ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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 注)タイトルに「*」のついた記事は「ネタバレ記事」です。ご注意ください。
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『荒野の決闘』
 はい、みなさん、こんばんは。
 今日は、『荒野の決闘』、この映画のお話、しましょうね。
 『荒野の決闘』、これはもう、有名な、有名な、西部劇。
『駅馬車』と並ぶ、西部劇の、二大巨峰、双壁、いえ、たんに、西部劇、と、云うだけじゃなくて、映画の、二大巨峰、映画の、双璧、ですね。映画の歴史に残る、名作ですね。
 原題は、“My Darling Clementine”、「愛しのクレメンタイン」。
 この映画は、あの有名な、O.K.牧場の決斗、アープ兄弟と、クラントン一家との銃撃戦、実際にあったあの事件を、もとにしてつくられた作品ですね。
 アメリカ人は、まぁ、たいへん、この事件が、好きなんですね。この事件をもとにした映画を、たくさん、たくさん、つくってますね。
 日本で云う、「忠臣蔵」みたいなもんね。
 『O.K.牧場の決斗』がありましたね、よかったなぁ。
 『墓石と決闘』がありました。よかったなぁ。シブかったなぁ。
 『ワイアット・アープ』と云うのもありました。大作でしたね。
 それから、『トゥームストーン』がありましたね。カッコよかったね。
 ほかにも、たくさん、たくさんの作品が、この事件をもとにして、つくられました。
 『荒野の決闘』も、もちろん、この、O.K.牧場の決斗を描いてはいるんですけれども、でも、他の映画とは、ちょっと、違うの、描き方が。雰囲気、ニュアンスが、ちょっと、違うのね。
 そうね、ローレンス・カスダンが監督した、『ワイアット・アープ』、これが、ちょっと、似てるかな? でも、やっぱり、どこか、違うのね。
 『荒野の決闘』は、『荒野の決闘』云うけれども、決闘がメインじゃないの。
 そこにあるのは、西部の、開拓時代の、アメリカの、生活。その頃、そこに住んでた人たちの、その頃、そこで暮らして人たちの毎日の生活、それが、描かれてるんですね。
 ぼくの友だちが、この映画を評して、
「西部の生活の匂いがする」
 云いましたけど、まさに、そのとおり、ですね。
 この映画には、いい場面が、たくさん、たくさん、あります。
 牛追いをしてるアープ兄弟が、トゥームストーンという町に立ち寄ります。
 そこで、町なんて久しぶりだ、と云うので、みんなで町に行こうとします。ところが、だれかひとりだけ、牛の番をしてなきゃいけない。ひとりだけ、牛たちを見張ってなきゃいけない。
 そのとき、兄弟のなかでも、いちばん末っ子の男の子が、いいよ、俺が牛の番しとくよ、兄さんたち、町行ってきなよ、なんていって、自分が牛の番、引き受けるんですね。
 この子は、もうすぐ故郷に帰れる、故郷に帰れば、恋人が、許嫁が待ってる。だから町へ行くよりも、町へ行ってお酒飲んで陽気に騒ぐよりも、ひとりで、その恋人のこと、考えていたいんですね。恋人にあげるプレゼントも買った、そのプレゼント、大事に、大事に持ってる、故郷に帰ったら、これをあの娘に渡そう。なんて言って渡そうかな、これ気に入ってくれるかな、いつ会いに行こうかな……、そんなこと、考えていたいんですね。
 お兄さんたちも、そのこと分かってるから、ああそうか、すまないな、じゃ、よろしく頼むよ、なんて云って、町に行くんですね。
 ところが、お兄さんたちが町に行って、この子がひとりで牛の番をしてるところに、泥棒が来ちゃうんですね。泥棒と云っても、コソコソした泥棒じゃない、仲間の大勢いる、徒党を組んでる泥棒、強盗なんですね。
 その牛泥棒、牛強盗に、かわいそうに、この子、殺されちゃうんですね。殺されて、アープたちの牛、みんな、持ってかれちゃうんですね。
 お兄さんたちが町から戻ってみると、牛が一頭もいない。末っ子の、弟の姿も見えない。どこ行ったんだ、どこにいるんだ、って、みんなで捜してると、その子が殺されて、倒れているのを見つけるんですね。
 で、お兄さんたちは、穴掘って、お墓つくって、この子を埋めてあげるんですね。
 雨が降ってる。そのお墓の前で、雨に濡れながら、お兄さん、ワイアット・アープが、かわいがってた、末っ子の、お墓の前で、悲しむんですね。まだ若いのにな、あんなに彼女に会うの、恋人に会うの、愉しみにしてたのな……。
 泣いてないの。涙は、一滴も、流してないの。苦しそうな、胸のモヤモヤを、懸命にこらえてるような、苦しそうな表情してるんだけど、涙は流してないのね。その代わり、雨が降ってるの。ザア、ザア、ザア……、って、雨が降ってるの。それが、このお兄さんの、涙なのね。
 悲しい、悲しいけれど、きれいな、きれいな場面ですね。すてきな場面ですね。
 それで、このお兄さん、ワイアット・アープは、この町、トゥームストーン云うこの町で、保安官になるのね。ワイアットは、牛追いする前は、保安官だったの、他の町で。名保安官だったのね。それでこの町でも、保安官にならないかって云われたんだけど、最初は断ったの。俺は牛を追って、故郷に帰るんだって云って、断ったのね。それは、末っ子の弟が殺される前。
 末っ子の弟が殺されて、自分たちの牛盗まれて、ワイアットは、この町で保安官になることにしたのね。自分たちの牛取り戻して、末っ子の弟の仇とるために。
 保安官になったワイアット・アープは、この町、トゥームストーンを牛耳っている親分に、渡りをつけよう、この町の実力者に挨拶しよう思うて、酒場に行くのね。
 この町を牛耳っている実力者、それが、ドク・ホリデイ。ドク、云うのは、ドクター、お医者さんのことですね。このドク・ホリデイは、もともとは、東部で開業してた、立派なお医者さんだったんだけど、結核になって、当時は不治の病、云われた結核になって、西部の乾燥した空気が結核にはいいから、云うて、西部に来たのね。
 ところが、西部に来ても、お医者さんはやらなくて、不治の病、結核になった云うんで、すさんで、荒れ果てて、自暴自棄になって、呑んだくれになって、博奕うち、ギャンブラーになって、人殺しまでするようになって、あいつの歩いた後には墓場ができる、なんて、云われるようになったのね。
 そんな物騒な男なんだけれども、根は善人で、アープもこの男のことを好きになって、友だちになるのね。
 ドク・ホリデイは、博奕うち、人殺し、なんだけれども、お医者さん、インテリで、この町に、トゥームストーンに、旅回りの役者が来て、酒場で『ハムレット』のセリフを云ってる時に、この役者が後が続かなくなって、セリフを思い出せなくなったときに、後を引き取って、そのセリフを続けるのね。
 これがいい場面なのね。
 傍にいたワイアットが、ビックリして、こいつ、インテリだな、なんて表情をするのが、とっても面白いね。このあたりの呼吸、ヘンリー・フォンダ、さすがですね、巧いね。
 さて、このドク・ホリデイのことを、好きで好きでたまらない女の子が、東部からやって来るんですね。元はドク・ホリデイのところで、看護婦をやってた女の子、その娘が、ドクを追っかけて、西部まで、このトゥームストーンまで、やって来るのね。
 その娘が、クレメンタイン、云うのね。
 ドクもこの娘が好きなんだけど、自分は結核患ってる、自分は博奕うち、人殺し、もう昔みたいなお医者さんじゃない、とても、クレメンタインみたいな、純情な、かわいらしい、お嬢さんと一緒にはなれない、そう思って、なんでこんなとこ来た、ここはおまえなんかの来るようなところじゃない、さっさと東部に帰れ、云うて、わざと冷たくするんですね。
 それでも、クレメンタインは、帰らないんですね。博奕うってても、呑んだくれてても、人殺ししても、それでもドクは善人だ、ドクはいい人だ、この人は、わざと悪い人を演じているだけだ、そう信じて、ドクを昔のドクに戻そうとするのね。
 ドクには恋人がいて、ドクはそんなにその女のこと、好きじゃないんだけれども、女のほうは、すごくドクのこと、好きなのね。
 その女が、チワワ、云うて、まぁ、かわいらしい、ワンちゃんみたいな名前なんだけど、これが酒場の歌姫、娼婦、なのね。
 クレメンタインが訪ねてきて、ドクが苦しんでるときに、チワワは、なんとかドクを励まそう、元気にさせよう、思うたけど、ドクは、それどころじゃなくて、チワワに冷たくしちゃうのね。
 それで、チワワは怒って、浮気しちゃうの。浮気して、かねてから言い寄って来てたクラントン家の若い人と寝ちゃうの。
 そのとき、クラントン家の、その若者が、チワワに、これ、プレゼントだよ、云うて、ペンダント、あげるのね。
 ところがそのペンダントは、ワープの弟、あの、殺された、末っ子の弟が、故郷の恋人にあげよう、思うて、持ってたものなのね。
 それで、アープがそのことに気づいて、これはどうしたんだ、だれに貰ったんだ、云うて、チワワを問い詰めるのね、ドクも一緒になって。
 チワワは、最初は、ドクにもらった、云うてたけど、それがワイアットの弟を殺した犯人が持ってるもんだって知って、ほんとうのこと云うのね、
 そしたらそのとき、窓の外でそのやり取りを見ていたクラントン家の若者が、バン、って、拳銃撃って、チワワを殺そうとするのね。
 チワワは撃たれたけど、拳銃で撃たれたけど、死ななかったの。急所に命中しなかったんだね。でも、撃たれた、拳銃で撃たれた、重症、重体になっちゃった。
 さあ、どうしよう、えらいことになった、このままじゃこの娘、死んじゃう、どうにかせにゃ、なんとかせにゃ。
 そこで、ワイアットがドクに、おまえ医者だろう、おまえが手術しろ、おまえが手術して、この娘の身体から弾を取り出せ、云うのね。
 ドクは、俺はもう医者じゃない、もう何年も手術なんかしたことない、そんなのムリだ、できない、云うのね。
 でもワイアットは、おまえが出来なきゃ、この娘は死んじゃう、おまえしか出来るヤツはいないんだ、云うて、ドクに、手術させるのね。
 そして、クレメンタインが看護婦になって、ドクを助けて、無事、手術は、成功するのね。
 そして、みんなで、よかった、よかった、手術は成功だ、さすがはホリデイ先生だ、なんて云って、乾杯するのね。
 そのとき、おばさんが、このおばさんは、町の風紀取締委員なんかやってる、かたい、かたい、おばさんなんだけれども、ふだんは、チワワみたいな女がいると、町の風紀が乱れる、ドクのような男がいると、町が物騒になる、なんて、チワワやドクのことを軽蔑して、毛嫌いして、忌まわしく思って、町から追放しよう、なんて、云ってた人なんだけれども、そのおばさんが、ドクのことを、「先生」云うて、チワワを自分ちで面倒見てあげたい、なんて、云うのね。
 いいねぇ。きれいな、とっても、きれいなシーンだね。
 ドクも、なんだ、いままで散々、バカにしてやがったくせに、なんて、云わないのね。サンキュー、ありがとう、云うて、そのおばさんに感謝するのね。
 そうして、外に出て行くと、クレメンタインが、ドクのことを好きな看護婦さんが、後を追っかけてきて、
「ホリデイ先生、わたし、あなたのことを、誇りに思います」
云うのね。
これは、I Love You 云うことなのね。あなたのこと、大好きです、云うのね。
 ドクもそれは解かるんだけど、だけど今の自分は、呑んだくれの、結核もちの、人殺しの、博奕うち、昔のお医者さんじゃない、そう思ってるもんだから、
「ありがとう。チワワは強い子だ」
云うて、わざと、チワワを褒めて、クレメンタインを、このお嬢さんを、突き放して、そして、去っていくのね。
 クレメンタインは、まだあの人は、まだドクは、強がってる、わざと強がって、昔の自分に戻ろうとしない、そう思って、その後ろ姿を見送るのね。
 それを、酒場のカウンター、カウンターの端っこから見てたワイアットが、悲しそうに、寂しそうに、
「なぁ、マック、恋をしたこと、あるか」
云うのね、バーテンに。
 そしたら、そのバーテン、マックは、
「いいえ。バーテン一筋の人生でしてね」
なんて云うのね。
 いいなぁ。きれいだなぁ。巧いなぁ。
 これだけで、このやりとりだけで、この二人の気もち、この二人の思い、このふたりの人生、それが、全部、表現されてるのね。
 ワイアットは、保安官やったり、牛飼いやったり、いろんなことして、一生懸命生きてきて、とっても、恋なんてしてるヒマ、なかった。
 バーテンのマックも同じ。西部に来て、知り合いもいない、友だちもいない、スッカラカンの、裸一貫、そこから、一生懸命働いて、働いて、働いて、やっと、自分のお店、自分の酒場がもてるようになって、とっても、恋なんてしてる時間、なかった。
 ふたりとも、この西部で、一生懸命、一生懸命、働いて、働いて、働いて、とても、女の子と仲良くなる、女の子と手つないで歩く、女の子と遊びに行く、そんなこと、できなかったのね。
 その人生が、全部、解かるの。これだけの会話で。すごいですね。すばらしい脚本、すばらしい演出ですね。
 しかも、そのワイアットが恋してる相手は、クレメンタインは、ワイアットの親友、ドクのことが好きで、大好きで、ドクを追っかけて、東部から、はるばる、西部までやって来た女の子なんですね。
 ワイアットは、クレメンタインのことも好きなんだけど、ドクのことも好き。ドクには、男と男の心意気、男と男の友情、そんなのを、感じてるんですね。
 だから、とても、ドクからあの娘、あのかわいい女の子、クレメンタインを奪ってやろう、そんなふうには、思えないんですね。
 その思いが、その苦しさが、「なぁ、マック、恋をしたこと、あるか」云う、たった一言のセリフのなかに、こめられてるんですね。その、たった一言のセリフの中に、ワイアットの、なんとも云いようのない、なんともやるせない思いが、にじんでるんですね。
 素晴しい場面、ステキな場面、映画史に残る、素晴らしい場面ですね。
 さて、この映画、最後は、アープ兄弟と、クラントン一家との、決闘、果たし合い、銃撃戦になるんですけれども、この、クラントン一家が、アープたちの、末っ子の弟を殺して、まだ小っちゃい、故郷に帰って、恋人に会うのを楽しみにしてた、そんな末っ子を殺して、アープたちが大事に、大事に運んできた、牛を盗んだんですね。
 それで、ワイアットを始めとするアープ兄弟と、クラントン一家が、決闘するんですね、O.K.牧場で。
 この決闘に、この果たし合いに、ドクも、ドク・ホリデイも、参加するの。
 ドクは、チワワの手術が成功して、チワワの手術がうまいこといって、ちょっと自信を取り戻しかけてたのね。ところが、そのチワワが死んじゃった。やっぱり、うまく行かなかった。やっぱり俺は、名医なんかじゃないんだ、もう俺は、昔の、ドクター・ホリデイじゃないんだ。やっぱり俺は、ヤクザな呑んだくれ、博奕うち、人殺しなんだ、そう思って、自棄になっちゃうのね。
 それで、自棄になって、自暴自棄になって、半分、自殺するみたいに、O.K.牧場の決闘に参加するのね。
 それで、その、O.K.牧場の決闘の、その、撃ち合いの、最中に、喀血して、咳き込んで、口から血流して、それで、敵の弾に撃たれて、死んじゃうのね。
 最後、ラスト・シーン、クラントン一家はいなくなっちゃった、町は平和になった、だけど、ドクは死んじゃった、いなくなっちゃった、それでも、クレメンタインは、ドクのことを、心から大好きだった、クレメンタインは、この町に残って、この町で、先生やって、子どもたちを育てて行こう、思うのね。
 アープは、ワイアットは、故郷に帰って、お父さん、お母さんに、このこと話して、いままでのこと話して、気持ちを切り替えて、これから、新しい人生、新しい生き方、しよう、思うのね。
 そのとき、クレメンタインと別れるとき、アープは、
「ぼく、クレメンタイン、云う名まえ、大好きです(I like that name……Clementine)」
 云うて、クレメンタインのほっぺに、キス、するのね。
 そうして、去っていくの。
 まぁ、きれいですね。ほんとに、きれいな、すてきな、ラスト・シーンね。
 この素晴らしい映画、ステキな映画、ジョン・フォードの傑作、『荒野の決闘』、ぜひ、ごらんなさいね。

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| 映ちゃん | 今夜もしねま☆と〜く | 21:52 | - | - |
サウンド・オブ・ミュージック
はい、みなさん、こんばんは。
今日は、『サウンド・オブ・ミュージック』、この映画のお話、しましょうね。
『サウンド・オブ・ミュージック』、これはもう、みなさん、よくご存知ですね。
ミュージカル映画の傑作、とってもきれいな映画、とってもさわやかな映画、とってもステキな映画、ですね。
こないだテレビのニュース番組観てたら、あら、あんたもテレビ観るの? ですって?
まぁ、失礼ね。わたしだって、テレビくらい観ますよ。たまには。
そんなわけで、テレビのニュース番組観てたら、この『サウンド・オブ・ミュージック』の特集、やってるの。あら、どうしたのかしら、イキなことしてるじゃない、なんて思って観てたら、なんと、今年2015年は、この『サウンド・オブ・ミュージック』が出来て、ちょうど、50年になるんだって。
なるほど、この映画は、1965年、昭和40年の映画だから、今年でちょうど、50年になるわけね。
50年と云えば、半世紀、もう半世紀も前になるのね、この映画がつくられてから。
まぁ、古い映画になっちゃったね。
でも、やっぱり、きれいな映画、さわやかな映画、ステキな映画であることには、変わりありませんね、50年経っても、半世紀経っても。
この映画は、オーストリアの、きれいな山並み、あのアルプス連山の、あの綺麗な山並みや、その麓にひろがる、いかにもきれいな町並みを舞台にして、あのアルプスの大自然を、いかにもきれいに、撮影してますね。
この映画を評して、「ミュージカルのキャメラが、大自然に入った」なんて云った人がいましたけど、まさに、そのとおりですね。
それまでミュージカルの映画と云えば、撮影所にセットを組んで、撮影所のなかで、撮影所の中だけで、撮影してたんですね。ロケーションなんて、なかったんですね。それが、この映画で、ロケーション撮影が行われたんですね、ミュージカル映画で。これは、じつに、画期的なこと、斬新なこと、新しいことだったんですね。
1961年に、『ウエストサイド物語』ができたときにも、「ミュージカルのキャメラが、街中に飛び出した」なんて云われましたけど、この『サウンド・オブ・ミュージック』のときにも、同じように云われたのね。
この『サウンド・オブ・ミュージック』の主人公は、マリアさん、と、云って、修道女、シスター、西洋の、キリスト教の教会の、尼さん、その尼さんの、見習い、学生なんですね。
これから一生懸命、お勉強して、聖書、キリスト教のお経を勉強して、お勤めして、説法聴いて、そうして、一人前の尼さん、シスターになる、そんな人なんだけど、まぁ、このマリアさんと云う娘が、トンデモナイ娘さんなのね。
お勉強キライ、お経、聖書キライ、お勤めキライ、説法聴くのキライ、そんな辛気臭いことしてるより、お外行って、踊って、はしゃいで、歌唄ってるのが好き、そんな、ほかの尼さんたちから見たら、とんでもないお転婆娘なのね。
それで、あなた、そんなことではいけません、そんなことでは、立派な尼さん、立派なシスターになれません、なんてお説教するんですけど、このマリアさんは、全然、堪えないのね。
怒られて、お説教されて、そのときは、シュン、と、なってるんだけど、ちょっとすると、もうまた、お外行って、歌って、はしゃいで、そんなことの繰り返しなのね。
それで、シスターたち、尼さんたちが、もうあの娘は手におえない、好い子なんだけど、とっても手におえない、わたしたちではどうしょうもない、なんて、とうとう匙を投げちゃうんですね。
そこで、尼さん、シスターたちは、一計を講じるんですね。
ある日、このマリアさんを呼び出して、あなた、家庭教師、やりなさい、云うんですね。
マリアさんが吃驚してると、トラップさんと云う軍人さんのお家が、お母さんがいなくて、子どもさんたちの面倒見る人を探してる、あなた、そのお家に行きなさい、あなたみたいな子は、厳しい軍人さんのお家で、厳しくしてもらわなくてはいけません、なんて云って、ムリヤリ、この娘さん、尼さん見習いのマリアさんを、軍人さんの家の、家庭教師にしちゃうんですね。
まぁ、そんなのイヤ、そんなのイヤ、軍人さんのところなんて、そんなところ、軍隊みたいなところに決まってる。そんなところ行ったら、もうお外出て歌えない、勝手にお外に出て、歌ったり、踊ったり、はしゃいだりできない。イヤだ、イヤだ、イヤだ。
でも、とうとう、マリアさんは、この軍人さん、トラップさんのお家に行くことになるのね。
そのときマリアさんは、これからの自分を勇気づけるように、歌を歌うのね。
マリアさんを見送るシスター、尼さんたちも、「神さま、マリアをお見守りください」なんて歌うのね。
いい場面ですね。きれいですね。
厳しいけれども、恐いけれども、それでも、このシスター、尼さんたちは、やっぱり、マリアのことを気にかけて、心配してるのね。マリアのことが好きなのね。マリアに、立派なシスター、尼さんになってもらいたい、思ってるのね。
そう思って、わざと、厳しい軍人さんのお家に、家庭教師として、送り出すのね。
さて、マリアさんは、その軍人さん、トラップさんのお家に着いて、お父さんと会って、お父さんに、お家のこと、教えてもらうのね。
あぁ、君がマリア君か、よろしく頼むよ、家は子どもが多くてね、大変だろうが、しっかりやってくれたまえ、なんて云って、よし、じゃあ、子どもたちに引合わせよう、云うて、スッ、と、椅子から立つと、呼子笛を出して、ピー、って、鳴らすのね。
マリアさんが吃驚してると、二階の部屋のドアが、バタバタバタ、って、開いて、子どもたちが、ドタドタドタ、って、部屋から出てきて、ダンダンダン、って、階段を駆け下りてきて、お父っつあんの前に、ピタッと並ぶのね。きれいに、整列するのね。
そして、お父っつあんが、今度来てくれた先生だ、なんて、マリアを紹介して、みんな、ご挨拶しなさい、なんて、云うのね。
そしたら子どもたちが、一番年上の娘が、一歩前に出て、ご挨拶するのね。
そしてその娘が一歩下がって元の位置に着くと、今度は次に大きい子が、また一歩前に出て、ご挨拶するのね。
それがすむと、その子もまた一歩下がって、元の位置について、今度は……。
云う具合に、みんなが先生、マリアさんにご挨拶するのね。
それを見てマリアさんは、もう吃驚仰天、なにこれ、まるで軍隊じゃない。そう思うのね。
あぁ、エライ大変なところに来てしまった……、そう思うのね。

それでもマリアさんは、一生懸命頑張って、だんだん、子どもたちと仲良くなって、いろんなお話しするようになるんだけど、あるとき、このお家では、歌唄っちゃいけない、って、聞くのね。
このお家では、歌を唄っちゃいけないんだ、亡くなったおっかさんが歌が好きで、しょっちゅう歌ってたんだけど、そのおっかさんが亡くなって、歌うと、その、亡くなったおっかさんのことを思い出して辛いから、歌唄っちゃだめだ、って、お父っつあんが云うんだ、云うのね。
そしたらマリアさんが怒って、まぁ、なんてひどい、なんてひどいんでしょ、歌唄っちゃいけない、なんて、そんなのひどい、ひどい。
歌を唄うのは素晴らしいこと、ステキなことなのに。
イヤなこと、ツラいことがあったとき、歌を唄ったら、そのイヤなことも、ツラいことも、みんな吹き飛んで、みんななくなって、とっても仕合せになれるのに。
愉しいこと、嬉しいことがあったとき、そんなときに歌を唄うと、その愉しみが、その嬉しさが、もっと、もっと、愉しく、嬉しくなるのに。
なのに、歌を唄っちゃいけないなんて、そんなのひどい、そんなのひどい……。
そこでマリアさんは、一計を講じるのね。
マリアさんはお父っつあんに、子どもたちをピクニック、ハイキングに連れて行きたい、云うのね。
お父っつあんは、うん、ピクニックか、ハイキングな、うん、それはいい。軍人の子どもたるもの、つねに身体を鍛えておかねばならん、ピクニック、ハイキングは、身体を鍛えるにはいいことだ、行きたまえ、行きたまえ、なんて云って、喜んで、賛成するのね。
さぁ、子どもたちは大はしゃぎ。長いことお外に出るなんてこと、なかった。お外に出て、山の中の、大自然の中で、厳しいお父っつあんのいないとこで、みんな遊んで、はしゃいで、お弁当食べて、愉しむのね。
マリアさんはそんな子どもたちを見て、ほんとうに仕合せそうに、ニコニコしてるのね。
そしたら一人の子どもが、先生が、マリアさんが、なんか変なもの持ってるのに気づいて、先生の傍に来るのね。
先生、変なもの持ってる、見たことないもの持ってる、あれなんだろう、お弁当箱かな? おもちゃ箱かな?
先生、それなに? それ、なにが入ってるの? 云うと、先生、マリアさんは、これ? って、悪戯っ子みたいな微笑みを浮かべて、とっても素晴らしいものよ、って云って、その入れ物開けるのね。
そこから出てきたのは、ギター、なのね。
マリアさん、お父っつあんに内緒で、ギター、持ってきたのね。
そして、さぁ、みんなで歌いましょう、云うのね。
そしたら子どもたちは、ダメだよ、お父っつあんに、歌っちゃいけない、歌ったりしたら、お父っつあんに叱られるよ、云うんですね。
大丈夫よ、ここならお父っつあんにバレないわ。だから安心して、みんなで歌いましょう、云うのね。
子どもたちも喜んで、歌おうとするんだけど、でも先生、ぼくたち、歌なんて知らないよ、歌なんて、どうやって歌うの、どうすればいいの、云うんですね。
マリアさんは、簡単よ、こうすればいいの、云うて、ギターを弾いて、歌い出すんですね。
それが有名な、『ドレミの歌』ですね。
しばらく聴いていた子どもたちも、あぁ、これなら歌える、これなら歌える、云うて、みんなで、この『ドレミの歌』を、歌うんですね。
いいですねぇ。きれいですねぇ。とっても、ステキな場面ですね。
オーストリアの、アルプスの、真っ白な雪が見える山の中、大自然の中で、子どもたちと先生が、一本のギターで、一緒の歌を唄う。愉しそうに、嬉しそうに、みんなで歌う。
とってもステキな、とっても素晴らしい場面ですね。

お父っつあんは、歌を唄っちゃいけない、云うたけれども、それは、歌がキライなんじゃなくて、歌を唄うと、亡くなったおっかさん、大好きだった嫁さんを思い出して辛いから、歌唄っちゃだめだ、云うてたんですね。
ほんとはお父っつあんも、歌は大好きなんですね。
それで、このお父っつあんと、先生のマリアが、だんだん、だんだん、仲良くなってきて、だんだん、だんだん、お互いのことが解かって来て、そうしてとうとう、このふたり、結婚することになるんですね。
子どもたちも、みんなこの結婚に、この縁組に賛成して、このお家が、トラップ家が、とっても仕合せに、とっても和やかに、とっても幸福に、なるんですね。
ところが、そこに、ナチがやってくるの。

隣の国のドイツ、ナチが、ナチスが、軍隊を繰り出して、オーストリアを、乗っ取っちゃう、オーストリアを、併合しちゃうんですね。
お父っつあんは、軍人だけれども、ナチは嫌い、大嫌い、ナチが、オーストリアの全部の家の軒先に、ナチの紋章、ハーケンクロイツ、鉤十字の紋章の旗を掲げろ、なんて指令を出したときは、そのナチの旗、ナチの紋章、ハーケンクロイツ、鉤十字の紋章の旗を、ビリビリ、って、破り裂いた、それくらい、ナチが嫌いなんですね。
そのナチが、ナチスが、軍隊を繰り出して、ムリヤリ、力づくで、オーストリアを併合したけれども、俺たちはなにも、野蛮人じゃない、おれたちだって、文化的なんだ、それを教えてやろう、なんて、考えて、音楽会を開くんですね。自分たちも、音楽に理解があるんだ、そういうことを示そうとして、音楽会を開くんですね。
その音楽会に、トラップ一家を招くの。招く、と、云うよりも、出ろ、出場しろ、云うて、強制するのね。
ナチの圧力だから、この音楽会には出なくちゃいけない、でも、ナチの支配する、ナチに併合されたオーストリアにはいたくない、オーストリアのことは好きだけれども、ナチに支配された、ナチに併合されたオーストリアは、ほんとうのオーストリアじゃない、こんな、ナチに支配された、ナチに併合されたオーストリアは出て行って、オーストリアが、ほんとうのオーストリアになれるよう、頑張ろうじゃないか、そう云って、お父っつあんは、オーストリアを出て行こうとするのね。
マリアさんや子どもたちに、そのことを話すと、みんな、マリアさんも、こどもたちも、お父っつあんに賛成するのね。賛成するけれども、音楽会には、出なくちゃいけない。じゃあ、その音楽会が終わったら、みんなでオーストリアを出て行こう、みんなでアメリカに行こう、云うことになるのね。
それで、その音楽会、ナチス主催の音楽会に、トラップさんの一家は、出るんだけれども、そこで、お父っつあんは、『エ―デルワイス』を、歌うのね。
エーデルワイスは、オーストリアの国花、国の花、なのね。
それは、ひまわりや菊みたいな、堂々とした花じゃないの。チューリップみたいな華やかな花でもないし、桜みたいな絢爛な花でもない、それは、アルプスの高原にひっそりと咲く、小っちゃな、小っちゃな花、小っちゃな、小っちゃな花だけれども、それは、とってもきれいな花、小っちゃくて、真っ白で、とっても、とっても、きれいな花。
オーストリアも、そんな国、小っちゃくて、小っちゃくて、大きな、大きな、ナチスに併合されちゃったけれども、それでも、オーストリアは、きれいな国、すてきな国、とっても、とっても、素晴らしい国、この『エーデルワイス』は、そんな歌なのね。
お父っつあんは、この歌を唄ってる最中に、涙ぐんで、涙が出てきて、声がつまって、歌えなくなっちゃうのね。
オーストリアはいい国、オーストリアは素晴らしい国、オーストリアはとってもきれいな国、そう思って歌ってたんだけど、そのオーストリアは、ナチスに併合されちゃった、ナチスに占領されちゃった、もうステキなオーストリア、素晴らしいオーストリア、きれいなオーストリアはなくなっちゃった。もうオーストリアはないんだ、なくなっちゃったんだ。
そう思うと、悲しくなって、悲しくなって、歌えなくなっちゃうんですね。
舞台の上で、涙出てきて、声がつまって、歌えなくなったお父っつあんに、会場から、客席から、マリアさんが立ち上がって、後を続けるんですね。マリアさんが、おっかさんが、お父っつあんの後を引き継いで、お父っつあんの後を、歌い継ぐんですね。
そしたら、今度は子どもたちが、歌い出すんですね。
そうして、お父っつあんも、勇気づけられて、元気になって、これじゃいかん、思うて、また、歌い出すんですね。

♪エーデルワイス エーデルワイス 真っ白な花よ
 清く揺れる 雪に咲く花

そしたら、会場中が歌い出すんですね、会場に来ていた、オーストリアの人たちが立ち上がって、

♪香れ朝の風に 永久に咲けよ

そして、みんなが、声を揃えて歌うんです。

♪エーデルワイス エーデルワイス
 祖国の花よ

みんなが、会場中のみんなが、歌うんですね。
みんなが、会場中のみんなが歌う、その歌声の中に、

トラップさん、大丈夫ですよ。
オーストリアは、けっして、なくなったりしませんよ。
みんな、オーストリアが、大好きなんですよ。
みんな、オーストリアを、忘れませんよ。
ナチに併合されても、わたしたちは、オーストリアを、忘れませんよ。
あなたがたが、わたしたちが、この素晴らしい国、このステキな国、このオーストリアを忘れないかぎり、オーストリアは、絶対に、なくなったりはしませんよ。
だから安心して、アメリカへお行きなさい。

そんな気もちが、聞こえてくるんですね。
オーストリアを、自分たちが生まれ育ったこの国を、愛し、慈しみ、誇り、いつまでも忘れまいとするその心に、周辺を警備していたナチの連中も、手も足も出ないでいるんですね。
まぁ、きれいな場面、すてきな場面、素晴らしい場面ですね。
国の素晴らしさ、国の偉さ、国の偉大さは、まさに、軍隊が強いか、領土が広いか、そんなことにあるんじゃない、国の素晴らしさ、国の偉さ、国の偉大さは、いかにその国を愛している人がいるか、いかにその国を慈しんでいる人がいるか、いかにその国を大事に思っている人がいるか、そこにあるんですね。
そしてその思いは、決して、強制や、圧力なんかで、ムリヤリ植えつけられたりするもんじゃないんですね。
いくらナチが、ナチスが、軍隊の力で、今日からおまえたちはドイツ国民だ、だからドイツを好きになれ、ドイツの国を、いい国だ、思え、云うても、とても、そんなことはできませんね。
愛国心、なんて云うのは、そんなものじゃありませんね。
その国の文化、その国の自然、その国の歴史、そう云ったものが、ほんとうに、心の底から、あぁ、いいなぁ、素晴らしいなぁ、すてきだなぁ、思うたときに、その国に対する愛情、その国を大切に思う気持ち、この国に生まれてよかった、この国に育ってよかった、この国のためになにかしたい、そんな気もちが、芽生えてくるんですね。

それと、この映画で素晴らしいのは、トラップさんとこでは、なにか、みんなで、こうしよう、ああしよう、なんてことを決めるときに、子どもたちも一緒になって、その意見を聞くのね。
ふだんはお父っつあんが、ああしなさい、こうしなさい、云うけれども、大変なとき、一大事のとき、これまでとは大きく物事が変わるときには、子どもたちにもそのことを話して、子供たちの意見を聞いて、それから決めるのね。
お父っつあんがマリアさんと結婚しよう、云うたときも、みんなでアメリカに行こう、云うたときも、みんなで決めたんですね。みんなで、子どもたちもみんな入って、決めるのね。
そのとき、一人でも、たった一人でも、反対したら、それは、なしになるのね。
いちばん小っちゃい、いちばんチビの子でも、その子が反対したら、それはなしになるのね。
すばらしいですね。素敵ですね。みんなにかかわることは、みんなで決める。お兄さんも、お姉さんも、妹も、弟も、チビちゃんも、お父っつあんも、みんな、同じ人間、同じ一人、として、見なされるんですね。
お父っつあんも、賛成しなさい、なんて、云わないのね。チビちゃんも、イヤだ、イヤだ、なんて、ダダこねないのね。
こうだからこうなんだ、でもこうなんだから、こうでしょ、なんて、みんなで話し合って、結論を出すんですね。
それを、みんなが納得するまでやるの。みんなが、いちばん小っちゃいチビちゃんも、心の底から納得できるまでやるの。どうしても納得できなかったら、それはなしになっちゃうのね。
まぁ、なんてステキなんでしょ。なんて素晴らしいんでしょ。なんて立派なんでしょ。
これこそ、民主主義、これこそ、自由、ですね。

そんなわけで、この『サウンド・オブ・ミュージック』、これは、とってもステキなミュージカル映画ですけれども、それだけじゃない、人間が生きて行くうえで、とっても大切なこと、とっても大事なことを教えてくれる、とってもステキな映画ですよ。
この素晴らしい映画、『サウンド・オブ・ミュージック』、ぜひ、ご覧なさいね。

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| 映ちゃん | 今夜もしねま☆と〜く | 10:37 | - | - |
10月最終水曜のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(ピリ辛きゃら蕗)、高野豆腐の含め煮、ほうれん草のお浸し


思えば高野豆腐と云うものは、調法な食材である。
時間が経っても、いや、時間が経つごとに、味が染みて、けっこうなものになる。
煮物、炊物、漬物、焼物……、すべて和食は、サイコーの食べ物、調理法、である!
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:10 | - | - |
10月最終水曜のひとりめし(朝)
玉子麦飯、インスタント味噌汁、味付海苔


思うところあって、今日の朝飯は和風にしてみた。
と、云っても、大したことじゃない。
このほうが、時間の節約になる、と、思ったからである。
思ったとおり、洋風の朝食にするよりは、このほうが、手っ取り早い。
問題は、焼鮭の1尾も欲しいところなのに、そうもいかないところである。
まぁ、そのことは、おいおい、考えていくことにしよう。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:04 | - | - |
こ、これはまた……
アクセス解析を開いてみて、驚いた!
な、なんと、昨日のアクセス数が、923と、900台を上回っているではないか!?
もちろんこれは、いままでの最高記録である。
執筆者一同、大いに感激した!
思えば最近は、ろ〜りぃが体調不良で“ろ〜りぃの食卓”をアップできず、その分各人が、それなりにネタを拾って、このブログを続けてきた。
その思いが、みなさまにも伝わったのであろう。
いやいや、そんな小理屈はどうでもいい。
ただただ、嬉しいだけである。
これからも、執筆者一同、大いに頑張りますので、これからも、相変わらぬご愛顧を、よろしくお願いするものでありますm(__)m
| Woody(うっでぃ) | 投稿者より | 21:10 | - | - |
これはこれとてひとりめし(晩)
玉子麦飯、サバ味噌缶とキャベツの味噌炒め、小松菜と厚揚げの煮浸し、カボチャの煮物、オクラとなめこのお浸し、納豆、もずく、味付海苔


今日も食事前に、晩酌(熱燗2合)。
これからいよいよ寒くなると、ますますもって、晩酌が愉しみになる。
それにしても、平日に酒を飲むのは、じつに数年ぶりである。下手すると、十年近くになるかも知れない。
我ながら、よく飲まなかったものだ。かつては、飯を食わないことはあっても、酒を飲まないことはなかったのに……。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:08 | - | - |
いわゆるひとつのひとり弁当(昼-弁当)
麦飯(たらこふりかけ)、高野豆腐の含め煮、ほうれん草のごま和え


取り立てて旨くはないが、食べられないほど不味くもない。
量も、満腹、満腹、腹一杯、とはいかなくとも、決して少なくはない。
なのに午后3時頃になると、総菜パンを買いに行く。
ストレスが食い気に変化しているのではないことを祈るばかりである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:04 | - | - |
これまたひとつのひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、ポタージュ・スープ、インスタント・コーヒー、ヨーグルト


これまた久しぶりの朝食である。
バナナやジュースがないのは仕方ない。とりあえず、スープが加わった。
それにしても、朝はせわしない。
これから次第次第に、布団から出るのが辛くなるだろうから、いよいよ朝の時間がせわしなくなりそうである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:01 | - | - |
ほぼ2週間ぶりのひとりめし(晩)
玉子麦飯、サバ味噌缶とキャベツの味噌炒め、小松菜と厚揚げの煮浸し、カボチャの煮物、オクラとなめこのお浸し、納豆、もずく、味付海苔


久しぶりではあっても、献立は変り映えしていない。
久しぶりなので、味つけが全体に濃くなってしまった。
モロヘイヤは夏のものらしく、スーパーで見かけなくなった。クックパッドで調べてみると、オクラとなめこのお浸し、と、云うのがあったので、つくってみた。
納豆と云い、オクラと云い、モロヘイヤ、なめこ、と、ネバネバ系の食べ物は、身体によろしい。
あ、写真にはないが、晩酌に熱燗を2合、飲んだ。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:58 | - | - |
ほぼ2週間ぶりのひとりめし(昼‐弁当)
麦飯(梅干し)、高野豆腐の含め煮、ほうれん草のごま和え


ほぼ2週間ぶりのひとりめし、とは云っても、その間大勢で食事したり、二人っきりで食事していたわけでないのは、もちろんである。
気力がなくて、つくらなかっただけのことである。
久しぶりにつくると、やはり味が安定しない。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 20:53 | - | - |
お化けなんてないさ
むかし、
♪お化けなんてないさ、お化けなんてウソさ……
と、云う唄があった。
現在でもあるのかもしれない。

或る人の本に、こんなことが書いてあった。
息子さんを連れて遊園地のお化け屋敷に入ったときのことである。
「前に来たときには、お化けが怖くて泣いていた息子が、今度は、
『お化けなんていないんだ、お化けなんていないんだ』
と、必死になって、自分に言い聞かせている。」
そして――
「息子は自分自身にそう言い聞かせることによって、内心の恐怖と、懸命に闘っている」

大人でも、或ることに遭遇して重圧を感じると、
「なに、こんなこと、大したことじゃない」
と、思いこもうと努める傾向がある。

自分の力では払い除けることができない重圧を、せめて少しでも緩和しようとする衝動から習得した、自己防衛反応の一種、と、云えるかもしれない。

7%を目指していた中国の経済成長率が、6.9%だった、いよいよ中国経済の破滅だ、いや、それもウソで、実は中国の経済成長率は、3%程度なのだ、と、騒いでいる国がある。

ほんとうは怖いくせに、あえてその怖さを抑えつけようとして、
「♪お化けなんてないさ、お化けなんてウソさ」
と、唄って、必死に内心の恐怖心と闘っている子どもみたいで、じつに微笑ましい。
| 遊冶郎 | 気まぐれなコラム | 11:38 | - | - |
『かわいい女』未全訳
そんなことではないか、と、薄々感じてはいたものの、やっぱり、自分の有っているチャンドラーの『かわいい女』は、厳密な意味での、全訳ではなかった。
ショックである……。
| 築山散作 | 投稿者より | 00:53 | - | - |
悪魔の真実4
女性がよく口にする
「やさしい人が好き」
と、云う言葉には、
“わたしだけに”と云う言葉が、隠されている。
| 遊冶郎 | 悪魔のつぶやき | 00:40 | - | - |
西園寺公望2
立命館大学は、明治2年、西園寺が開いた私塾が源流となっている。
開祖が総理大臣を務めた大学は、早稲田大学以外では、この立命館大学くらいだろう。
| Woody(うっでぃ) | ちょっと一言 | 16:07 | - | - |
悪魔の真実3
「政治的公平性」あるいは「政治的中立性」とは、政府や与党に対する批判をしないこと、である。
| 遊冶郎 | 悪魔のつぶやき | 11:35 | - | - |
黒澤&三船+……
クロサワと云えばミフネ、ミフネと云えばクロサワ……。
と、云うくらいであるから、三船さんのデビュウ作が、黒澤監督による『酔いどれ天使』である、と、誤解されているのも、やむを得ないかも知れない。
しかし、三船敏郎さんのデビュウ作は、黒澤監督の先輩にして親友である、谷口千吉監督の『銀嶺の果て』である。
その間のエピソードが面白い。
谷口監督はその頃、『銀嶺の果て』に出演させる三人組の銀行強盗役のひとりのキャスティングに行き詰っていた。
その役は、若く、猛々しく、いかにもふてぶてしい男でなければいけなかった。
線の細い“二枚目”ばかりの俳優たちのなかに、谷口監督の思い描くような男はいなかった。
或る日小田急線の車内で、谷口監督は、思い描くイメージにぴったりの男を見かけた。
「あれだよ、ああ云う男が欲しいんだ」
傍らにいたプロデューサーにそう云うと、
「ああ、あの男なら、うちの新人だよ。でもありゃダメだよ。面接試験のときに、『数人くらいなら、喧嘩しても、コテンパンにしてやります』
なんて、云ってたヤツだからな。
ありゃダメだよ。途中でいなくなっちゃうよ」
それが、三船さんだったのである。
「男のくせにツラで飯を食うのは嫌なんです。ぼくは撮影部の空きを待っているだけなんです」
と云う三船さんを、谷口監督は必死に口説き落とした。
「どうだい、会社がいくら出すか分らないが、この映画に出てくれたら、出演料とは別に、背広を一着、プレゼントしようじゃないか」
戦後直後の時代である。当時三船さんは、除隊時にもらった毛布をご自分で手縫いされておつくりになられた服を着ておられた。
背広一着に心を動かされたわけではないだろうが、三船さんは『銀嶺の果て』へのご出演をご承知なされた。
その三船さんが、どうして黒澤さんの映画にご出演なされることになったのか、そのへんの経緯について、谷口監督はおっしゃっておられる――、
「黒澤なんてヒドイんですよ。ぼくが『銀嶺の果て』で彼を使うと決めたときに、
『千ちゃん、バカだなぁ、大事な初監督の作品に、あんな得体の知れないヤツを使うなんて』
って、云ってたくせに、撮影が進むにつれて、三船ちゃんに惚れこんでしまって、
『なぁ千ちゃん、あれ(三船さん)、いいなぁ。こんどあれ、貸してよ』
なんて云って、持ってっちゃって、いまだに返してくれないんだから」
と、笑っておられた。
もし黒澤監督が、旧友であり、恩人でもある谷口氏に遠慮していたら、“世界のミフネ”は存在しなかったかもしれない。
いや、“世界のミフネ”は存在していても、“世界のクロサワ”は存在せず、その代わり、“世界のタニグチ”が、存在していたかも知れない。
そんなことを微塵も感じさせず、黒澤さんと三船さんのご活躍を、嬉しそうに目を細めて語られる谷口千吉氏の映画は、残念ながら拝見したことはないが、きっと、素晴らしい作品に違いない、と、このエピソードを知れば、みな思うに違いない。
| 映ちゃん | 人物往来 | 09:38 | - | - |
『王様と私』
はい、みなさん、こんばんは。
今日は、『王様と私』、この映画のお話、しましょうね。
『王様と私』、これは、もともとは、ブロードウェイのミュージカルとして、発表された作品ですね。
ブロードウェイのミュージカルとして発表されて、ブロードウェイの舞台で上演されて、それで、それがあんまりにも素晴らしかったので、これを映画にしよう、映画にしよう、云うて、映画化されたのが、この、『王様と私』ですね。
これが映画になる前、ブロードウェイの舞台で上演されてたとき、王様の役を演じていたのが、ユル・ブリンナーですね。
このユル・ブリンナーが、とっても素晴らしかったので、映画にするときでも、あの王様はユル・ブリンナーじゃなくちゃいかん、ユル・ブリンナーこそ、あの王様だ、なんて云って、映画でも、この王様を、ユル・ブリンナーが、演じることに、なったのね。
それで、この王様になったユル・ブリンナーが、その演技が、とっても素晴らしかったので、ユル・ブリンナーは、この映画で、1956年(昭和31年)のアカデミー主演男優賞を獲得しました。
まぁ、ほんとうに、ユル・ブリンナーの王様か、王様のユル・ブリンナーか、そんなふうになったのね。
そんなわけで、ユル・ブリンナー、この王様役で、いっぺんに有名になったんだけど、さぁ、困ったことができた。
それは、ユル・ブリンナーは、この王様役を演るのに、東洋の、いかにも、東洋風の、そんな、エキゾチックな雰囲気をだそうとして、頭を、ツルツルに剃ったのね。
頭をツルツルに剃って、スキン・ヘッドにして、いかにも、東洋風な、王様の雰囲気をだそうとしたのね。
それが受けて、大いに受けて、みんなが拍手喝采して、そのツルツル頭、スキン・ヘッドが、とうとう、ユル・ブリンナーの、トレード・マークになっちゃったのね。
それでとうとう、ユル・ブリンナーは、髪を生やせなくなったのね。毎日毎日、お風呂で、自分で、頭の毛を剃って、ツルツルにしてたんですね。
それで、ユル・ブリンナーと云えば、ツルツル頭、ツルツル頭と云えば、ユル・ブリンナー、それくらい、有名になったのね。
その、ユル・ブリンナーを有名にした『王様と私』、これは、本当にいた王様、昔のシャム、現在のタイに、実在した王様を、モデルにしてるのね。
その王様は、ラーマ4世と云って、まぁ、マーガリンみたいな名前だけど、これがとっても、すごい王様なの。
この人は1851年から1868年まで、タイの王様だった人なんですね。
1851年と云えば、中国では洪秀全の太平天国の乱が起こり、フランスではルイ・ボナパルト、後のナポレオン三世がクーデターを起こして、日本では2年後に、ペリー提督の率いるアメリカ合衆国艦隊、いわゆる黒船が来た頃なのね。
そして1868年と云えば、日本は王政復古して、明治維新政府が出来た年なのね。
まぁそんな物騒な時期、そんな大変な時期に、この人は、国王だったのね。
それで、世界的にそんな物騒な時期に、この人は、タイも、いつまでもこのままじゃいかん、西洋文明のよいところを採り入れて、国を新しくしなくちゃ、なんて思って、イギリスと通商条約を結んで自由貿易を進めたり、仏教を近代風に改革したり、農商業を励行して生産を増やしたりしたのね。
そんな改革のなかで、これからは、王子や王女たちにも、西洋風の教育をしなくちゃならん、云うので、イギリスから、家庭教師を招くのね。王子や王女たちの教育を委せる、家庭教師を、イギリスから雇うの。
そうしてやってきたのが、アンナ・レオノーウェンズ云う人なのね。
この人がそのときのことを小説に書いた『アンナとシャム王モンクット』と云うのが、ミュージカルになって、『アンナとシャム王』になって、これが、シャム王の、ユル・ブリンナーが、あんまり素晴らしいので、最初は、家庭教師のアンナが主人公だったんだけれども、ユル・ブリンナーがあんまり素晴らしいので、主人公が逆転して、王様が主人公になっちゃって、『王様と私』になって、ついにとうとう、映画にまで、なったんですね。
この『王様と私』の場面で、すごく好きな場面があって、それは、王子や王女たちに、アンナが、雪のことを教えてるの。
アンナは、王子や王女に、雪のことを教えるんだけど、ここは、タイの国、熱帯の国、そんなの、見たことない、そんなの、聞いたことない、みんなそう云うのね。
王子や王女は、まだこの先生に、アンナに、反撥してて、この先生を困らせてやろう、そう思ってるのね。
それで、
「先生は嘘つきだ、先生は嘘つきだ、そんな白いのが、空から降って来るもんか」
教室が騒然となって、アンナが困ってるとき、王様が入って来るの。王様が、ユル・ブリンナーが、さて、子どもたちはちゃんと勉強してるかな、なんて思って、教室に入って来るの。
そしたら、教室が騒がしい、王子や王女が騒いでる、アンナが困ってる、いったいどうしたんだ、訳を訊いてみると、
「お父さん、お父さん、アンナは嘘つきだよ、アンナは嘘つきだ。空から白いものが降って来るって云うんだ。そんなの嘘だよね」
云うんですね。
王様が、ユル・ブリンナーが、アンナに訊いてみると、
「雪のことを説明してたんです……」
云うんですね。
すると、ユル・ブリンナーは腕を組んで、
「雪か。ウン、昔、若い頃に見たことがある。山の上にある、白い帽子のようなものだった」
云うんですね。
そしたら子供たち、王子や王女たちが、
「ほら、やっぱり先生は、アンナは嘘つきだ。そんな山の上にあるもんが、降ってきたりするもんか」
騒ぐんですね。
そしたら王様が、ユル・ブリンナーが、
「静かにしなさい」
云うて、王子や王女たちを、叱るんですね。
そして、
「知らないことを学ぶからこそ、学ぶんだ。知ってることだったら、学ぶ必要はない」
云うんですね。
いいセリフですね。
学ぶこと、知ること、教えてもらうこと、そのことに、どれだけ謙虚になってるのか。
知ることはすばらしいこと、とっても、ステキなこと、いままで自分が知らなかったことを知ること、それがどれだけ素晴らしいことか、素敵なことか、それを教えてくれるのは、どれだけありがたいことか。
いまの日本の教育は、この根本がないんじゃないか、そんな風に思いますね。
この場面の後で、いかにもミュージカルらしく、ユル・ブリンナーの歌が始まるんですね。
その歌は、
「いままで自分が信じてきたことは何だったのだ。いままで自分が信じていたこと、それが覆ってしまった。しかし、いままで自分が信じていたことの方が間違いで、いま教えられたことのほうが正しいように思われる。いままでのわたしはなんだったのだ」
云うんですね。
これはすばらしいですね。いままでの自分は間違っていた、と、認める、勇気がありますね。新しいことを学ぼう、知ろう、とする、度胸がありますね。
素晴らしい場面ですね。
そして、この王様は、イギリスと通商条約を結んで、イギリスからアンナを家庭教師に招いて、いかにも西洋風な王様なように思われますけど、心の底には、やっぱり、昔風の、タイの、東洋風の、考えが、残ってるんですね。
そんな王様を、なんとか、西洋風の、文明的な王様にしたい、アンナは、この王様を、だんだん、だんだん、好きになっていって、そんな風に思うように、なるんですね。
そこで、アンナは、この王様を、ダンスに誘うんですね。
ダンス、と、云っても、社交ダンス、そんなんじゃないの。
とっても素晴らしい、本当に、いかにも人間らしい、本当に素敵なダンスなんですね。
「思い浮かべてごらんなさい。
 星々がまたたく、静かな夜。
 あなたの腕に抱かれたいと思う女が、精一杯美しく着飾って、あなたの前にいる。
 あなたは正装して、彼女を迎えている。
 聞こえるでしょう? 胸の高鳴りが。
 あなたは優しく彼女の肩に手をまわし、
 彼女はあなたの腰に手を添える。
 さぁ、踊りましょう。
 ふたりで愉しく、踊りましょう」
そうして、あの有名な、“Shall we dance”のメロディーが流れるんですね。
このダンスが、素晴らしいのね。
アンナは、イギリスの上流の婦人。ダンスの作法も礼儀も知ってる。
でも、王様は、古い、古い、シャムの王様。
王様はステップもターンも知らない、力強い、野性的な、バーバリズムそのもの、それでも、音楽に合わせて、いかにも、愉しそうに、ダイナミックに、踊るんですね。
そして、踊ってるうちに、なんとも云えん愉しい気分になって、とっても素敵な気分になって、
「あぁ、これが、西洋文明だ。これが、西洋文明の、すばらしさだ」
なんて、思うんですね。
イイですね。素晴らしい場面ですね。
堅苦しい学問、歴史とか、物理とか、化学とか、数学とか、文学とか、そんなんじゃなくて、音楽、ダンスで、西洋の文化の、いちばん大事な、いちばん素晴らしいところ、人間は、みんな同じ人間なんだ、王様も、家庭教師も、西洋の人間も、東洋の人間もない。人間はみんな同じ。男も、女も、王様も、農民も、商人も、貴族も、みんな、みんな、音楽聴けば、愉しい気持ちになって、仕合せな気分になって、みんなウキウキして、踊りだしたくなるんだ。それはとっても、すばらしいことなんだ。それを解らせてくれる、とっても、すばらしい場面なのね。
この映画の最後、ラスト・シーン、ユル・ブリンナーの王様は、病気になって、床に着いて、もうダメ、もうダメ、いよいよ、この王様も、息を引き取る、そんな最後のシーンに、この、ユル・ブリンナーの王様は、長男をベッドの傍に呼び寄せて、
「これからはおまえが王様だ。おまえの思ったとおりにやりなさい」
なんて、遺言するのね。ユル・ブリンナーの王様はまだ生きてるけど、そう云うのね。
そしたら、この、新しい王様、ユル・ブリンナーの王様の長男が、新しい王様だ、これからはこの人が王様だ、云うんで、兄弟姉妹が、みんな、跪くのね。
跪いて、この新しい王様、自分たちのお兄さんに、敬意を表すのね。
自分たちのお兄さんだけど、王様だ、王様だから、敬意を表して、跪かなきゃならない、みんなそう思って、跪くのね。
そしたらこの王子は、新しく王様になった、この王子は、アンナから、西洋風の教育を受けてるから、そんなのおかしい、そんな、兄弟姉妹が、同じ兄弟姉妹に跪くなんておかしい、そう思うのね。同じお父さん、お母さんから生まれた、同じ兄弟姉妹じゃないか。
一緒に遊んで、一緒に勉強して、一緒に泣いて、一緒に笑って、一緒にいた兄弟姉妹じゃないか。
なのになんで、その兄弟姉妹を、跪かせなきゃいけないのか。
でもそれが、昔からの、タイの、風習、しきたりなのね。
新しく王様になったその子は、ベッドの上で、病気になって、死にそうになってるお父さん、ユル・ブリンナーのほうを見るんですね。
そしたら、ユル・ブリンナーは、死にそうになりながら、死の床から、
「これからは、おまえが王様だ。おまえが思うようにやりなさい」
云うのね。
そしたら、その新しい王様、まだ幼い、その王様は、
「みんな、立つんだ。跪く必要なんてない。
 ぼくらは同じ人間じゃないか。
 同じ人間が、同じ人間に、跪く必要なんてない」
そう云うんですね。
そう云って、ふっと、お父さん、死にかけてる、ユル・ブリンナーのほうを見るんですね。
やっぱり、ちょっと、気になってるんですね。
そしたら、ユル・ブリンナーは、いかにも、満足したような、いかにも、嬉しげな表情を浮かべるんですね。
アンナも、傍にいて、いかにも、嬉しそうに、微笑んでるんですね。
そうして、王様は、この、ユル・ブリンナーの王様は、静かに、息を引き取るんですね。
そんなわけで、この『王様と私』、この映画は、ミュージカル、ミュージカルの傑作だけど、それだけじゃなくて、とっても素晴らしい映画、とっても素敵な映画、とっても、とっても、素晴らしい、とっても、とっても、素敵な映画ですよ。
そんなわけで、この素晴らしい映画、この素晴らしいミュージカル映画、1956年(昭和31年)の、『王様と私』、ぜひ、ごらんなさいね。

王様と私<特別編> [DVD]
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20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
| 映ちゃん | 今夜もしねま☆と〜く | 09:18 | - | - |
西園寺公望 1
昔、西園寺公望と云う人がいた。明治末期に内閣総理大臣をつとめた人である。
その姓名からうかがわれるように、彼の出自は、やんごとなきお公家さまである。

その西園寺氏が正式に首相の印綬を帯び、第一次内閣を組織したのは、一九〇六(明治三十九)年のことであるが、彼はそれ以前にも、首相代理の職を勤めたことが二度ある。
その二度目のときは、第四次伊藤博文内閣が総辞職する際、渡辺国武と云う大蔵大臣であった男が、頑固にも辞表を出さなかったのを、なんとか説得して辞表を出させるために、任命されたのである。
渡辺は頑固一徹、自称剣道の達人で、生涯独身だったというカタブツである。
西園寺はその説得に手を焼いた。

或る日彼は家に帰ってくると愛妾(と、云っても、事実上の妻)の菊子さんに向かって、
「伊藤はんが面倒な仕事を押しつけなはって、こちはえらい尻ぬぐいでおすがな」
と、ボヤいた。
そしてなんと、
「どうも女遊びをしない人は、話がしにくうおすなあ。少しはこちを見習うとよろしい」
と、云い放ったのである。
しかし菊子さんもたいしたものである。
その言葉を聞いても怒るどころか、
「あんたのは話が通りすぎて、ゆきすぎと違いますか」
と、笑ったものである。
| Woody(うっでぃ) | ちょっと一言 | 20:11 | - | - |
結婚記念日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(ピリ辛らっきょう)、小松菜と厚揚げの煮浸し、だし巻き玉子


困ったときのはらたいら……ではなく、だし巻き玉子である。
卵は栄養バランスも完璧で、価格も安くて、しかも使い手があって……、と、じつに重宝な食材である。
だし巻き玉子、とは云っても、だしは入っていない。ゆかり(しそふりかけ)が入っているだけである。看板に偽りあり、であるが、細かいことは気にしないことにしよう。
ちなみに今日は、わたいの両親の、結婚記念日である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 09:22 | - | - |
結婚記念日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、ヨーグルト、みかんジュース、インスタント・コーヒー


例によって、タイトルと内容に関連はない。
さらに云えば、“結婚記念日”と云っても、わたいの結婚記念日でないことはもちろんである。
昨日で野菜ジュースが切れたので、本日はみかんジュースである。
みかんジュース、であって、オレンジ・ジュースではない。
国産の温州みかんを使用しており、舶来のオレンジを使用しているわけではないのである。
自称攘夷家のわたいとしては、舶来物よりも国産のほうが望ましい。第一、オレンジよりも、みかんのほうが、味も栄養も格段によろしい……と、思う。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 09:21 | - | - |
10月第2木曜のひとりめし(晩)
玉子麦飯、ブリの煮付け、小松菜と厚揚げの煮浸し、モロヘイヤとオクラのネバネバ和え、ピリ辛きゃら蕗、納豆、もずく、味付海苔


ブリの煮付けは母者の手製である。やはり幼い頃から馴染んだ味だけあって、格段に旨い!
ブリの煮付けは大好物なので自分でもつくるが、とてもこうはいかない。
そう伝えると、母者の笑って曰く、
「そらそうや、こっちは何年もやってきとるんやから」
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:43 | - | - |
10月第2木曜のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(みそかつおにんにく)、豚肉ともやしの甘辛味噌炒め、カボチャの煮物


今日はおかずの量が多かった。正確に量って小分けしているわけではないので、こういうこともある。
今日で豚肉ともやしの甘辛味噌炒めもカボチャの煮物もなくなった。
明日の弁当は……例によって、例のごとく、に、なりそうである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 11:25 | - | - |
10月第2木曜のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、フルーツミックス・ヨーグルト、バナナ、野菜ジュース


野菜ジュースが途中でなくなった。控えに買っておいたのがみかんジュースなので、注ぎ足すわけにもいかない。
卵も1個は、茹でている途中で白身部分の1/3ほどが湯の中に流れ出てしまった。
茹で卵の殻を剥き易くするためには、茹でる前に卵の底に軽くヒビを入れておくとよいらしいので、それを実践しているのだが、どうもヒビを入れ過ぎてしまったようである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 11:21 | - | - |
10月第1水曜のひとりめし(晩)
玉子麦飯、小松菜と厚揚げの煮浸し、モロヘイヤとオクラのネバネバ和え、いわし生姜煮、ちりめん山椒、納豆、もずく、味付海苔


一膳飯が続いている。我ながら見上げたものである。
いわし生姜煮は、近所のスーパーで買ってきた。いわしは大好物である。
TVでサンマの美味しい焼き方や、刺身の作り方(?)をやっていた。
サンマも大好物であるが、わざわざ自分のために手間をかけて調理しようとは思わない。
その番組によると、北海道のサンマが旨いそうだが、いやいや、サンマは目黒じゃ!
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 20:51 | - | - |
10月第1水曜のひとりめし(昼‐弁当)
麦飯(たらこふりかけ)、豚肉ともやしの甘辛味噌炒め、カボチャの煮物


昨日、一昨日、と、味が濃い、と、思っていた豚肉ともやしの甘辛味噌炒めだが、今日はそれほどにも思わなかった。
舌が馴染んだのだろう。濃い味に慣れると、戻すのが大変である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 10:16 | - | - |
10月第1水曜のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、フルーツミックス・ヨーグルト、バナナ、野菜ジュース


半熟卵と云うより、「半熟以上、固ゆで未満」と云う、ヒジョ〜に、ビミョ〜な仕上がり具合になった。
5分30秒は長すぎたかもしれない。
トーストは程よい焼き加減であった。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 10:15 | - | - |
10月第1火曜のひとりめし(晩)
玉子麦飯、小松菜と厚揚げの煮浸し、カボチャの煮物、モロヘイヤとオクラのネバネバ和え、たくあん、納豆、もずく、味付海苔


洋野菜バージョンから和野菜バージョンへの移行が、着実に定着しつつある。
カボチャの煮物は、いつもたいがい上手く味付けられる。ただし、自分が食べたかぎりでは、と云う、限定付きではあるが……。
今回の小松菜と厚揚げの煮浸しも、上手くいった。
めでたいことである。
めでたい、と、云えば、昨日に引き続き、日本人の、日本での研究による業績が評価されての、ノーベル賞受賞もめでたい!拍手楽しい
(陰の声:おまえのショボい飯となんの関係がある!?
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:45 | - | - |
10月第1火曜のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(ピリ辛きゃら蕗)、豚肉ともやしの甘辛味噌炒め、ほうれん草のごま和え


どうも豚肉ともやしの甘辛味噌炒めの味付けが濃すぎたようだ。
ほうれん草のごま和えでなんとか中和している(?)。
齢のことは考えたくないが、そろそろ薄味にしなければ健康にもよろしくないだろう。すでに手遅れ……と、云う意見が大勢を占めそうではあるが。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 11:20 | - | - |
10月第1火曜のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、ヨーグルト、バナナ、野菜ジュース


そろそろスープを……、と、いつも思うのだが、朝は慌ただしいうえに、目が醒め切っていないと見えて、たいがい忘れる。
忘れないときはバタバタしていて、スープを飲む間も惜しい。
困ったものである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 11:19 | - | - |
ジェームズ・ボンドの日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、小松菜と厚揚げの煮浸し、イワシの生姜煮、モロヘイヤとオクラのネバネバ和え、たくあん、納豆、もずく、味付海苔


“ジェームズ・ボンドの日”だからと云って、“Vodka Martini,shak'in, not stir”とは、いかない。
いたって庶民派の献立である。いや、今日びの庶民は、もっと豪勢なものを食しているだろう。
贅沢は云うまい。食べられるだけ、しあわせである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:43 | - | - |
ジェームズ・ボンドの日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(梅干し)、豚肉ともやしの甘辛味噌炒め、ほうれん草のごま和え


タイトルと内容に関連はない。
ほうれん草のごま和えは、つくる予定ではなかったのだが、思ったよりほうれん草が安かったので買ってしまった。
もやしは余っていたので、ナムルに使わず、豚肉と炒めた。
加減が解らなかったので、味がけっこう濃くなってしまった。
ちなみに今日が“ジェームズ・ボンドの日”であるのは、ボンド映画の第1作「007 ドクター・ノオ」がイギリスで初公開されたのが、1962年10月5日だから、らしい。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 10:50 | - | - |
三木武夫
三木武吉とよく混同されるのが、三木武夫である。字も一字しか違わない。
さて、この三木武夫夫妻の逸話──
あるとき三木武夫さんの妻・睦子さんが、
「あら、そう云えば、わたし、今年は金婚式だわ」
と、云った。
それを聞いた三木武夫氏、
「ほぅ、それはおめでとう。で、ぼくのはいつだい?」
“わたしたち”と云わなかった睦子さんも、責められてしかるべきかも知れない。
| Woody(うっでぃ) | ちょっと一言 | 20:11 | - | - |
悪魔の真実2
「ここだけの話」の「ここ」は、あらゆる場所の、あらゆる「ここ」である。
| 遊冶郎 | 悪魔のつぶやき | 17:06 | - | - |
ご心配おかけしましたが……
9月14日、「ろ〜りぃの“らいぶ☆にゅ〜す”の容量が……」で、当該サイトの容量が一杯になり、追加申請したが、増量されていないようである、と、述べたが、その後、100MB追加されていた。
したがって、PART兇鮑鄒する必要もなくなり、順調に更新されている。
ご心配いただいたみなさま、報告が遅くなり、お詫び申し上げます。
と、ともに、どうぞこれからも、当Blog同様、「ろ〜りぃの“らいぶ☆にゅ〜す”」も、よろしくお願いいたします嬉しい
| ろ〜りぃ | 投稿者より | 13:22 | - | - |
10月第1金曜のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(たらこふりかけ)、豚肉としめじのすき煮、カボチャの煮物


思わずカボチャの煮物が1食分余ったので、弁当のおかずに入れた。
予定では昨日の晩で尽きるはずだったのである。
さて、今夜は例によって外食……と、いきたいところだが、季節柄、宅に帰って熱燗で一杯……も、捨てがたい。
to go or not to go,that is the question……
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 10:44 | - | - |
10月第1金曜のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、フルーツミックス・ヨーグルト、バナナ、野菜ジュース


なんだか久しぶりに朝食を喫したような気がする。
もちろん、そんなわけはないわけであるが、いつも定番になっている献立が揃わないと、どうも落ち着かない。
齢とともに安定志向になってきた、これも一つの現れであろうか。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 10:43 | - | - |
10月初日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、小松菜と厚揚げの煮浸し、カボチャの煮物、納豆、もずく、味付海苔


久しぶりに質素な献立である。昨夜はそれでもお菜が多かった。
しかし考えてみれば、これぐらいでちょうどなのかも知れない。
問題は、いつまで続くか、である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 20:48 | - | - |
10月初日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(みそかつおにんにく)、豚肉としめじのすき煮、ブロッコリの塩昆布あえ


朝は少々寝坊して、落ち着いて朝めしを食べている余裕がなかった。
昼はごらんのとおり、相変わらずの献立である。
豚肉としめじのすき煮は、玉葱のせいか、きのこ類(しめじ、舞茸)のせいか、味がまろやかでよろしい。
豚肉も固くなったのでは、と、危惧していたが、柔らかく調理されていた。
けっこうなことである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 13:10 | - | - |


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