ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

Blog(日記)と云うよりはEssay(随筆)
Essay(随筆)と云うよりはSketch(走り書き)
Sketch(走り書き)と云うよりは……?

 注)タイトルに「*」のついた記事は「ネタバレ記事」です。ご注意ください。
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ハロウィンの日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、インスタント味噌汁(もやし、ニラ、カットわかめ)、茹でブロッコリ&茹で人参、小松菜と油揚げの煮浸し、納豆、茄子の辛子漬け、味付海苔


茹でブロッコリ&茹で人参は、いったん茹でて冷凍保存しておいたものである。解凍しすぎで、少しくベチャついてしまった。
小松菜と油揚げの煮浸しも、ちょっとベチャついている。味はまあまあだったのだが……。
茄子の辛子漬けは、母者が料理ったものを、実家から貰ってきたものである。これだけで丼一杯分食べられるくらい旨い。もったいないことである。
自分で云うのもなんだが、ハロウィンの前週にカボチャの煮物を料理り、ハロウィンの日にはない、と、云うのが、いかにもわたいらしい。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:23 | - | - |
ハロウィンの日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(しそかつおにんにく)、豚肉の味噌漬け、ほうれん草と白菜のごま和え


アメリカ産のとんかつ用ロースが廉かった(105円/100g)ので、予定にはなかったが、買ってしまった。
ほうれん草と白菜のごま和えは、定番中の定番である。これから旬を迎える食材でもあり、栄養も豊富なので、調法な野菜である。
豚肉にはにんにく(あるいは玉葱)、と、云うわけで、しそかつおにんにくをトッピングにした。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 10:01 | - | - |
ハロウィンの日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜と果実のジュース、バナナ(2本)


今日は云わずと知れた、ハロウィンの日である。本来は秋の収穫を祝い、悪霊を追い祓う、古代ケルト人の風習が起源と考えられているお祭りである。キリスト教の行事ではない。
現在の主にアメリカ合衆国では、カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れ、お菓子をもらったりする行事になっている。
これが日本では、一大仮装(コスプレ)イヴェントの日になっている。
ヴァレンタイン・デーと云い、クリスマスと云い、日本に流入してくると、その本来の意味がまったく消失し、全然ちがうイヴェントになるのだからおもしろい。
まぁ、それはそれでいいのじゃないのだろうか。なにもかも、欧米を追随する必要もない。
そのうちダイエットも、“ラマダン”と、称するようになるかもしれない。
もちろんそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
カボチャもなければ、お菓子もない。いたって変り映えのしない、いつもの献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 10:00 | - | - |
ちょっといい言葉 其の七〜どうしてくりょう三分二朱
「どうしてくりょう、三分二朱」

聞くところによると、江戸時代、十両盗んだ者は、無条件で打首の刑に処せられたそうである。
九両三分二朱は、十両にわずかばかり足りない。そのため、すんなりと打首には出来ず、面倒な手続きを要したらしい。
そこで――
「どうして九両三分二朱なんて、ハンパな金額を盗んだんだ。十両だったら、なんの苦労もなく、打首に出来たのに」
と、関係の役人は悔しがり、「この下手人、どうしてくれよう」という思いと、「どうして九両…」という思いが入り混じって、冒頭に記した、「どうして九両(金高の“九両”と、“くれよう”のなまった“くりょう”の掛け詞)三分二朱」と、なったわけである。
| 築山散作 | ちょっと一言 | 20:04 | - | - |
徳川慶喜の誕生日の日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(ピリ辛きゃら蕗)、鶏ささ身の味噌漬け、小松菜と厚揚げの煮浸し


すっかりお気に入りになった鶏ささ身の味噌漬けと、以前からお気に入りの小松菜と厚揚げの煮浸しである。
お気に入り、は、いいのだが、この小松菜と厚揚げの煮浸し、弁当に入れると、下手をすると、汁が洩れて困る。先日も少しくこぼれ落ちていた。充分に水切りはしているはずなのだが、欲張って入れすぎるのと、厚揚げに煮汁が浸み込んでいるのとで、かくのごとくなる次第である。
今日は徳川慶喜の誕生日だそうだが、彼は豚肉が好きで、その頃豚肉を食べる習慣のなかった日本人(彼を快く思わなかった側近たち)から、陰で“ブタ一”などと、嫌悪されていたそうである。
現在の日本人から見れば、気の毒な話であるが、今日のわたいの弁当のおかずも、豚肉ではなく鶏肉なのだから、あまり関連性は見当たらない。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 10:21 | - | - |
徳川慶喜の誕生日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜と果実のジュース、バナナ(2本)


今日は10月28日(旧暦では9月29日)は、徳川江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜の誕生日である。徳川幕府最後の将軍、と、云うことは、日本史上最後の将軍、と、云うことでもある。なお、ここで云う”将軍”と云うのが、“征夷大将軍”であることは、云うまでもなかろう。延暦16年(797年)、坂上田村麻呂が任ぜられて以来、およそ千七十年にも及んだ征夷大将軍の歴史は、彼を以て幕を閉じることになるのである。
長州の桂小五郎をして、“権現様(家康)の再来”と云わしめたほどの人物であったが、時勢には必要とされなかったものとみえる。
徳川江戸幕府の幕を引き、明治維新政府が成立すると、彼の人生も幕を閉じたかのように思われがちだが、じつは大正2年(1913年)の11月まで存命し、76歳の長寿(当時としては)を全うしたのである。
昨日薨去なされた三笠宮崇仁親王殿下がご誕生になる、2年前のことであった。
もちろん、そのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関係もない。
慶喜は晩年、「ケイキさま」と呼ばれて親しまれたそうであるが、ケーキもわたいの食卓には上らない。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 10:14 | - | - |
テディベアズ・デーの日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、インスタント味噌汁(もやし、ニラ、カットわかめ)、カボチャの煮物、小松菜と厚揚げの煮浸し、納豆、ピリ辛らっきょう、味付海苔


残っていたピリ辛らっきょうを片付けた。
最初は小松菜と厚揚げの煮浸しに油を引きすぎた、と、思っていたが、そうでもないようだ。
舌が慣れてきたのか、味が浸みて変化したのか、詳しいことは解らない。
なんにせよ、食べられれば、それでいいのである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:46 | - | - |
テディベアズ・デーの日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(山葵昆布)、鶏ささ身の味噌漬け、ほうれん草と白菜のごま和え


最近すっかりお気に入りの、鶏ささ身の味噌漬けである。
お気に入り、と、云う割には、あまり料理っていないように思われるかも知れないが、ここ最近は料理自体していなかったのだから、なにも鶏ささ身の味噌漬けだけ料理っていなかったわけではない(イバれた話ではないが……)。とまれ、お気に入りは依然として、お気に入りなのである。
ほうれん草と白菜のごま和えの量が、いささか多かったかもしれない。しかし、青野菜は積極に摂るべきであるのである。この考えは、いささかも変わらない。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 09:28 | - | - |
テディベアズ・デーの日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ(2本)


今日は第26代アメリカ合衆国大統領、セオドア・ルーズベルトの誕生日であり、それにちなんで、テディベアズ・デーだそうである。
セオドア・ルーズベルトがテディベアとどんな関係があるかと云うと、当Blogの「ちょっと一言」→「セオドア・ルーズベルト2」をご覧いただきたい。
ちなみに、わたいの食卓に並ぶ献立が、セオドア・ルーズベルトにも、テディベアにも、なんらの関係もないことは、もちろんである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 09:21 | - | - |
O.K.牧場の決斗の日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、インスタント味噌汁(もやし、ニラ、カットわかめ)、カボチャの煮物、小松菜と厚揚げの煮浸し、納豆、味付海苔


なんか、ダイエット料理、精進料理、病院食、みたいである。
ダイエットはしていないし、卵やニラ、煮干しがあるので、精進料理でもないし、病院食でも魚くらいは付くだろう。
まぁ、和食である、とは、云えるだろう。
ちなみに、今日はO.K.牧場の決斗の日”だそうだが、われわれも日常よく使う(?)O.K."とは、All Correct”を、発音どおりに誤って綴り、その頭文字をとって略した言葉らしい。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:53 | - | - |
O.K.牧場の決斗の日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(しそかつおにんにく)、さばの塩焼き(2切)、ほうれん草と白菜のごま和え


さばの塩焼きは、例によって、近所のスーパーで買ってきた惣菜である。同じ品でも、「20%引」の値札シールが貼ってある方に手が伸びてしまうのは、当然と云うものだろう。
しそかつおにんにくがだいぶ小ぶりなので、多めに入れてみた。おかげで彩りは鮮やかになったような気がする。
なお、今日は「O.K.牧場の決斗の日」なのだそうで、当Blogの「今夜もしねま☆と〜く」中にある、『荒野の決闘』も、ぜひ、ご覧いただきたい。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 09:22 | - | - |
O.K.牧場の決斗の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ(2本)


1881年(明治14年)の今日、アメリカ合衆国はアリゾナ州トゥームストーンの町で、史上に残る有名な銃撃戦が起こった。のちにO.K.牧場の決斗として知られることになる、ワイアット・アープたち保安官組と、クラントン一家を中心とするカウボーイズと呼ばれる一組との銃撃戦である。
我らが映ちゃんによれば、この事件はじつに数々の映画に描かれているそうで、なかでも有名なのが、『荒野の決闘』(1946年)、『O.K.牧場の決斗』(1957年)、『トゥームストーン』(1993年)、『ワイアット・アープ』(1994年)の4本だろう、と、云うことである。
もちろん、この銃撃戦と、わたいの食卓を飾る献立とには、なんらの関連もない。
それにしてもO.K.牧場(精確には、“牧場”ではないらしいのだが)へと向かうその日の朝、アープ兄弟やドク・ホリデイたちは、どんな献立の朝食を喫したのだろうか?
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 09:20 | - | - |
世界パスタデーの日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、インスタント味噌汁(もやし、ニラ、カットわかめ)、小松菜と厚揚げの煮浸し、カボチャの煮物、納豆、味付海苔


どうにも動物性タンパク質の少ない献立である。もう一品、魚か肉の一皿が欲しい。
野菜も4種類である。最低5種類、できれば7種類は野菜を摂りたい。
しかしそうなると、いかにも食べ過ぎである。味噌汁を自分で料理ればいいのだろうが、いまのところ、そんな気力はない。調子が出てきたら、考えてみることにしよう。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:44 | - | - |
世界パスタデーの日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(ピリ辛きゃら蕗)、牛肉コロッケ(2個)、ほうれん草と白菜のごま和え


牛肉コロッケは、近所のスーパーで買ってきた惣菜である。「午後6時以降に作りました」と貼ってあった割には廉かった。結構なことである。
ほうれん草と白菜のごま和えは、やはり砂糖が少なかったようだ。砂糖の摂り過ぎは健康に悪かろうが、砂糖の少ないのも、文字通り、味気ないようだ。そのへんの加減の難しさが、すなわち、和食料理の難しさでもあるのだろう。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 09:27 | - | - |
世界パスタデーの日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ(2本)


今日は世界パスタデーであるそうな。
パスタなぞ、年に何回も食べない。何年かに1回、食べるか、食べないか、である。第一、“パスタ”などと、気取った云い方がキライである。
スパゲッティ、マカロニ、等々でいいではないか。ペペロンチーノ、カルボナーラ、ボンゴレ、など、料理名を述べればそれですむ。
どうもバブル華やかなりし頃に“パスタ”なる語を憶えたせいか、軽佻浮薄浅薄至極の悪印象がある。パスタ自体に怨みはない。
そんなわけで、わたいの食卓に、パスタは無縁である。
今日もいつもどおり、相も変わらず相変わらずの献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 09:25 | - | - |
約半月ぶりのひとりめし(晩)
玉子麦飯、インスタント味噌汁(カットわかめ、もやし、ニラ)、ほうれん草と白菜のごま和え、小松菜と厚揚げの煮浸し、カボチャの煮物、納豆、味付海苔


お久しぶりです! 帰ってまいりました!?
冗談はさておき、じつに約半月ぶりのひとりめしである。もちろん、その間、複数で食事していたわけではない。なんやかやあって、料理なるものから遠ざかっていたのである。
で、じつに久しぶりに料理ってみると……やはりカンが失われているものと見える。
ほうれん草と白菜のごま和えは水っぽく、しかも砂糖が少なかったようだし、小松菜と厚揚げの煮浸しは、油が多すぎたようだ。心なしか、カボチャの煮物も、味つけが薄いような気がする……。
やはり気を抜いて、手を抜いていると、当たり前のように思っていたものも、失われてしまうものと見える。犒兮海藁呂覆蝓匹箸蓮△茲云ったものである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:39 | - | - |
念のため、の、老婆心
多くの人が誤解しているようなので、念のために申しあげるが――
(宇宙戦艦)ヤマトが旅立って行ったのは、戦うためではなく、放射能除去装置:コスモクリーナーDを手に入れるためである。
| 映ちゃん | 気まぐれなブログ | 23:52 | - | - |
秋来ぬと……
――今年は、夏の暑さが、10月中頃まで続くでしょう。
その予報は見事に的中し、10月も下旬になって、ようよう秋らしくなってきたようである。
この異常気象には、さすがの気随気儘、傍若無人の執筆者一同も、すっかりバテてしまっている。
いや、正確に云うと、すっかり生気を奪われてしまっているのである。
おかげでろ〜りぃは料理もせず、Macは研究を放っぽりだし、散作は読書はしても批評せず、哲ちゃんは“こんな暑さでは頭が働かない”と称して休養を決め込み、映ちゃんも右へ倣え、遊冶郎でさえがその毒舌を鈍らせてしまうと云うテイタラク……。
そろいもそろって情けない連中であるが、叱咤激励してムリヤリに書かせてみたところで、こんな有様では、ロクなものが書けるはずもない。
そう思って慎んできたが、ようやく気候も落ち着き、秋らしくなってきたのにつれて、さしも怠惰な連中にも、ようやくヤル気が生じてきたようである。
とは云え、いきなり急に、と、云うわけにもいかないだろうから、もうしばらくは辛抱して、様子を見るつもりである。
勝手を申しあげて心苦しいが、読者諸賢におかれましても、いま少しく御辛抱いただき、なにとぞ長い目で見守っていただきたく、編集担当者として、切にお願い申しあげる次第である。
| Woody(うっでぃ) | 投稿者より | 20:41 | - | - |
ちょっといい言葉 其の六〜むさしの
日本酒を呑むときの盃、そのなかでも特大の大盃を「むさしの」と云った。
現在はどうか知らないが、昔の「武蔵野」は、それこそ、見渡す限りの大平原であったそうな。
そこから「武蔵野」=「野、見尽くせぬ」=「呑み尽くせぬ」と云うわけで、大盃のことを、「むさしの」と云うようになったのである。
| 築山散作 | ちょっと一言 | 20:17 | - | - |
元始、文学者は……
平塚らいてう風に云うと、
――元始、文学者は歌手であった。
それは洋の東西を問わない。『イーリアス』や『オデュッセイア』は云うに及ばず、『ギルガメッシュ叙事詩』も、『マハーバーラタ』も『ラーマーヤナ』も、『シャルルマーニュ伝説』も、『古事記』や『日本書紀』も、そのもともとは、だれかがだれかにその内容を語ることによって――おそらくは節(現在で云うところの“曲”)をつけて――、拡まっていったのだと思われる。

われわれに身近なのは、『平家物語』であろう。琵琶法師(日本の吟遊詩人)の爪弾く琵琶の音曲に乗せて、平家の栄枯盛衰が語られる。
これこそ、元始の、文学と音楽とのありかたである。

歴史のなかで、あらゆる製作物の製作過程が細分され分業されていったように、“物語”もその担う役割が細分され、分業されていった。
まず、語られる内容と、それに付随していた節(曲)が分離した。
前者の役割を担ったのが、詩人、小説家、俳人、歌人となり、後者の役割を担ったのが、音楽家と呼ばれた。
そして、語られる内容の創造と、その表現が分離した。
前者は劇作家、作曲家、作詞家、等々と呼ばれ、後者は俳優、奏者、歌手、等々と呼ばれた。
しかし共通しているのは、そこにあるのが“物語”である、と、云うことである。
“物語”とは、読んで字の如く、“物”を“語る”のである。
ここで云う“物”とは、波乱万丈の、あるいは紅涙袖を絞る、もしくは夏なお寒きをおぼえさせる、いわゆる“ストーリー”である。あるいは“これはこうである”と云う、主張である。
“語る”と云っても、ただのんべんだらりと喋るのではない。
節をつけ、抑揚を工夫する。それは文字になっても同じで、それが“文体”と呼ばれる。現に我々は、小説家の文体を評して、“○○節”などと云う。
司馬遼太郎氏の文体を「司馬節」と云い、松本清張氏の書き方を「清張節」などと云う。
あるいは、“○○調”などとも云う。
海外の文学などでは「ヴィクトリア調」であるとか、「ハードボイルド調」などと云う。“節”も“調”も、音楽の用語である。
元始、文学と音楽とは、一致していた。
その現代の形態、現代の吟遊詩人とも云うべき存在が、シンガーソングライターである。

2016年のノーベル文学賞は、ボブ・ディラン氏に贈られた。
おそらく全世界の人々は、意外の念をもってこの報せを受けたことだろうが、如上のことどもを思い合わせてみるならば、今回の授賞は、まことに当を得たもの、“文学”と云うものの原点に回帰した選考である、と、云えないだろうか。
| 築山散作 | 気まぐれなコラム | 20:22 | - | - |
死刑廃止論の根拠
死刑廃止の件について、世上、様々な意見が闘わされているようだが、自分としては、どちらに与する、と、云うこともない。
なるほど、ごもっとも、と、廃止論にも、存続論にも、いちいちうなづいているのだから、定見のないこと、おびただしい。
ただ自分としては、各界著名の諸氏の、舌端火を噴かんばかりの死刑廃止論よりも、ズシン、と、胸にこたえた、死刑廃止論の根拠がある。
それは――『裸の銃を持つ男』と云う、アメリカのコメディ映画に出てくる場面である。

この映画のラスト近く、主人公のドレビン警部補は、情熱ほとばしるあまりの行き過ぎ捜査――これが、“ダーティ・ハリー”こと、ハリー・キャラハン刑事なら、シリアスなのだが、あいにくこの映画の主人公、フランク・ドレビン警部補となると、ドタバタのコメディとなる――がたたって、引責辞任のやむなきにいたる。
上司や同僚たちが“心配そうに”見守るなか、ドレビン警部補は、次々と、自分のデスクを整理していく。
ふとひとつの抽斗を開けて、一葉の写真を取り出すと、その写真を感慨深そうにながめ――、
「こいつらも不幸なヤツだよ」フン、と、鼻を鳴らすと「この俺に捕まったばっかりに、死刑になった……。二日後に、真犯人が捕まった」
| 映ちゃん | 気まぐれなコラム | 22:31 | - | - |
死刑制度廃止、賛成!
Webのニュースによると、今日(2016年10月7日)、日本弁護牛連合会(日弁連)は、4年後の2020年(平成22年)までに死刑制度を廃止して、終身刑の導入を検討することを宣言したそうだ。(http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&id=4230786&from=home&position=1)
これによって、「今後は死刑廃止を訴える活動が活発になる可能性がある。死刑存廃の議論に影響を与えそうだ。」と、記事は結ばれている。

ボクらの仲間内でも、たまに話のネタになるが、ボクは死刑制度の廃止には賛成だ。
死刑制度など廃止して、仇討の制度を復活させればいい。
犯罪被害者やその遺族、関係者の心情に寄り添ってみれば、犯人を“自分の手で”殺してやりたい、と、思うのは、当然じゃないか。
どうしても死刑制度を存続させたい、と、云うのなら、せめて、その死刑の執行は、当該事件の被害者の遺族や関係者にやらせるべきだ。
まさか、“憎い犯人は殺してやりたいが、自分の手は汚したくない”などと思う、犯罪被害者の遺族や関係者はいないだろう。
いやいや、“手を汚す”などとは、思うまい。
極悪非道、冷酷無残、卑怯卑劣で、死に値する犯人の生命を絶つ、と、云うのだから、さしずめ、崇高にして偉大、尊敬に値する神聖な行為を成就したときのような、神々しくもきよらかな、清々しく、さわやかな心もちがするに違いない。
したがって、仇討の制度を復活させるべきである!
百歩譲って死刑制度を存続させるにしても、犯罪被害者の遺族や関係者による死刑の執行、それこそが、犯罪被害者や、その遺族、関係者に配慮した、適正なる法の運用と云うものであろう。
| 遊冶郎 | 気まぐれなコラム | 20:38 | - | - |
ちょっといい言葉 其の五〜こなから
更に関西では、「こなから」と云う言葉もある。
一升の半分、五合のマスのことを「なから」と云う。その半分のマスが「こなから(小なから)」である。五合の半分=二合半(二号はん)だから「こなから」と云う訳である。
| 築山散作 | ちょっと一言 | 20:14 | - | - |
川柳発祥の日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(ピリ辛きゃら蕗)、鶏ささ身の味噌漬け、小松菜と厚揚げの煮浸し


鶏ささ身の味噌漬けが若干多かった。と、云うことは、前回(10/5-水)は少なかった、と、云うことである。
みそ床に隠れているので、丁度半々になるように取り出すのはむずかしい。
おかげでワリを食ったのが、小松菜と厚揚げの煮浸しである。1食分全部は入りきらず、若干余ってしまった。仕方ない。今晩か、明日にでも片付けよう。
さて、明日からは3連休である。みなさまにもいろいろとご予定がおありのことと思う。
うっでぃはじめ、われわれも大いに張り切って、大いに充実した3連休にしてみせる、と、豪語し合っているが、はてさて、どうなることやら……。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 09:15 | - | - |
川柳発祥の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、バナナ(2本)


1757年(宝暦7年)の今日、柄井川柳が「川柳評万句合」を初めて開催した。
川柳と云えば、最近は「サラリーマン川柳」通称サラ川が有名で人気があるようである。
ワビのサビの風流のとやかましくなく、肩が凝らず気軽に愉しめ、軽妙洒脱、ときに寸鉄人を刺し、ときに苦き笑いを誘う。現代流に云うと、“江戸期のサブ・カル(チャー)”と、云っても、過言ではあるまい。
現在世界を席巻している“クール・ジャパン”、“サブ・カルチャー”は、なんと江戸時代から、その魂を育まれていたのである!
日本らしい高雅で伝統のある娯楽(サブ・カルチャー)として、大いに隆盛してもらいたいものである。
もちろんそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
“神無月 彼女も無しに ひとりめし”
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 09:10 | - | - |
ガルマ・ザビ国葬の日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、野菜サラダ(レタス、キャベツ、胡瓜、トマト、もやし、ニラ…青じそドレッシング)、カボチャの煮物、冷奴、ぬた、納豆、味付海苔


完全な夏仕様の献立である。今年は夏仕様の献立に切替わるのが、だいぶ遅かった。まぁその分、気候の方も、なかなかに、秋の訪れ、とは、行っていないのだから、それはそれでいいだろう、と、ひとりで納得している。
それにしても、ふと、思ったのだが、ジオン公国の人々は、ガルマ・ザビの国葬のこの日、どんな食事をしていたのだろう?
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:52 | - | - |
ガルマ・ザビ国葬の日のひとりめし(昼‐弁当)
麦飯(しそかつおにんにく)、豚肉生姜焼き、小松菜と厚揚げの煮浸し


昼のおかずは、定番の豚肉の生姜焼きである。
こればかりは、失敗したことがない(ハズである)、自信の献立である。
もっとも、他人が食べてみて、旨いと感じるかどうか、食べられるかどうか、に、関しては、あまり自信はないが……。
豚肉の栄養を効率よく摂取するには、玉葱が欠かせない。また、にんにくにも、玉葱と同じ効用がある。
今回はしそかつおにんにくの大盤振る舞いである。従来のものよりも粒が小さいうえに、買ってからだいぶ日数が経っているため、早めに消費しよう、と、云うのである。
おかげで、いつになく、色目華やかな弁当になった!?
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 11:07 | - | - |
ガルマ・ザビ国葬の日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、バナナ(2本)


U.C.0079年の今日、ギレン・ザビによる大演説が、地球圏全域に放送された。
サイド3の首都ズム・シティにて開催されたガルマ・ザビの国葬に際しての追悼演説であったが、その内実は、国民の戦意を高揚せんがための、アジ演説であった。

「なぜガルマは死んだのか!?」

「……ボウヤだからさ」

このセリフ、いくたび繰り返し、繰り返し、つぶやいてきたことか。
また、あらゆる媒体で、何度引用されてきたことか。
懐かしき名セリフ、である。
もちろん、ギレンの大演説も、ガルマの国葬も、わたいの食卓に並ぶ献立には、なんらの関連もない。
トマト・ジュースがなくなっているのを忘れていた。

「なぜトマト・ジュースはなくなったのか!?」

「……飲んだからさ」

| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 11:06 | - | - |
レモンの日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、野菜サラダ(レタス、キャベツ、胡瓜、トマト、もやし、ニラ…ごまドレッシング)、カボチャの煮物、冷奴、ぬた、納豆、味付海苔


ドレッシング以外は、毎晩同じ献立である。
1日だけ、麦飯ではなく、白御飯であっただけである。
晩食だけで、8種類の野菜を摂取している。昼も入れれば、9種類/日である。
とにかく、野菜とタンパク質だけは、シッカリ摂らねば!
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:45 | - | - |
レモンの日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(山葵昆布)、鶏ささ身の味噌漬け、小松菜と厚揚げの煮浸し


白飯は慥かに美味いが、どうも身に合わぬ贅沢をしているような気分になって、そこはかとない罪悪感をおぼえる。
やはり麦飯のほうが落ち着くようである。
鶏ささ身の味噌漬けも、久しぶりのような気がする。しかしよく考えてみれば、残暑がキビシイの、八戸行があるの、旅行疲れだの、と、なんのかんのと言い訳て、ほとんど料理をしていなかったのだから、すべての献立が久しぶりだろう。
小松菜と厚揚げの煮浸しは、しばらく薄揚げ(油揚げ)を使っていたので、厚揚げを使うのは、これまた、久しぶり、である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 10:30 | - | - |
レモンの日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、トマト・ジュース、バナナ(2本)


1938年(昭和13年)の今日、詩人高村光太郎氏の妻智恵子さんが亡くなった。
亡くなる数時間前に、彼女がレモンをかじった情景を詠んだ歌「レモン哀歌」は、詩集『智恵子抄』のなかでも、白眉の出来である。昔は国語の教科書にも掲載され、わたいの大好きな詩の一編でもあった。と、云うより、これほどの悲しみと、愛情と、美しさに満ちた詩は、時の古今、洋の東西をあまねく捜し求めても、滅多に見出せるものではない。この「レモン哀歌」と「樹下の二人」だけでも、『智恵子抄』を読む価値はある。
もちろん、そのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
レモンもないし、レモンに関連した飲食物──塩麹レモンだとか、レモン・ティーすら、ない。
相変わらずの献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 10:29 | - | - |
またまた画像が……
“ろ〜りぃの食卓”(くどいようですが、“ひとりめしのコーナー”ではありません)の画像が一杯になってきたので、管理者の(脅迫を伴った)強い要望により(?)、100枚ほど消去しました。
したがいまして、6月22日以前の記事には、写真が添付されていません。悪しからず、ご了承ください。
その代わり、と、云ってはなんですが、同名のWebsite(HP:「ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち」http://rolly2015.jimdo.com/)の、同名のblogのほうは大丈夫ですので、ぜひそちらもご覧くださいm(__)m
| ろ〜りぃ | 投稿者より | 22:19 | - | - |
大隅良典氏、ノーベル生理学医学賞受賞の翌日のひとりめし(晩)
玉子御飯、野菜サラダ(レタス、キャベツ、胡瓜、トマト、もやし、ニラ…クリーミーオニオンドレッシング)、カボチャの煮物、冷奴、小松菜と厚揚げの煮浸し、ぬた、納豆、味付海苔


どうもカボチャの煮物は煮すぎたようである。カボチャがボロボロする。
ぬたは心もち長く、また、こちらは湯掻き時間が足りなかったようだ。
弁当のお菜に持って行ったブリの煮付けもそうだが、この二品も、料理り方のコツは分った、と、思っていたものである。分った、と、思いこんでいても、じつは分っていなかった、と、云うことは、なにも学問の分野だけに限られたことではないらしい。
だからこそ、モンテーニュだったかの、“Que sais-je?”と云う言葉は、現在なお名言たり得ているのだろうし、またそれだからこそ、なんどでも反復練習することに、意味があるのであろう。
ちなみに、小松菜と厚揚げの煮浸しは、弁当のお菜の余りもの、である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:00 | - | - |
大隅良典氏、ノーベル生理学医学賞受賞の翌日のひとりめし(昼-弁当)
白飯(ピリ辛きゃら蕗)、ブリの煮付け(2切)、小松菜と厚揚げの煮浸し


久しぶりに、ブリの煮付けを料理った。たいてい料理ってきたから、と、レシピを確認しなかったのが不可なかった。
入れるべき調味料(砂糖)を入れ忘れたのである。もっともその代替りと云ってはなんだが、味醂を入れたので、それほどヒドイ味にはなっていない……ハズである。少なくとも、わたいの舌に違和感はなかった。文字通り一味違っていて、これはこれでイケる。
小松菜と厚揚げの煮浸しも久しぶりである。久しぶりだとどうも味付けが濃くなる傾向がある……。もっとも、さほどヒドイ味でもなかった。
白飯──いわゆる銀シャリ、これまた、久しぶりである。やはり旨い。こんな美味しい御飯が腹一杯食べられるようになったとは、日本もゆたかになったものである嬉しい
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 10:33 | - | - |
大隅良典氏、ノーベル生理学医学賞受賞の翌日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、トマト・ジュース、バナナ(2本)


昨日、本2016年のノーベル生理学医学賞が、東京工業大学名誉教授の大隅良典氏に授与されることが発表された。大隅氏の受賞によって、3年連続で日本人がノーベル賞を受賞すると云う偉業が達成された。ちなみに授賞理由は、「『オートファジー』のメカニズムの解明」によるそうだ。(for his discoveries of mechanisms for autophagy.)
なんのことやらサッパリ解らないが、なんにしても、めでたいことには違いない。
日本人の、日本での研究成果が、世界中で評価される、と、云うのは、嬉しいことである。これに、「日本人が認めた」と云う形容がつくと、なお嬉しい。
恥をさらすようだが、わたいはこれまで、氏のお名前も、したがって、その研究についても、なんら知るところがなかった。
それが氏がノーベル賞を受賞なされた途端、あたかも知人であるかのごとく、これを喜び、もてはやすのだから、我ながら、軽薄と云おうか、ミーハーと云おうか、いささか忸怩たる思いなきにしもあらず、で、ある。
ちなみに、日本では、「医学生理学賞」と表記するが、精確には「生理学医学賞(Nobel Prize in Physiology or Medicine)」である。
もちろん、そのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関係もない。
バナナが2本に増えたのは、氏の受賞を祝してのことではなく、単にいつもの店で、いつもの値段(百円)で、いつもの倍買えた、と、云うだけのことである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 10:09 | - | - |
東西ドイツ再統一の日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、野菜サラダ(レタス、キャベツ、胡瓜、トマト、もやし、ニラ…イタリアンドレッシング)、カボチャの煮物、冷奴、ぬた、納豆、味付海苔


1990年の今日10月3日、第二次大戦後、東西に分裂していたドイツが再統一された。あれからもう26年もの歳月が流れた。ベルリンの壁が崩れ、東西のドイツの統一が成ったときには、他国のことながら、大いに喜び、祝福したものである。
あの頃は、まさか生きている間に、ベルリンの壁が崩れ、東西ドイツが統一され、ソビエト社会主義共和国連邦が崩壊し、自民党と社会党の連立政権が発足するなどとは、夢にも思わなかったものである。
“事実は小説よりも奇なり”とは、使い古された言葉であるが、この言葉の真実味を身に沁みて感じたことは、この頃を置いて他にはない。
まさしく事実は、どんなSF作家の想像をも遙かに超えて、現象して見せたのである。
もちろん、そのことと、わたいの食卓を飾る献立とには、なんらの関連もない。
どんな貧困な想像力の持ち主でも、容易に想像できるであろうような、献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:01 | - | - |
伝えよう! 戦争の悲惨さ
よく標題に掲げたようなことが云われます。8月の間だけは。
世人のいわゆる“戦争の悲惨さ”なるものが、じつは“敗戦の悲惨さ”であることは、我々の仲間内では、共通理解になっていることなのですが、ここではそのことはさておきまして――――

世人はよく、“戦争の悲惨さを風化させてはならない”、“戦争の悲惨さを子どもや孫たちに伝えなくてはならない”などとのたまいますが、まったく、お笑い草です。我々はそう云うのを指して、“偽善”と、云っています。

おや、お怒りになられましたか?

よろしい。“戦争の悲惨さ”なるものを、本当に、真から、心から、孫子に伝えようと思ったら、手っ取り早い方策が、ひとつだけあります。

それは――――

学校給食の献立を、終戦直後に、みんなが食べていたのと、同じものにすることです。
そして、学校の制服を、終戦直後に、みなが来ていた服と同じものにすることです。

できますかね? できやしないでしょう?
なんだかんだ云っても、みんな言葉の上っ面だけなんですよ。
“戦争の悲惨さを語り継がねばならない”なんて、云ってもね。

先にも記しましたように、これはぼくらの仲間内では、“戦争の悲惨さ”ではなく、“敗戦の悲惨さ”なんですが、その“敗戦の悲惨さ”すら満足に伝えられないのに、“戦争の悲惨さ”を伝えられるはずなんて、あるわけありません。
ウヌボレ、自己満足、お涙ちょうだい、感情的自慰は、いいかげんにしてもらいたいものですね。

温かく美味しい給食をお腹いっぱい食べさせて、継の当たっていない小奇麗なおべべを着させて、それでなにが、“戦争の悲惨さを伝える”ですか。

戦後七十年超、日本人もジョークのセンスは、よくなったものですね。
 
| 遊冶郎 | 気まぐれなコラム | 04:34 | - | - |


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