではなく、「自然の解明」は哲学の課題ではありません。
そのことを明確にしたのが――少なくとも、その端緒を拓いたのが――、哲学史上における、ベーコンの功績なのです。
ベーコンは、「自然」を研究の対象とし、「自然の解明」を課題とし、そのために「精緻な実験」を重視することを提唱することによって、自然哲学を自然科学に推し進めました。少なくとも、その端緒をなしました。
ベーコンの功績は、自然哲学を、哲学として、刷新したことにあるのではなく、従来の自然哲学を自然科学に押し進めることによって、哲学の対象から「自然」を分離したことにあるのです。

【余談】
ベーコン以降、彼の提唱した方法、或いは考え方――哲学風に云えば、原理――、は、他の学問分野──政治、法律、歴史、等々──にも適用されるようになりました。
実証科学の時代の幕開けです。
それは自然の分野のみにとどまらず、社会、人文の分野へも、その影響を拡げていきました。
中世にキリスト教によって、“婢”の位置にまで貶められた哲学を復活させ、古代ギリシア哲学の成果に実証科学の手法を適用することによって、哲学に新たな地平を切り拓いたのが、近世哲学の功績です。
近世哲学が切り拓いた哲学の「新たな地平」とは、かつて哲学の対象であったものに実証科学の手法を適用することによって、それらを哲学の対象から分離したことです。
そうして哲学は、その対象をしだいに絞られていき、哲学本来の対象を獲得するようになるのです。
近世以降の哲学史とは、哲学が自己本来の対象を獲得していく過程、と、云っても、過言ではないかもしれません。
| 哲ッちゃん | 哲学のおと | 21:25 | - | - |
エンゲルス批判
エンゲルスは『空想より科学へ――社会主義の発展――』の英語版の序文の中で、次のように述べています。

「不可知論者」は云う。
「われわれのすべての知識はわれわれの感官をつうじてわれわれが受け取る情報にもとづくものである」
「われわれの感官が、この感官をつうじてわれわれが知覚する対象の正しい描写をわれわれにあたえるかどうかということを、われわれはどのようにして知るのか?」
「自分が対象やその性質について語る場合にはいつでも、実際にはこれらの対象や性質のことを言っているのではなく――これらのものについてはなにごとも確実には知ることができない――、ただそれらのものが自分の感官に生じさせた印象のことを言っているだけである」

「こういう議論のすすめ方は、疑いもなく、たんなる論証によってはうちやぶることはむずかしいと思われる。しかし、論証のあるまえに行動があった。」
「プディングの味は食ってみればわかる。これらの対象のうちにわれわれが知覚するいろいろな性質に応じて、われわれがそれらの対象を自分の役にたたせるその瞬間に、われわれは、われわれの感官知覚が正しいか正しくないかについてまちがいのない吟味をしているのである。」

ここでエンゲルスが「不可知論者」と云うとき、だれを念頭に置いているのかは判然としませんが、少なくとも、カントでないことだけは、確かなようです。
 カントが述べているのは、“我々が確実に認識し得るのは、我々が経験し得る範囲内だけでのことであって、我々の経験の範囲外にあること――神の存在やその永遠不滅、世界の始元とその終末、魂の不滅と消滅、等々――については、我々にはこれを知ることができない。”と、云うものです。
 カントが我々の認識し得る領域を我々の経験し得る領域に限り、それ以外の領域――カントのいわゆる「可想界」――は、我々には認識し得ない、と、厳密かつ明確に区分したことは、哲学史上に画期をなす、大いに意義のある成果でした。
このことによってカントは、哲学から経験科学を追放し、純粋に哲学の領域を明瞭にしたのです。
しかしカント自身は、その意義を正しく認識することはなかったようです。
彼が明確にした哲学の領域は、彼にとっては、認識不可能な領域だったのです。
カントはその領域における認識を放棄し、そこに神の定言命令――あらゆる人が逆らうことの出来ない、「かくせねばならない」、「かくあらねばならない」と、云う、道徳的規範――を、見出そうとしました。
エンゲルスはこのカントの成果から後退しています。
しかも、甚だしく、後退しています。
ここでエンゲルスがまとめている見解は、不可知論者のそれと云うよりも、懐疑論者のそれに近いようです。
不可知論者は、少なくとも、経験世界における認識の正しさを退けてはいません。
「対象や性質」と、「それらのものが自分の感官に生じさせた印象」とが一致する可能性を、不可知論者は否定していないのです。
その一致を、あるいはその不一致を、いかに論証するか、それが不可知論者たちを後継する哲学者の課題でした。
その課題は「疑いもなく、たんなる論証によってはうちやぶることはむずかしい」課題です。
エンゲルスはその課題を、「論証のあるまえに行動があった。」「プディングの味は食ってみればわかる。」と、述べて、解決しようとしました。あるいは、解決したつもりになっているようです。
しかしこれは問題の解決ではなく、問題のすりかえです。
「論理の筋道」を、「議論によって打ち破る」べきであるのに、エンゲルスは、「この論理の筋道」を、「議論によって打ち破る……困難」から、逃避しています。
エンゲルスのこの態度は、古代ギリシアの時代、キニクの徒であるシノペのディオゲネスが、有名なゼノンのパラドックス(「アキレスは亀に追いつけない」、「飛んでいる矢は静止している」)に対する反論として、無言のまま立ち上がって、あちらこちらと歩き廻った、と、云う逸話を思い出させます。
このことについて、ヘーゲルは次のように述べています。
「つまり彼は、それを行動によって反駁したのである。けれども、理論の闘争には理論に基づく反駁のみが有効である。我々は感性的確実性に満足すべきでなく、概念的に把捉すべきである」
エンゲルスもヘーゲル哲学から出発したようですが、ヘーゲルの『哲学史』は、読み落としていたようです。あるいは読んでいても、忘れてしまったのかもしれません。それとも、エンゲルスがこの稿を書いた頃には、ヘーゲルの『哲学史』は、出版されていなかったのでしょう。あるいは、出版されていても、手に入らなかったのかも、しれません。
とまれ、ここで、エンゲルスが、哲学を放棄していることはたしかです。
“プディングとはなにか”を規定しようとしているときに、“食べてみればわかる”と云うのですから、その滑稽は容易に看取されます。
それがプディングであるか、そうでないかが、その味で決定されるのだとしたら、それがプディングであるか、そうでないかを知るためには、あらかじめ、プディングの味を知っていなければなりません。
と、すれば、その人はすでに、プディングのなんたるかを、知っていることになります。
プディングとはなにかをすでに知っている人に、プディングとはなにかを説明するのは、それも、「概念的に把握」させようとするのならまだしも、「食ってみればわかる」と云うのは、いかにも滑稽ではありますまいか。
プディングを食べたことのない人間にプディングを食べさせて、
「これがプディングだよ」
と、云っても、その人はプディングのなんたるかを知ることはないでしょう。
エンゲルスは“プディングとはなにか”と云う問題を、“プディングの味”の問題にすりかえています。
事象を思惟によって把握するのが哲学です。
エンゲルスは――少なくとも、ここでは――哲学を放棄しています。
経験世界の事象だけに限定しても、プディングならばそのものを差し出し、食べさせてみることも可能でしょうが、これが例えば、「愛」ですとか、「友情」ですとか、「無限」、「善」、「空間」、「絶対」とかでしたら、エンゲルスは、どのように説明するのでしょうか?
食べさせてくれるのでしょうか?
哲学は、これらの経験世界における諸規定などよりも、もっと抽象された概念を取り扱います。
そうなると、エンゲルスは、とても太刀打ちできないでしょう。
第一、プディングならば食べられるかもしれませんが、ストリキニーネとなると、そうはいかないでしょう。
それともエンゲルスは、ストリキニーネの味は食べてみればわかる、と、云って、食べてみるのでしょうか?
| 哲ッちゃん | 哲学のおと | 11:03 | - | - |
デカルトとベーコン
cogito,ergo sum(我思う、ゆえに我有り)――デカルトの有名な命題である。
この命題は、「思考」と「存在」の同一を表現したもの、と、思われている。
しかしそれは間違いで、この命題の重要な点は――、
「思考“する”」と「存在」の同一、つまり、“運動”がすなわち“有”である、と、云うことを、表現したところにある。

多くの人々が指摘しているように、“cogito,ergo sum”の“ergo”は不要である。
“cogito”は“sum”と同じであり、“ergo”による接続を必要としない。
“cogito”はすなわち“sum”であり、“sum”はすなわち“cogito”である。
デカルトによって、思惟の働きこそが根本存在(有)であることが、明確になった。
思惟こそが有であり、思惟の働きこそが有の動きであり、思惟の働きすなわち有の動きこそが、哲学の対象である。

デカルトから、近代哲学が始まる。
この命題によって、思惟による思惟の把握、と、云う、哲学の根本が明確にされた。


同じ頃、ヴェルラムのベーコンは、感覚による事物の把握に重点を置き、実験を重視した。
人間が対象を把握するのは感覚によってであるが、感覚は不確かで、対象の把握に際して、誤ちを犯すことが少なくない。その誤りを正し、精確に対象を捉えるためには、実験が重要である、と、ベーコンは考えた。

実験こそが、感覚による事物の把握に確実性を与える、実験によって、感覚が事物の把握に際して陥る誤謬を排除し得る、と、考えたのである。

ベーコンによって、自然哲学に新たな道が拓り開かれた。
自然哲学は発展し、自然科学となった。
ベーコンの功績は、自然哲学であったものを、自然科学へと発展させる道程を拓り開いたことによる。
自然の事物や現象を対象とする学を哲学から切り離したことが、――少なくとも、そのきっかけをつくったことが、――ベーコンの哲学史上における偉大な功績である。

哲学の対象から自然が分離され、思惟は自分自身がつくりだしたものを対象とするようになった。
さらに思惟は、自分自身でつくりだしたものをも、自分自身から分離して、個々の学問、科学として、確立していくようになる。
すなわち、国家組織の在り方(国家学)、国家統治の手法(政治学や法律学)、芸術による表現(芸術学、美学)、さまざまな人間の営み(歴史学)、信仰心(宗教学)、心の働き(心理学)、等々、である。
現在われわれが社会科学、人文科学、自然科学の名のもとに総括しているあらゆる学問分野が、哲学から分離された。
そして残ったのが、思惟とその働き、それ自体を対象とする学、哲学である。


| 哲ッちゃん | 哲学のおと | 11:38 | - | - |
やっぱり……
『形而上学』を読み続けることにする。
全集編纂の際に『自然学』を『形而上学』の前に置いたくらいだから、『自然学』が『形而上学』の前提になっているのだろう、と、思っていたが、かならずしも、そうではないらしい。
『自然学』の訳注などには、けっこう、形而上学の何処其処を参照、などと、書いてある。
どちらが先、と、云うこともあるまいが、やはり、『形而上学』を読み終えてから、『自然学』に取組むことにする。
| 哲ッちゃん | 哲学のおと | 13:46 | - | - |
アリストテレスの……
アリストテレスの『自然学』が届いた。
古本である。現在岩波書店から新版が順次刊行中であるが、『自然学』がいつ刊行されるのか、不明であるし、ちょうど手頃な価格で売っていたので、註文したのである。
『形而上学』を読んでいる途中だが、いったん中断して、明日から、『自然学』を読むつもりである。
| 哲ッちゃん | 哲学のおと | 22:48 | - | - |
ヘーゲル『哲学史』
ヘーゲル『哲学史』上巻(岩波書店)を読んでいる。
順調に行けば、明日には読み終わる。
これを読み終えたら、アリストテレスの『形而上学』(岩波文庫)を読む。
このふたつを主にして、古代ギリシア哲学を整理する。
来年には取り掛かれるだろう。
当面はソクラテス以前、タレスからアナクサゴラスまでをやる。
もっとも、先々どうなるかは分からない。気が変わることも大いに有り得る。いまのところの予定である。
| 哲ッちゃん | 哲学のおと | 22:24 | - | - |
『大論理学』(上巻の一)読了
昨日、『大論理学』(上巻の一)を読了した。
いわゆる「有論」の「質」に該当する部分である。
「有論」は『大論理学』の、と云うことは、ヘーゲル哲学の核心をなす部分であり、エッセンスが凝縮されているところである。
ヘーゲル哲学の理解にとって、最も重要なところである。
しかし、逸脱や混乱、先走りなども多く見られる。
それらの――謂わば――“贅肉”を削ぎ落とし、スッキリとした論理の体系として把握するには、そうとうな思惟の力を必要とする。
その力があるかないか、それはやってみなければ分からない。
「泳ぎをおぼえるためには、まず、水の中に入らなければならない」のである。
| 哲ッちゃん | 哲学のおと | 15:01 | - | - |
『エンチュクロペディー』読後感
『エンチュクロペディー』を読み終えた。
基本、論理学(いわゆる『小論理学』)部分の、とくに「有論」部分の考え方が全体を貫いているように思われる。
個々の規定概念がどのように生じてくるかをもう少し注意して読めば、なお面白くなるだろう。
不完全で不徹底かもしれないが、その意図の壮大さには瞠目せざるを得ない。
| 哲ッちゃん | 哲学のおと | 15:45 | - | - |


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