ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

Blog(日記)と云うよりはEssay(随筆)
Essay(随筆)と云うよりはSketch(走り書き)
Sketch(走り書き)と云うよりは……?

 注)タイトルに「*」のついた記事は「ネタバレ記事」です。ご注意ください。
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やった〜!
ページ別アクセス数の上位6位までが、“ろ~りぃの食卓”(別称;ひとりめしのコーナー)ではなかった楽しい拍手
各人の奮励努力のたまものである!
みんな、よりいっそうの精進と奮励を願う!
と、ともに、お読みくださっているみなさん、これからもよろしく応援のほど、お願いいたしますm(__)m
| Woody(うっでぃ) | 投稿者より | 22:04 | - | - |
2015年11月最後のひとりめし(晩)
玉子麦飯、インスタント味噌汁(えのき、乾燥わかめ、とろろ昆布入り)、ツナと白菜のスープ風煮、小松菜と厚揚げの煮浸し、カボチャの煮物、味付海苔


ほかに晩酌として、熱燗を4合。
ツナと白菜のスープ風煮は、少し味が濃かったかもしれない。
しかし、他のが薄味だったから、ちょうどいいくらいかもしれない。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:55 | - | - |
2015年11月最後のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(たらこふりかけ)、豚肉入りニラもやし炒め、チンゲン菜と豚肉のオイスター・ソース炒め


かねて使おうと思っていたオイスター・ソースを使ってつくってみた。
味は……まぁ最初のことだし、慣れてないし、食べられたから、よし、と、しよう。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:54 | - | - |
祭りと神輿
どんな集団にも、中心になる人がいる。
中心になる人がいると、集団が巧く機能する。

どんな集団にも、中心になろうとする人がいる。
中心になろうとする人がいると、集団が巧く機能しない。


神輿は、担がれてこその神輿、である。
みながよってたかって担ごうとする神輿でなければ、祭りは盛り上がらない。
神輿が、俺を担げ、あたしを担いで、と、云って回って、それでみなに担がれたとしても、祭りは盛り上がらない。
| 遊冶郎 | 悪魔のつぶやき | 20:25 | - | - |
ウィンストン・チャーチル
日本の総理大臣、田中角栄は云った。
「過去の統計というものは動かない。僕は経験のほかに、統計というものを重視している」
英国の総理大臣、チャーチルは云った。
「世論調査とはビキニの水着と一緒だ。肝心の部分は隠されている」
| Woody(うっでぃ) | ちょっと一言 | 20:19 | - | - |
*『かわいい女』*
 散作が、中学生の頃から持っていたチャンドラーの『かわいい女』が、正確な意味での全訳ではないらしいことが判って、かなり落ち込んでいる。
 原書と比較してみると、訳されていない段落や文章、言葉の省略などがあると云う。
 原書と云っても、版によって異同はあるだろうし、そんなに落ち込むこともあるまい、と、思うのだが、当人にとっては、深刻なようだ。
 それなら、他の日本語訳の本と対照させて読んでみればいいじゃないか、と、云うと、そんな根気はない、と云う。
 じゃあ、原書だけを読めば、と、云うと、そんな語学力があるか、と、云う。
 やっかいな男である。
 チャンドラーの小説(ただし、長編)は、ほとんど映画になっている。
 『かわいい女』は、1969年(昭和44年)の作品、ジェームズ・ガーナーがマーロウを演じた。
 マーロウはいわゆる“夢の人物”であって、日本人の作家でも、“ハードボイルドが好きなんじゃない、マーロウが好きなんだ”と、云う人がいるくらいである。
 だから映画化されても、“この人こそ、マーロウ!”と、云う役者はいない。
 みなどこかしらに、いくばくかの、不満を抱いている。じゃあだれが適役か、と、云うと、だれも、“この人!”と、推薦し得ない。
 原作者のチャンドラーは、「ケイリー・グラントに似ている」と、云ったそうだが。
 また、歴代のマーロウ役者が、“これは、ミス・キャストだ!”と、云うのがいるか、と、云うと、それも、いない。みんなどこかしらに、マーロウらしさを醸し出している。
 やっかいと云えば、やっかいなキャラクターである。
 自分が観たのは、『三つ数えろ』のハンフリィ・ボガート、『さらば愛しき人よ』のロバート・ミッチャム、『ロング・グッドバイ』のエリオット・グールド、そしてこの、『かわいい女』である。
 『三つ数えろ』のハンフリィ・ボガートに関しては、問題にならない。なにしろ自分は、ボガートが出ていさえれば、それでオール・オッケーなのである。
 監督がだれであろうが、脚本がどうであろうが、キャメラがどうであろうが、とにかく、ボガートが出ていさえすれば、それでオッケー、なのである。
 似合うも似合わないもない。ボガートがマーロウのイメージにそぐわなかったら、それは、マーロウが悪いのである。我ながら、ムチャクチャな意見だとは思うが……。
 ロバート・ミッチャムは、演技者としては巧いと思うが、マーロウにふさわしいか、と、云われると、ウ〜ン、と、なってしまう。映画自体はよかったと思う。御贔屓のシャーロット・ランプリングが出演していたし、時代の雰囲気もよく出ていた。
 しかし自分としては、うらぶれて、くたびれた感じのロバート・ミッチャムよりも、飄々とした感じのエリオット・グールドや、ジェームズ・ガーナーのマーロウに軍配を上げたい。
 演技者としてはミッチャムの方が達者なように感じるのだが、マーロウの雰囲気としては、エリオット・グールドやジェームズ・ガーナーのほうがよく出ている、と、思うのである。
 と、云うのも、マーロウの持ち味は、その饒舌とも云えるモノローグとワイズクラックにあるのだが(少なくとも、自分はそう思っているのだが)、そのあたりになると、ミッチャムよりも、グールドやガーナーのほうが、はまっているように思うのである。
 『ロング・グッドバイ』、『長いお別れ』は、チャンドラーの最高傑作、と、云われており、ただにチャンドラーのみならず、ハードボイルド小説の三大傑作のひとつ、との定評がある。(他の二つは、ダシール・ハメットの『マルタの鷹』と、ロス・マクドナルドの『動く標的』。どちらも映画化されている。)
 原作はかなりの分量があり、重厚であるが、映画はそれを、時間の制約もあったのであろうが、簡略にしてしまい、ためにいささか軽くなってしまった。
 映画の冒頭、マーロウは飼っている猫に催促され、叩き起こされて、キャット・フードを買いに行く羽目になる。当時の自分としては、深夜営業のスーパーがある、と、云うのが、さすがアメリカ、と、思ったものだ。
 あいにくその日は、いつも買っているキャット・フードがない。しかたなく、別の銘柄のを買ってくる。その中身を、いつも食べている缶に移し替えて、なんとかごまかそうとするのだが、猫は騙されない。いわゆる“猫またぎ”で、無視してしまう。“この贅沢ものめ”と、思いながら、憎めないでいるマーロウの困った顔……。
 この描写は原作にはない。映画のオリジナルであるが、秀逸な場面だった。
 ロス・マクドナルドの『動く標的』も、冒頭の描写が素晴らしかった。
 起き抜けの主人公(ポール・ニューマン)が、モーニング・コーヒーを一杯、と、思ったが、豆がない。しかたなく、おそらくは、昨夜にでも捨てたものであろう、ゴミ箱からいったん捨てた出がらしを拾い上げて、朝のコーヒーを淹れる。
 これも原作にはない、映画のオリジナルであるが、うらぶれた私立探偵の雰囲気を上手く醸し出していて、なかなかの出来栄えであった。
 さて、『かわいい女』であるが、この映画には、そう云った、印象的なファースト・シーンがない。昭和に流行ったセリフではないが、記憶にございません、なのである。
 では、この映画がつまらなかったかと云うと、なんの、なんの、さして流行りはしなかったようだし、いわゆる名作でもないが、自分としては、結構お気に入りの作品なのである。
 まず、主人公のマーロウを演じるジェームズ・ガーナーの、とぼけた味わいがいい。
 『ロング・グッドバイ』のエリオット・グールドよりも、数段上である。
 ボガートは、シャレてはいるが、とぼけている、とは、とても云えない。どうしても、冷かし気味、冷嘲気味、になる。つまり、カッコいいのである。
 ガーナーは、自分は三枚目になりながら、みずから三枚目になることによって、かえって相手をやりこめている。そのあたりが、愉快なのである。
 ガーナーは後に、テレビの『ロックフォードの事件メモ』でも、二枚目半の少しとぼけた私立探偵を演じて、エミー賞を受賞している。
二枚目半から三枚目のちょっと手前、みたいな、そんな役柄がピッタリくる俳優である。
 一例をあげれば――、
 彼は、クエスト(Qest)と云う男を捜している。
その行方を知っていると思われる人物のもとに赴いて、クエストのスペルを説明するときに、
「クレジットフォレックの“Q”、エルミタージュの“E”、スモコロジーの“S”、トルソーの“T”」
などと、わざと、小難しげな単語を引合いに出すところなど、いかにもとぼけた雰囲気を出している。
この映画では、無名時代のブルース・リーが出演している。
マーロウを脅して、手を引かせようとするチンピラの役である。
マーロウの事務所に来て、挨拶を交わすなり、壁を蹴り破り、コート掛けを叩き折る。
マーロウの事務所の隣は理髪店であるが、そこの主人(字幕はなぜか、オカマ口調であるが、それがまた、おもしろい)や女の子たちがビックリしてやって来る。
「なんの騒ぎ?」
と、云う主人にたいして、
「改築工事さ」
と、応えるガーナーが、いい。
ブルース・リーとのやりとりも面白い。
500ドルを出したリーに、
「天井も壊せよ」
と、云う。
洒落たセリフを口にするのは、マーロウ=ガーナーだけではない。
リーも、「誰の使いだ」と、問われて、
「血よりも金で解決を好む男です。しかし必要ならば、血を流してもいいのですよ」
と、凄む。凄んでいるようには見えず、サラリと云っている分だけ、よけいに凄味が増す。
その申し出を、マーロウは断る。彼独特の言回しで――、
「君のご主人に返してくれ。君が会った男は、この世で最後のバカ者だと伝えろ。
 救い難い堅物で――、文ナシだと」
 怒ったリーは、得意の功夫技で、マーロウの事務所を破壊してまわる。
 デスクを破壊される寸前、ちゃっかりと酒瓶とグラスをとりあげるのがユーモラスだった。
 その直後に訪ねてきた警部に、酒瓶とグラスを手にしたまま、
「白アリさ」
 と、云う。
 ちなみにブルース・リーは、この後にも出てくる。暗黒街の大物を尾行して彼女とレストランに来たマーロウを呼び出し、屋上に連れ出して、痛めつけようとするのである。
 リーの功夫技をおちょくり(「なかなかの芸だが、犬には負けるな」、「今度はチンチンだ」)、激怒させて、リーの渾身の蹴りを見事かわす。
 勢い余ったリーは、そのまま屋上から落下してしまう。
 席に戻る途中、マーロウはその死に様を、手の動きだけで大物に伝える。
 なんともトボけた、ユーモラスな場面である。
 さて、この映画、セクシーな美女が、ビキニ姿で、海パンいっちょの男とイチャついているところを、ある男がカメラで盗撮している場面から始まる。
 ネタを割ることになるが、セクシーなビキニ美女は、ハリウッドの新進女優で、海パンいっちょの男は、暗黒街の大物である。
 ふたりがイチャついているところを盗撮していた男は、それをネタに、この女優をゆすろうとする。
 マーロウはカンザス州の田舎から出てきた、いかにも垢抜けしない、山出しそのもののような少女に頼まれて、割に合わない仕事を引き受ける。
 その少女の頼みは、故郷を捨てて、家族をも捨てて、都会に出て行った兄の行方を捜してくれ、と、云うものだった。
兄の名はクエスト、オリン・クエスト。彼女の名は、オファメイ・クエストである。
 マーロウは1日40ドルと必要経費をもらうと云う。オファメイは20ドルしか出せない、と、云う。仕事にあぶれていたマーロウは、彼女にほだされて、依頼を引き受ける。
 そのシーンは映画にはなかったはずだ。
「清潔そうな感じの小柄な娘で、鳶色の髪、褐色の服、それに、縁なし眼鏡をかけ、当世流行の不格好な四角いハンドバッグを肩からつるしていた。口紅もつけていないし、首飾りや指輪のような装身具もつけていないうえに、縁なし眼鏡が図書館の女事務員のような印象を与えた。」
 依頼人、オファメイ・クエストの描写である。

「ベルを押すと、黒ズボン姿の女が出て来た。色っぽいという形容はまだ不充分だった。白い絹のシャツに、真紅のスカーフを首にまき、唇もスカーフに負けないほど赤かった。長い褐色の煙草を金のシガレット・ホルダーにさして、宝石をちりばめた手に持っていた。黒い髪は頭の中心で左右にわけられ、真紅のリボンが結んであった。だが、少女時代はとっくの昔にすぎていた。」
 マーロウは新進女優の住居を訪ねる。そこで出会ったのが、ドロレス・ゴンザレスである。マーロウが訪ねた新進女優――メイヴィス・ウェルドの友人で、映画ではリタ・モレノ――『ウエストサイド物語』のアニタ役で有名になった――が演じた。
「いままで浴室にいた女が顔の下半分をタオルでおさえて、立っていた。タオルの上は黒眼鏡だった。その上に、縁のひろい青い麦わら帽子をかぶっていた。帽子の下からは、薄い金髪の髪がのぞいていた。黒眼鏡は、縁が白く、はばの広い弦がついたサン・グラスだった。ドレスの上に、刺繍のある絹かレーヨンのコートを着て、長手袋をはめ、右手にピストルを握っていた。」
 これはマーロウが訪ねた先で、初めてメイヴィスに出会ったときの描写である。
 この後、マーロウは彼女に殴り倒され、アイス・ピックで殺された死体を発見する。
 彼女の身元を探り出して、その住居にやって来るのが、先述した場面なのだが、そのとき彼女は入浴中で、ドロレスが応対に出る。
「メイヴィス・ウェルドが浴室から出てきて、立っていた。髪を長くたらして、化粧もしていなかった。部屋着のあいだから白い肉体をのぞかせて、小さな緑と銀のスリッパ−をはいていた。その眼は空ろに光っていた。しかし、たとえ、黒眼鏡をかけていなくても、たしかに同じ女だった。」
 さて、いよいよ、ネタを割ることになるが――、
 この新進女優、メイヴィス・ウェルドは、映画の冒頭で彼女と暗黒街の大物がイチャついているところを盗撮して、彼女をゆすろうとしていた男の妹で、この男が、オファメイ・クエストが捜していた、兄のオリン・クエストである。
 メイヴィス・ウェルドは、千年一日の、なんの変化もない、澱んだような田舎町を捨てて都会に出、新進女優として売り出すまでになった。
 そうなるまでには、暗黒街の大物に見初められ、その情婦、愛人となり、身を売るような経験もしなければならなかった。
 彼女の兄:オリン・クエストと、妹:オファメイ・クエストは、そんな姉妹が、自分だけが“ドルと栄光”を欲しいままにしているのが気に入らず、自分たちにもその分け前を寄こさせようと、メイヴィス:自分の姉妹をゆすろうとする。
 最初は巧く行っていたのが、突然オリンからの送金がなくなり、不審に思ったオファメイがマーロウの事務所を訪ねて行くのが、この物語の、発端である。
 マーロウの捜査により、事の次第が判明していく。
 クライマックス、メイヴィス・ウェルドとオファメイ・クエストの姉妹が、メイヴィスの情夫である暗黒街の大物が射殺された場所で、顔を合わせる。
「姉さんは私たちを捨てて、出て行った」
「私はできるだけのことはしたわ。仕送りもしたし、手紙も書いた。あなたたちのことを忘れたことはなかった」
 この姉妹に、メイヴィスの友人、ドロレスが絡む。
 ドロレスは、色気があって、セクシーで、魅力があるのだが、いつもメイヴィスの陰に隠れている。ドロレス自身も、そんな自分をあきらめている。
「私が黒を着てるのは、私が美しくて、よくない女で――希望がないからよ」
 そんな彼女も、
「女には、いくら恋人があったとしても、どうしてもほかの女にゆずれない恋人があるのよ」
 と、云う。
 そのために彼女は、自分の愛する男を殺した。他の女に奪られないように……。
 この作品で、マーロウは他の作品には見られないほどの孤独感、疎外感に責め苛まれる。
「だれか私を、人間の星に連れ戻してくれ」
 そんなモノローグを吐くほどに、彼は追いつめられる。
 偽善と虚飾と華やかさに満ちたハリウッド、裏切りと利己主義と愛憎に爛れたハリウッド、そんななかで生きて行く、生きて行かねばならない人間たち、生きて行こうとする人間たち……。それは、ハリウッドのみならず、当時のアメリカ社会そのものだったのではないだろうか。
 そんな中で、マーロウが見た“かわいい女”とは、いったい、だれだったのだろうか?
| 映ちゃん | 気まぐれシネマ・デイズ | 19:37 | - | - |
『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』
 はい、みなさん、こんばんは。
 今日は、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』、この映画のお話、しましょうね。
 『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』、これは、一九八四年に公開された、アニメ映画、アニメーション映画ですね。
 は、はあ、アニメ、なんだ、子供向けの映画か。
 あら、あなた、ずいぶん古いこと、おっしゃるのね。まあ、いまどきそんなこと云う人、珍しいね。骨董品、古代の遺跡、世界遺産、天然記念物、絶滅危惧種、ね。
 あら、あなた、怒ったの? ごめんなさい、でもこれ、ほんとうのことですよ。
 いまやアニメは、日本を代表する、立派な、立派な文化、日本が世界に誇る、立派な、立派な、文化ですよ。
 いえ、いまや、じゃないね。むかしから、アニメは、日本の、素晴しい、素晴らしい文化だったの。ただだれも、そのことに、気づかなかったのね。残念ね。貧しいね。アニメの素晴しさを分からない心性、貧しいね。悲しいね。
 で、この『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』、これは、テレビで放映された作品の映画化なのね。テレビで毎週放映して、評判よかったんで、よっしゃ、映画にしよう、云うて、映画になったのね。あのころはそんなアニメ映画、たくさん、あったのね。
 『ルパン三世』もそうでした、『うる星やつら』もそうでした。あの頃はまだ、映画だけで、映画の企画だけで、アニメーションつくろうなんて、そんな時代じゃなかったのね。
 でもそうやってつくられた映画は、テレビとは別の、それ自身で完結した、それ自身で立派な、みごとな、映画になってるのね。そのへんに、映画をつくった人たちの、心意気が見えますね。魂が感じられますね。
 この映画もそう。この映画も、それ自身だけで独立した、テレビ観てなくても解かる、テレビ観てなくても面白い、それ自身だけで完結した、素晴らしい映画になってますね。
 この映画は、宇宙が舞台で、宇宙を舞台に、戦争してるの。
 地球人たちは、地球に住めなくなって、宇宙に出て、宇宙を彷徨って、でもいつか、自分たちの故郷、地球に還ろうとして、宇宙を彷徨ってるのね。
 そんな地球人たちが乗ってる、大きな、大きな宇宙船が、“マクロス”、云うのね。この映画の、タイトル・ロールね。
 そんな地球の人たちは、宇宙を彷徨いながら、戦争してるの。その相手が、とっても、とっても大きな人種。その大きな人種が、二種類、いるの。
 一方は、ゼントラーディって云って、これは男ばかり、男の人ばっかりの宇宙人なの。
 で、もう一方は、メルトランディって云って、こっちは女ばかり、女の人ばっかりなの。
 地球人は、この二つの種族と戦ってるんだけれども、この二つの種族──ゼントラーディとメルトランディも、おたがいに戦ってるのね。まぁ、複雑ね、ややこしいね。
 で、地球人は、戦闘機に乗って、闘うのね。これが、戦闘機、飛行機なんだけれども、ロボットにもなるの。その頃流行った言葉で云えば、“モビル・スーツ”になるのね。
 余談だけれども、「ロボット」云うのは、チェコの、チェコスロヴァキアの劇作家、カレル・チャペック云う人が、造った言葉なのね。
 チャペックは、チェコ語の「ラボル」云う言葉をもじって、「ロボット」云う言葉を造ったのね。
 「ラボル」云うのは、「労働」云う意味。人間に替って、人間の替りに、しんどい労働する人造人間、それが、「ロボット」なのね。
 だから、鉄腕アトムや、ドラえもんは、ロボット、ね。
 でも、マジンガーZや、コンバトラーVなんかは、ロボットじゃないんですね。
 それで、人間が乗り込んで、人間が操る、人間みたいな恰好をした機械のことを、“モビル・スーツ”云うようになったんですね。
 この“モビル・スーツ”云う言葉は、『機動戦士ガンダム』で、初めて使われたんですね。
 それまでは、人間が乗り込んで、人間が操る、人間みたいな恰好をした機械のことも、“ロボット”云うてたのが、この『機動戦士ガンダム』以来、“モビル・スーツ”云うように、なったんですね。
 それで、この映画で、この『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』では、“バルキリー”云う、戦闘機、飛行機なんだけれども、これが、人型の、“モビル・スーツ”にもなるのね。
 その“モビル・スーツ”を操って、地球人は、ゼントラーディや、メルトランディーと、闘うのね。
 その闘い、その戦闘のときに、地球人のひとりが、ゼントラーディに捕まって、捕虜にされて、地球人のこと、訊かれるんですね。尋問、されるんですね。
 そのとき、地球人が、人間が産まれることを説明するんですけど、それが、ゼントラーディの人たちには、解からないのね。
「産まれるとは、生産されることか?」
なんて、云うんですね。
 まぁ、悲しい、なんて、悲しいことなんでしょう。
 人間が産まれる、新しい生命が芽生える、愛し合って、愛し合った人たちの間に、新しい生命、新しい生命が誕生する、素晴らしい、とっても素晴らしいことなのに、それを、「生産される」なんて、まるで、機械を製造するみたいに……。
 でも、それが、ゼントラーディの人たちの考えなんですね。闘うためだけに存在する種族、闘うことだけが存在意義である種族、そんな種族には、「産まれる」と云う思いなんか、ないんですね。「生産される」と云う考えしか、ないんですね。悲しいですね。とっても、悲しいことですね。
 ゼントラーディの人たちは、地球人が持ってた、オルゴール、スウィッチを押すと、音楽が流れ出す人形を、とっても、恐がるんですね。
 戦闘のことしか知らない、戦争することしか知らない、ゼントラーディの人たちは、なんでこんな機械があるのか、解からないんですね。
 なんでそんな機械が、オルゴールなんてものがあるのか、なんでそんなものが必要なのか、理解できないんですね。
 でも、その機械から流れてくる音楽、そのメロディを聴くと、自分たちの戦闘意欲、戦争しよう、敵をぶっ殺そう、そんな気もちが萎えてくる、戦闘意欲が、相手をぶっ殺そう、そんな気もちが消えていく、それは、理解するんですね。
 それで、ゼントラーディの人たちは、これは、兵器だ、音波兵器だ、俺たちの戦意を殺ぐために造られた、地球人独特の兵器に違いない、なんて、云うんですね。
 この映画には、たくさんの、たくさんの、ほんとうに、ほんとうに、素晴らしい人たち、とっても、とっても、ステキな人たちが登場するんですけれども、主人公は、一条輝と云って、バルキリーのパイロットなんだけれども、まだまだ青二才、未熟なのね。
 その一条輝が憧れているのが、アイドル歌手のリン・ミンメイ。
 この一条輝は、ふとしたことがきっかけで、このリン・ミンメイと仲良しになって、ふたりでデート、するのね。それが、いかにも若者風の、いかにも、愉しげなデートなの。
 ショッピングして、ゲーム・センター行って、夕暮に公園行って、ふたりで愉しい時を過ごすのね。いかにも、ミーちゃん、ハーちゃんした、いかにも、愉しげなデートなのね。
 一方、輝には、女の人の上官がいるのね。早瀬未沙って云って、この人が、美人なんだけれども、とってもコワイ、とっても厳しい人なの。
 それで、よく輝とも、ケンカになるの。
「なんだよ、あの女」
「なによ、あのひよっこ」
なんて、ケンカになるのね。
 そのふたりが、とある戦闘で敵にやられて、味方のところに帰れなくなって、漂流することになるのね。
 そのふたりが漂流した先が、これがまぁ、なんとも荒れ果てた星、宇宙から見捨てられたような星、ゴースト・タウンのような星、そんな星に、流れ着くのね。
 それで、ふたりで、この星は、なんて星なんだろう、こんな、見捨てられたような星、この星は、どんな星なんだろう、そう思って探っていくのね。
 この対比、この二人の女の子と、男の子、輝との、デート、道行、その対比が、いかにも、巧いね。上手だね。達者だね。
 ひとりは、みんなのアイドル、いかにも、ミーちゃん、ハーちゃんした、キャピキャピした女の子。
 もうひとりは、軍人、いかにも、シッカリした、カタブツの、上官の、女の子、女の子、と、云うよりも、女の人、オトナの女性。
 輝は、この、まだまだ未熟な男の子は、憧れていたアイドルの女の子とデートできて、コワイ、コワイ、キビシイ、上官の女の人と彷徨って、まぁ、形の違った二人の女性と、形の違った、時間を過ごすんですね。
 このへんの演出が、巧いね、上手だね、達者だね。
 輝は、この、未熟な、いかにも、坊ちゃん、坊ちゃんした、男の子は、コワイ、コワイ、いつも、喧嘩ばっかりしていた、年上の、女の、上官と、流れ着いた星を、この星は、いったい、どんな星なんだろう、そう思って、二人で一緒に、この星を探検しているうちに、じつは、この星こそが、マクロスの住民たちが、マクロスのみんなが、恋焦がれていた、いつか帰るんだ、って、思っていた、地球だった、って、解かるのね。
 そこで、いろんなことが解かってくるの。
 ゼントラーディも、メルトランディも、じつは、異星人、宇宙人なんかじゃなくて、自分たちと同じ、人間だ、って、解かるのね。
 昔々、人間が戦争してた頃、相手よりも強い兵士を造ろう、強い兵士を製造しよう、云うんで、遺伝子を操作して、造り上げたのが、男はゼントラーディ、女はメルトランディ、なんですね。
 まぁこの二種族とも、人間が、戦争のために、戦争に勝つために、自分たちを操作して、造りだしたんですね。非道いね。非道いことするね。
 そんなに、競争することって、勝つことって、大事なことなんでしょうかね。
 その競争が、戦争が、戦闘が、だんだん、だんだん、激しくなって、しだいに、しだいに、激烈になって、地球人たちも、必死に戦うんだけども、だんだん、だんだん、追いつめられて、もうダメ、もういかん、もう負ける、そうなったときに、相手は音楽を聴くと、戦闘能力が鈍る、音楽聴くと、戦意が落ちる、そのことが解かって、マクロスの軍人たちは、音楽を流そう、音楽を流して、相手がひるんだ隙に、総攻撃をかけよう、そう思うのね。
 それで、ミンメイに、歌ってくれ、云うて、頼むのね。
 ミンメイは、輝のことを好きになって、好きになって、好きになって、もうたまらんくらい好きになって、輝が戦争に行くのを嫌がるのね。
 輝が戦争に行って、万一敵に殺されたら……そんなことを考えるだけでも、ゾッとして、恐ろしくなって、怖くなって、悲しくなって、涙が出てきて、もうどうにも、やりきれなくなるのね。
 それで、
「みんないなくなればいい。みんないなくなったら、戦争もしなくてすむ。殺し合いなんかしなくてすむ。輝と私だけいればいい」
なんて、云うのね。
まぁそれほど、この娘は、ミンメイは、輝のことを、好きになったのね。惚れ込んじゃったのね。
そのミンメイを、輝は叱るのね。
「だれも殺し合いなんてしたくない。だれも死にたくないし、死なせたくないんだ。
 ぼくはそのために、精一杯、自分にできることをするんだ」
 その言葉を聞いて、ミンメイも決心するのね。
 自分は歌う。歌うことが、自分の役目なのだから。自分が歌うことで、みんなに勇気を与えられる。みんなの力になれる。自分が歌うことで、みんなが幸せになれる。
 だったら、自分は歌う。自分のためだけじゃなくて、輝のためだけじゃなくて、みんなのために、歌うことが、自分の使命なんだ。
 そう思って、マクロスの、巨大戦艦の先頭に立って、歌うのね。
 その歌が、『愛 おぼえていますか』ですね。
 これがとっても素晴らしい歌、とってもステキな歌ですね。
 みなさん、おぼえてますか?
 はじめて、好きな女の子と、あるいは、男の子と、手をつないで学校から帰ったときのこと、おたがいに目を見交わせて、恥かしくて、思わず目をそむけてしまったときのこと、ドキドキしながら、「好きです」と云った、あのときのこと……。
 それが愛の始まり、それが、人間が、人間を慈しむ、大事に思う、その、始まりなんですね。
 ミンメイが必死になってこの歌を歌って、みんなが突撃して行って、それでも戦況が地球人に不利になったとき、あぁ、もうダメだ、ゼントラーディには勝てないんだ、そう思ったとき、
 その、ゼントラーディの一部隊が、地球人の味方に付くんですね。
 自分たちの同胞を、仲間を、味方を、裏切って、地球人たちの側に付くのね。
 地球人の総司令官が、感謝しつつも戸惑って、驚いて、サンキュー、サンキュー、ありがとう、なんて云っても、驚いて、当惑して、なんで味方してくれるんですか、云うのね。
 もっともね。負けそうになってる地球人に味方しても、自分たちの仲間裏切っても、なんのメリットもないわね。
 でもそのとき、ゼントラーディの副官、参謀が、云うんですね。
「この偉大な、“文化”を、失うわけには参りません」
 素晴しい言葉ですね。歴史に残る、素晴らしい言葉ですね。
 遥かな昔、紀貫之は、『古今和歌集』の仮名序に、こう記しました。
「生きとし生きるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり」
 まさに、歌とはこれ、文化とはこれ、ですね。
 “文化”なんて、なんのことか分らない、オルゴール聴いても、音楽聴いても、音波兵器としか思わない、思えない、そんなゼントラーディの人たちをも、ミンメイの歌は、感動させて、心動かして、自分たちには分らないけれども、このとっても素敵な、“文化”と云うものを、衛らせようとするのね。
 いまだに戦争に明け暮れて、戦闘能力を強化しようとして、戦争のことばっかり考えている国民なんて、ほんとうに、恥かしいね。まるで、ケダモノね。おぞましいね。
 この『愛 おぼえていますか』云う歌、これは、じつは、早瀬未沙が、輝と一緒に地球を放浪しているときに見つけたものなんですね。
 それはどんな歌なんだい、と、聞かれた未沙は、
「むかし流行った、なんの変哲もない、ラブソングよ」
 云うんですね。
 これが、いいんですね。
 文化、文明、芸術、それはなにも、バッハやモーツアルト、ベートーヴェン、ピカソやゴッホや、モネやマネ、シェークスピアやバルザック、ゲーテやトルストイ、そんなんじゃ、ないんですね。それも立派な、文化、文明、芸術なんだけれども、それだけじゃ、ないんですね。
 ヒットして、一年で消えてしまう、そんな音楽にこそ、そのときに生きた、そのときに笑い、悲しみ、はしゃぎ、ケンカし、落ち込み、殴り合い、仲直りした、友だちと一緒に自転車こいで家に帰った、学校サボって映画観に行った、空地で野球した、下校中の喫茶店で、好きな男の子や、女の子たちの話した、道路で鬼ごっこした、そうした、そのときに、精一杯生きた人たち、その人たちの想いが、つまってるんですね。
 それこそが、“文化”なんだ、それこそが、人間が、人間として存在している、いちばんの理由なんだ、そのことを、この映画は、教えてくれるんですね。
 この素晴らしい映画、アニメだけれども、とっても素晴らしい映画、この『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』、ぜひ、ご覧なさいね。

https://www.youtube.com/watch?v=L6ItZbHKEBY

超時空要塞マクロス 〜愛・おぼえていますか〜 [DVD]
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スタジオぬえ
| 映ちゃん | 今夜もしねま☆と〜く | 21:15 | - | - |
人生いろいろ……
♪人生 いろいろ〜
とは、島倉千代子さんのヒット曲の一節である。
その親しみやすいメロディと、すんなりと共感できる歌詞とによって、多くの人の口の端にのぼった。
特定多数のファンのみによって支えられている今日此頃の“アイドル”の歌とは、根本から違う歌である。
陳腐な表現をあえて使えば、“大人から子どもまで”知っている歌、歌った歌、口ずさんだ歌、である。
2004年(平成16年)当時の内閣総理大臣:小泉純一郎氏が、国会の衆議院決算行政監視委員会で、かつて所属していた会社での年金問題を問われ、「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」と、答弁したことでも、有名になった。

さて、まさしく、人生行路は十人十色、人生いろいろ、である。
“弁護士”と、云えば、“エリート”、“インテリ”、“スマート”、“頭いい”、“金持ち”、等々のイメージを抱く方が多いのではなかろうか?
「都心のビルにこぎれいな事務所を構え、美人の秘書や若手の弁護士を抱え、りゅうとした背広を着た、細身の紳士」
世人が抱く弁護士のイメージとは、そんなところではないだろうか。
ところが、弁護士もいろいろ、で、ある。

戦後からの復興期の京都に、ひとりの弁護士がいた。
当時人気のあった各界の雄:双葉山になぞらえられるほどの、でっぷりと太った男で、彼はその体型を恥じて、家に風呂をつくったほどだった(当時は家に風呂のある家庭は珍しく、たいていみな、銭湯に通っていた)。
その生活も、息子が、「うちはホンマに弁護士なんやろか? 被告なんちゃうやろか?」と、思ったほど、貧しかった。

その息子さんが語っておられた。
「戦後の復興期やからね、長屋持ってる大家さんなんか、自分の持ってる長屋潰して、マンション建てよう、ビル建てよう、云うわけで、その長屋に住んでる人たちに、出て行け、云うわけですよ。
ところが、そんな長屋に住んでる人たち、出て行け、云われたかて、行く先あれへん、頼る人もおれへんわね。
そんで、うちの親父んとこへきて、先生、なんとかしてください、云うわけですよ。
ほしたらうちの親父は、よっしゃ、まかせとき、云うて、その人らの弁護に立って、裁判して、その人らが長屋出ていかんでもすむようにするわけですよ。
ほんで、長屋の人たちが、その人らも貧乏やから、弁護料なんて、よう払わんわね、ほんで、その人たちが、一升瓶持って、みんなでうちきて、先生、ありがとうございました、おかげでわたしら、長屋出ていかんですむようになりました、いままでどおり、ここに住んでられるようになりました、云うて、みんなで頭下げるわけですよ。
親父は一升瓶もろうて、あぁ、そうか、そうか、そりゃ、よかったなぁ、云うて、ニコニコしとる。
ぼくはそんな親父見て、あんたは酒もろうて、ええやろうけど、うちら家族はどないすんねん。
そんな長屋の貧乏人の味方するより、大家の方についた方が、よっぽど儲かるのに、思うたもんですよ」
そんなお父さんの話をなされた息子さんのお顔からは、”どうだい、うちの親父は偉いだろう”と、云わんばかりの、誇らしげな笑みが、”こんな親父の倅に産まれてきて、よかったなぁ”と、云わんばかりの、なんとも嬉しそうな輝きがあふれていた。

そんな弁護士さんもいるかと思えば、大企業の顧問弁護士になって、サーヴィス残業、長時間労働、不払い労働をうまく隠蔽させ、TVに出演してタレントまがいの人気を得、知事の市長のとなって、自治体の利益を、自分の仲間と云う“市民”たちに配分している弁護士もいる。

まさに、人生いろいろ、である。
| 遊冶郎 | 悪魔のつぶやき | 10:19 | - | - |
ぶっちゃけて云えば……
経済成長が減速しても、他国に行って“爆買い”できるだけの消費力がある国民が、羨ましい。
| 遊冶郎 | 悪魔のつぶやき | 21:03 | - | - |
ひとりめし、ならぬ、ひとりうち呑み
流れで、いわしの生姜煮、豚肉とピーマンの味噌炒め、胡瓜もみ、を、おかずに、熱燗を5合呑った。
たまにはこんな晩飯(?)があってもよかろう。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 23:00 | - | - |
テロリスト
平和に暮らしている、なんの罪もない、善良無垢な市民を、自分たちの勝手な主義主張で殺戮するのがテロリストなら、欧米のほとんどの国家は、国家ごと、テロリストであろう。
| 遊冶郎 | 悪魔のつぶやき | 21:58 | - | - |
これまたやっぱり、ひとりめし(昼-弁当)
麦飯(たらこふりかけ)、いわしの生姜煮、味付椎茸


いわしの生姜煮も、大好物の料理のひとつである。
最近はいわしも高値になっているようで、悲しいことである。
サバ、アジ、いわし、さんま、など、昔は“庶民の魚”と、云われたものだが……。
もっとも、その“庶民”なるものも、最近はお高くなっているようだから、そう云う意味では、均整はとれているのかもしれない。

味付椎茸が、思いのほか、旨かった。
今度つくりかたを教えてもらおう。
椎茸も栄養があって、使い手があって、調法な食材である。
惜しむべきらくは、値段が高いことである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:51 | - | - |
これまたやっぱり、ひとりめし(朝)
玉子麦飯、ツナと白菜のスープ風煮、里芋の煮っ転がし、味付海苔


昨朝で味噌汁がなくなったので、飛脚玉にしようかとも思ったのだが、ツナと白菜のスープ風煮があまりそうだったので、こっちにした。
里芋の煮っ転がしも、いつかつくってみよう、と、思いつつ、一度もつくったこともなく、いまに到っている。
いずれの日にか、つくってみたいものである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:39 | - | - |
これもこれなり、ひとりめし(晩)
玉子麦飯、里芋の煮っ転がし、きびなごの天麩羅、隠元豆の天麩羅、アジフライ(3尾)、胡瓜もみ、獅子唐とじゃこの醤油炒め、味付海苔


アジフライと天麩羅がなくなった。
なんのかんのと云っても、よく食うことである。
しかも食前に、晩酌、と、称して、熱燗を3合呑んで、のことである。
その代わり、と、云ってはなんだが、飯は少なめである。
もっとも、わたいにとっては少なめ、と、云うことで、世人の標準から見てどうであるかは、定かではない。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:21 | - | - |
これもこれなり、ひとりめし(昼-弁当)
麦飯(梅干し)、アジフライ(2尾)、味付椎茸


いつになく、豪勢な弁当である。
アジが大きくて、しかも、旨い。
近所のスーパーで買ってきたらしいのだが、そうと知っても、自分には料理れない。
残念である。まぁ、その分、母者がたんまりと料理ってくれるから、ありがたいことではあるのだが……。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:20 | - | - |
これもこれなり、ひとりめし(朝)
玉子麦飯、アサリの味噌汁、レンコンのきんぴら、胡瓜もみ、味付海苔


アサリの味噌汁が、あっさりとなくなった(シャレではない)。
もの足りない、と、云えば、もの足りない。
だしを取った昆布も、しっかりと食べた。当然のことである。
世の中には、だしを取った後の昆布やじゃこを捨てる人がいるそうだが、とても信じられぬ。
いったい、どこの国のお大名か、と、思う。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:18 | - | - |
ひとりめしは、ひとりめし(晩)
玉子麦飯、アサリの味噌汁、アジフライ(3尾)、きびなごの天麩羅、隠元豆の天麩羅、小松菜と厚揚げの煮浸し、レンコンのきんぴら、胡瓜もみ、味付海苔


およそ、“ろ〜りぃの食卓”とは思えぬ、豪華な献立である。
自分でつくったのは、麦飯と、小松菜と厚揚げの煮浸しだけで、後は母者がつくってくれたものである。
バカでも息子はかわいいとみえて、エラく張り切って料理ってくれたのは嬉しいのだが、ど〜みても、ゆうに2週間は保ちそうな量である。
それも、わたいの食欲で量って、である。
全部食べ切れるだろうか……。いささか不安である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:51 | - | - |
クイズ
さてさて、社会保障の財源確保のためには、消費税率のアップは避けられないだの、軽減税率がど〜したの、こ〜したの、と、かまびすしくなっていて、いっそのこと、贅沢品にだけ課税する、昔の物品税を復活させた方がいいのではないか、と、云う意見も、聞かれるようになってきたが……、
さて、ここで問題!
以下のうち、物品税として、課税さるべき贅沢品は、なんでしょうか?
贅沢品には○、非課税となるべき必需品には×、で、お答えください。
1.宝石
2.乗用車
3.毛皮
4.エアコン
5..ゴルフ・セット
6.エレキ・ギター
7.冷蔵庫
8.CD
9.パソコン
10.スマホ
| 遊冶郎 | 悪魔のつぶやき | 01:14 | - | - |
田中総理
田中総理、と、云えば、大方の人は角栄氏を想起されるであろう。
しかしここで述べるのは、戦前に総理を務めた、田中義一という人物のことである。
山口県出身の陸軍大将で、いわゆる長州閥の代表的存在である。
大正十四(一九二五)年に政友会の第五代総裁となり、昭和二(一九二七)年の四月二十日から同四(一九二九)年七月二日まで、第二十七代・十六人目の総理大臣として、内閣を組織した。
この田中首相が、東北地方を巡遊したときのことである。
群れ集った聴衆の一人に田中首相は、気さくに声をかけた。
「やあ、どうかね。お父さんはお元気かね」
その男は恐懼極まって、
「あいにく、父は先年亡くなりました」
と、答えた。
田中首相は、
「やあ、それは残念じゃったのお」
と、いかにも残念そうな表情で、その男の肩に手をかけた。
後で秘書官が、
「総理はあの人のお父さんと懇意だったのですか」
と、問うと、
「いや、オラは知らんよ」
との返事。
秘書官は訝しげに、
「それにしては、親しげに話しかけられておられたではありませんか」
「そりゃあキミ、息子や娘、女房をもたん者はおっても、父親をもたん者はおらんからのお。訊いてみただけのことじゃ」
| Woody(うっでぃ) | ちょっと一言 | 20:10 | - | - |
今週末のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(ピリ辛らっきょう)、ベーコン入りニラもやし炒め、カボチャの煮物


ベーコン入りニラもやし炒めも、カボチャの煮物も、ピッタリ、なくなった。
最初は、つくりすぎたかな? と、思ったものだが、キッチリとなくなったのは意外である。
今夜は宅呑みの予定である。
木枯らしも吹き、秋も本格的に深まってきた今日此頃は、やはり熱燗が恋しくなるものである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 16:28 | - | - |
今週末のひとりめし(朝)
玉子麦飯、味噌汁、もずく、味付海苔


味噌汁は、味噌汁、と、云うよりは、味噌汁の残骸、である。
要は残り物で、よく云えば、タイミングよく食べ尽した、と、云えないこともない。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 16:22 | - | - |
今日も今日とて、ひとりめし(晩)
玉子麦飯、味噌汁、小松菜と厚揚げの煮浸し、ツナと白菜のスープ風煮、カボチャの煮物、納豆、もずく、味付海苔


今日も食前に、熱燗3合、である。
ツナと白菜のスープ風煮がなくなった。
今週は、カボチャの煮物づくし、であった。カボチャは栄養があるうえに、好きな食材であるから、別に苦にはならない。
ただ、今週は、いかにも動物性タンパク質が少ない、と、思った。
チンゲン菜の炒めものに、油揚と椎茸だけでなく、豚肉も入れればよかった。
そしたら、腹もちも、だいぶ、違ったろうに。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:55 | - | - |
今日も今日とて、ひとりめし(昼-弁当)
麦飯(ピリ辛きゃら蕗)、チンゲン菜と油揚と椎茸の炒めもの、カボチャの煮物


昼も途中で腹が減り、菓子パンを3個、食った。
これは、腹が減った、と、云うよりも、半ば習慣のためである。
あまりよろしくない習慣である。
いっそ、飯を多めに炊いて、握り飯にでもして、持って行こうか。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:55 | - | - |
今日も今日とて、ひとりめし(朝)
玉子麦飯、味噌汁、もずく、味付海苔


今日はこの他にも、バナナを1本、食べた。
にもかかわらず、昼まで保たない。
和食と云うものは、思ったほど、腹もちが良くないらしい。
やはりもう一品、焼魚か、肉の佃煮でも、必要なようである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:52 | - | - |
それでは今日の、ひとりめし(晩)
玉子麦飯、味噌汁、小松菜と厚揚げの煮浸し、ツナと白菜のスープ風煮、カボチャの煮物、納豆、もずく、味付海苔


昨夜で味噌汁が切れたので、帰ってからつくった。
具は、大根、人参、玉葱、キャベツ。食べる直前に、えのき、乾燥わかめ、とろろ昆布を入れる。
だしを取ったいりこ(じゃこ)も、昆布も、もちろん、食べる。
今日は寒かった、と、云う口実の下に、晩酌を熱燗3合にした。
おかげでポカポカと、いい気持である?
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:56 | - | - |
それでは今日の、ひとりめし(昼‐弁当)
麦飯(みそかつおにんにく)、ベーコン入りニラもやし炒め、カボチャの煮物


考えてみれば、「弁当」と云うのは、日本だけの発想だろうか。
英米では、宅で食べようが、外に持っていこうが、昼の食事はすべて、“lunch”のような気がする。
だから何なんだ、と、云われても、困るが。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:55 | - | - |
それでは今日の、ひとりめし(朝)
玉子麦飯、飛脚玉(乾燥わかめ、えのき)、もずく、味付海苔


味噌汁が昨日でなくなったので、飛脚玉にした。和風即席味噌汁、である。かつては忍者の携行食であったらしい。日本人の知恵は大したものである。
それにしても、これでも昼までに腹が減ってしまうのは、どうしたものだろう。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:52 | - | - |
こちらも相変わらぬひとりめし(晩)
玉子麦飯、味噌汁、ツナと白菜のスープ風煮、小松菜と厚揚げの煮浸し、カボチャの煮物、納豆、もずく、味付海苔


と、云えども、味噌汁が新しくなった。
昨日も書いたが、味噌汁の具は、大根、人参、キャベツ、玉葱、えのき、乾燥わかめ、とろろ昆布、と、盛り沢山、である。
他のお菜も勘定に入れると、7種の野菜を摂取している。結構なことである。
野菜を食って早死にした人はいない。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:54 | - | - |
こちらは変らぬ、ひとりめし(昼-弁当)
麦飯(たらこふりかけ)、チンゲン菜と油揚と椎茸の煮浸し、カボチャの煮物


こちらは相も変らぬ献立である。
いや、チンゲン菜と油揚と椎茸の煮浸しは、初めてつくった。
これは少し、味が薄かった。チンゲン菜は中華料理によく用いられる食材であるだけに、濃いめに味つけたほうがいいようである。オイスター・ソースと鶏がらスープの素でも買っておくか。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:53 | - | - |
ちょっと変わった、ひとりめし(朝)
玉子麦飯、味噌汁、もずく、味付海苔


これに焼鮭が加われば、立派な日本の朝食である。
残念ながら、そこまではとても手が回らない。
しかし、これまでの洋朝食(?)よりも、こちらの方が手早い。
ただ、いかにも量が少ない。和朝食のほうが量が多いように思うが、実は洋朝食のほうが、ガッツリしているのである。
それが証拠に、今日は午前9時頃に、早くも空腹を感じてしまった。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:49 | - | - |
お待たせしました、ひとりめし(晩)
玉子麦飯、味噌汁、ツナと白菜のスープ風煮、小松菜と厚揚げの煮浸し、カボチャの煮物、もずく、納豆、味付海苔


食前に晩酌として、熱燗を2合、呑んだ。
味噌汁の具は、大根、人参、キャベツ、玉葱、えのき、乾燥わかめ、とろろ昆布、である。
味噌汁をつくったのは、何年ぶりだろう。この“ろ〜りぃの食卓”にアップしたのは、初めてではあるまいか。ひょっとすると、2年くらい、つくってないかもしれない。それにしては、うまくできた。
ツナと白菜のスープ風煮は、母者の直伝である。これも久しぶりだ。前につくったときは、味が濃くて、それこそ、スープそのものみたいになったが、今回はこれもうまくいった。
小松菜と厚揚げの煮浸しも、意識して薄めの味つけにしたら、これがバッチリ、である。
今回は総じてうまくできた。
ただ、思ったよりカボチャが多くて、当分、昼も晩も、カボチャは出てきそうである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:09 | - | - |
お待たせしました、ひとりめし(昼-弁当)
麦飯(梅干し)、カボチャの煮物、ベーコン入りニラもやし炒め


Woodyが以前書いたように(「うれしいのだが……」“投稿者のひとりごと”2015.9.4)、この“ろ〜りぃの食卓”が、けっこう見られてるみたいで、じつにありがたいことである。
ここしばらくズボラをかましていたが、今回久しぶりにアップする。
今回は意識して味を薄めにした。それで丁度いいくらいの味つけになった。
いわゆる、素材の味が活きた、のである。
カボチャも煮崩れなかったし、ニラもやし炒めも、いい感じに仕上がった。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:02 | - | - |
シリア難民
常日頃、その国を代表する人々が、“国際貢献”、“国際社会の一員として……”などとのたまっている某国が、シリア難民を積極的に受け入れようとしないのは、どう考えても、不思議である。
| 遊冶郎 | 悪魔のつぶやき | 16:20 | - | - |
余談だが……
内閣総理大臣のことを、なぜ首相と呼ぶかと云うと──
大臣のことを、中国風に云うと、宰相となる。
文部大臣は文部宰相、法務大臣は法務宰相、それを略して、文部大臣を文相、法務大臣を法相と呼ぶのである。
で、総理大臣は、首席宰相、と、云うわけで、首相となるのである。
| Woody(うっでぃ) | ちょっと一言 | 00:34 | - | - |


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