ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

Blog(日記)と云うよりはEssay(随筆)
Essay(随筆)と云うよりはSketch(走り書き)
Sketch(走り書き)と云うよりは……?

 注)タイトルに「*」のついた記事は「ネタバレ記事」です。ご注意ください。
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エイブラハム・リンカーン 2
リンカーンが自分の靴を磨いているのを見た男が、驚いて云った。
「大統領ともあろうお方が、御自分の靴を磨かれるのですか?」
「そうですよ」リンカーンは平然と云った。「あなたは誰の靴を磨かれるのです?」
仄聞するところによれば、「〜の靴を磨く」とは、「〜にゴマをする」と云う意味なのだそうな。

これにはもうひとつのエピソードがある。
リンカーンが自分の靴を磨いているのを見た男が、驚いて云った。
「そんなことは、大統領ともあろうお方のなさる仕事ではありません」
リンカーンは平然として、
「この世に仕事の上下は無い。ただ、仕事に上下をつけたがる人間に、上下があるだけだ」
| Woody(うっでぃ) | ちょっと一言 | 00:51 | - | - |
金曜のひとりめし(昼-弁当)
むぎめし(ピリ辛らっきょう)、高野豆腐と椎茸の含め煮、ほうれん草と厚揚げの煮浸し
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:42 | - | - |
金曜のひとりめし(朝)
トースト(5枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、ポタージュ・スープ、ヨーグルト、野菜ジュース、インスタント・コーヒー、バナナ
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:39 | - | - |
木曜のひとりめし(晩)
玉子麦飯、飛脚玉(乾燥わかめ、えのき入り)、豚肉としめじのすき煮、ほうれん草と厚揚げの煮浸し、高野豆腐と椎茸の含め煮、辛子明太子、納豆、もずく、味付海苔


天かすがなくなった。別に未練もないので、またしばらくは天かすなしの玉子麦飯になるだろう。
今週はめずらしく、作り置きのおかずが順当に消費されていった。
いままでが作りすぎていたのである。そして、分量が多かったのである。
毎回これくらいを目途に作っていくことにしよう。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:39 | - | - |
木曜のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(しそかつおにんにく)、豚肉としめじのすき煮、ほうれん草ともやしのナムル
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:41 | - | - |
木曜のひとりめし(朝)
トースト(5枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、オニオン・コンソメ・スープ、ヨーグルト、野菜ジュース、インスタント・コーヒー、バナナ
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:38 | - | - |
水曜のひとりめし(晩)
玉子麦飯(天かす入り)、飛脚玉(乾燥わかめ、えのき入り)、豚肉としめじのすき煮、ほうれん草と厚揚げの煮浸し、高野豆腐と椎茸の含め煮、ごま高菜、納豆、もずく、味付海苔


昼飯(弁当)のときにも書いたが、今週のメイン・ディッシュは、昼も晩も、豚肉としめじのすき煮である。
1回分の晩食の量は減ることになるが、これぐらいがちょうど適量なのかもしれない。
ちなみに、高野豆腐と椎茸の含め煮には、ご覧のとおり、人参も入っている。
だからなんだ? と、云われると、困るが……。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:46 | - | - |
水曜のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(わさびふりかけ)、豚肉としめじのすき煮、ほうれん草ともやしのナムル


今週のメイン・ディッシュは、昼、晩ともに、豚肉としめじのすき煮である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:43 | - | - |
水曜のひとりめし(朝)
トースト(5枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、コーンクリーム・ポタージュ、ヨーグルト、野菜ジュース、インスタント・コーヒー、バナナ

| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:40 | - | - |
庶民の生理学 その1
良識ある、フツーの、マトモな、日本人の感覚
・欧米人の金持ち…高級なセレブ
・中韓人の金持ち…下品な成り上がり
| 遊冶郎 | 悪魔のつぶやき | 11:38 | - | - |
火曜のひとりめし(晩)
玉子麦飯(天かす入り)、飛脚玉(乾燥わかめ、えのき入り)、豚肉としめじのすき煮、ほうれん草と厚揚げの煮浸し、高野豆腐と椎茸の含め煮、辛子明太子、納豆、もずく、味付海苔


高野豆腐と椎茸の含め煮を初めてつくった。少々味が薄かったが、初めてにしては、まずまずの出来である、と、自賛しておこう。
うっかりして、椎茸の戻し汁を捨ててしまったのが、不可なかったのかもしれない。
まぁ、いい。だれに食べてもらうわけでもない。自分で食べるのである。
次に上手くできればいいのである。
煮浸しは、小松菜でつくるよりも、ほうれん草でつくるほうが、味が甘く出るようだ。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:45 | - | - |
火曜のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(しそふりかけ)、豚肉としめじのすき煮、ほうれん草ともやしのナムル
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:42 | - | - |
火曜のひとりめし(朝)
トースト(5枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、ポタージュ・スープ、いちごヨーグルト、野菜ジュース、インスタント・コーヒー、バナナ
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:40 | - | - |
月曜のひとりめし(晩)
玉子麦飯(天かす入り)、飛脚玉(乾燥わかめ、えのき入り)、甲子園弁当、ほうれん草と油揚げの煮浸し、揚げ出し豆腐、ハリハリ漬け、納豆、もずく、味付海苔


甲子園弁当の味つけが、やはりイマイチ、である。
食べられないシロモノではないので、その点はリッパである。
もっとも、他人様に召し上がっていただけるようなシロモノでないのは、モチロンなのだが……。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:02 | - | - |
仰げば尊し
昨日のLIVEで、「仰げば尊し」を聴いた。
いかに卒業シーズンであり、いかにお年を召されたかた(失礼!)であるとは云え、ライヴで「仰げば尊し」とは、サプライズである。
もっとも、自分も、同じライブ・ハウスでロシア民謡を演り、マスターをして、
「長いことこの仕事やってるが、ライブ・ハウスでロシア民謡演ったヤツは初めてや」
と、笑われたくらいだから、人さまのことは云えない。
しかし、ロシア民謡であれ、「仰げば尊し」であれ、佳曲は佳曲なのである。
現に自分程度の者でも、ロシア民謡で喜んでくださるかたもいらっしゃる。
「懐かしい」
「昔はよう歌ぉた」
[“うたごえ喫茶”ちゅうのがあってなぁ」
と、目を細めて喜んでくださる。
昨日の「仰げば尊し」も、まさに、そんな感じだった。

かつて生意気盛りの小・中学生の頃は、この歌が嫌いだった。
自分が音痴だったからではない。
先生に、ありがとう、と、云い、先生に感謝する歌を、先生たちが自分たち生徒に歌うように強いるとはなにごとか、と、反発したのである。
中学校を卒業するときは、あえて歌わず、口パクでごまかしたことを憶えている。

あれから三十余年、「仰げば尊し」を憶えておいてよかった、と、思う。

親友とも云うべき友人の一人が、中学校の教師になる、と、その将来の希望を述べたとき、自分はおこがましくも、このような忠告を与えたものである。
「先生ちゅうのは、損な商売やぞ。
おまえがいくら、一生懸命、生徒たちのためを思うて、生徒たちのためによかれと思うて、生徒たちのために頑張っても、生徒たちはそんなこと、ちっとも、解かりはせん。
『うっとうしい先公や』
『なんで、あいつの云うこと、聞かなならんのや』
『ほっとけよ、キモイねん』
云うのがほとんどや。
おまえがやったことが生徒たちの身に沁みるのは、生徒たちが卒業して、大人になって、あちこちに散って行って、嫁はん旦那子ども出来たときやねん。
そんときに、
『あぁ、あんときは反発ばっかりしてたけど、あの先生に会えてよかったなぁ』
『俺の(あたしの)中学校のときのあの先生、ええ先生やったなぁ』
『いまんなって、あの先生の云うてたこと、解かるなぁ』
云うて、思ってもらえるねん。
でもそんな思いは、おまえは聞かれへんねんぞ。
そんなこと、思うてくれるヤツがおるかどうかも、おまえには解れへん。
ただ、信じるしかないんや。
なんの根拠もなくても、
『俺の気もちは、俺のやってることは、きっとこいつらのためになる。こいつらも、いつの日にか、きっと、解かってくれるはずや』
そう信じて、毎日毎日を生きて行かなあかんねん。
ツラいぞ。シンドイぞ。
おまえ、そんだけの覚悟、あるか?」
その友人は、一言だけ、云った。
「ある」
と。

自分が、黒澤明監督の熱烈な信者であることは、知る人ぞ知る事実である。
その黒澤明監督の遺作となった『まあだだよ』の冒頭は、こんなシーンであった。
百寮萓犬硫箸法△つての教え子たちが集まってくる。
みな、立派な背広に身をかためた、一人前の大人である。
彼らは先生夫妻とともに、“馬鹿鍋”をつついている。
馬の肉と鹿の肉を鍋にしているから、“馬鹿鍋”である。
「あんときの先生にはまいったよなぁ」
「あの悪戯の発起人は、たしか、君だったな」
「バカ云え、僕はそんなこと云いはせん。ありゃ、こいつが云いだしたんだ」
「おいおい、そりゃ誤解だ。僕はなにも……」
そんな会話が続き、和気藹々とした雰囲気のなか、突如、みなが膝を正すと、
「♪仰げばぁ〜、尊しぃ〜、我が師の〜、恩〜」
と、歌い出す。
すばらしく美しいシーンである。

かつて自分が小・中学生の頃に思ったようなことを、いまだに思い続けている親がいるらしい。
先生たちが自分たちに感謝するような歌を、子どもたちに歌わせるとはなにごとか、と。
貧しい心性である。
子どもたちがかわいそうである。
彼ら彼女らが大きくなったとき、かつての自分を振返って、自分たちを育ててくれた先生たちに感謝の念を表したいと思ったとき、彼ら彼女らは、なんの歌を歌うのだろうか?
それとも、そんな親に育てられた彼ら彼女らは、先生に対する尊敬、ありがたさ、懐かしさをも、感じ得ない人間に成り果ててしまうのだろうか?
もしそうならば……人間として、じつに、悲しいことである。

| ろ〜りぃ | 気まぐれなコラム | 12:51 | - | - |
漱石の日
昨2/21は、“夏目漱石の日”だったそうである。
漱石は、鴎外などとは違って、真に“文豪”と称されるに相応しい作家であり、大好きな作家のひとりなのだが、その漱石が文部省から博士号を授与されることになったとき、

ホトトギス 厠半ばに 出かねたり

の、句を詠んで、これを辞退したことは有名な話である。

それが2月21日のことだったので、この日を以て、“夏目漱石の日”としたのだ、と、云うことである。

漱石はその著、『彼岸過迄』を公けにするにあたって、「文壇の裏通りも露路も覗いた経験」のない、「全くただの人間として大自然の空気を真率に呼吸しつつ穏当に生息している」、「教育あるかつ尋常なる士人の前にわが作物を公けにし得る自分を幸福と信じている。」
と、述べている。

そんな漱石にとって、勿体らしい博士号など、無用の装飾であったであろう。
いやむしろ、侮辱とすら、感じられたかもしれない。
博士号の授与を“侮辱”と感じる心性は、漱石の作品を読めば、よく解かるだろうと思う。
| 築山散作 | 気まぐれなコラム | 10:08 | - | - |
エイブラハム・リンカーン 1
 ニュー・ヨーク北部のウェストフィールド村に住んでいたグレース・ベデルと云う女の子は、新しい大統領の写真を見たとき、
「コワイ顔やなぁ。でも、髭生やしたら、きっとハンサムで、男前になるで」
 と、思った。思っただけではなく、彼女はその意見を手紙で新大統領に伝えた。
 この新大統領はその手紙に対し、
「いままで大統領やってて、髭を生やした人はいてまへん。それに、いまからいきなり髭、生やし始めたら、国民は、『アホな大統領や』って、 笑いはせえへんでしょうか?」
 と、返事を書いた。
「そんなこと、ありまへん。髭のない大統領のお顔は、コワイんやもん。でも、髭生やしたら、きっとカッコようなりますわ。ウチだけやのうて、友だちもみんな、そない云うてますわ」
 ワシントンでの就任式に臨む日、大統領はウェストフィールドの駅で列車を止め、デッキに出て群衆に声をかけた。
「この町に、わたしと文通してはる、グレース・ベデルっちゅうお嬢さんがいてはります。もしここにいてはったら、どうぞ、出てきてください」
 彼女が驚きつつ出てくると、大統領は、
「やぁ、グレースさん」と、やっと生えた顎髭を撫でながら、「あんたの云うとおり、髭生やしてみたで。どや、男前に見えるか?」
 グレースは感激して、
「よお似合うてはります。それに、あなたはきっと、いちばん立派な大統領になりはりますわ」
 と、叫んだ。
 彼女の予言は当たった。今日、世界中のすべての人々が、エイブラハム・リンカーン氏を、いちばん立派な米国大統領と認めている。
| Woody(うっでぃ) | ちょっと一言 | 12:08 | - | - |
相変わらずの週末めし(昼-弁当)
麦飯(焼鮭荒ほぐし)、甲子園弁当、ほうれん草ともやしのナムル
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:42 | - | - |
相変わらずの週末めし(朝)
トースト(5枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、オニオン・コンソメ・スープ、ブルーベリー・ヨーグルト、野菜ジュース、インスタント・コーヒー、バナナ
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:40 | - | - |
相も変らぬひとりめし(晩)
玉子麦飯(天かす入り)、飛脚玉(乾燥わかめ、えのき入り)、甲子園弁当、ほうれん草と油揚げの煮浸し、野沢菜漬け、納豆、もずく、味付海苔


甲子園弁当とは、実家の家族が甲子園に行く際に持参する弁当のおかずの謂いである。
母者の考案である。
先日、久しぶりにつくってみようと思い、レシピを探して見たが見当たらず、つくり方を訊いてつくってみたのである。
味は……久しぶり、実質初めてにしては、悪くはなかった。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:55 | - | - |
相も変らぬひとりめし(昼‐弁当)
麦飯(ピリ辛らっきょう)、鮭の幽庵焼き風(2切れ)、ほうれん草ともやしのナムル


世間では、“キャラ弁”だの、“ネタ弁”だのが、流行っているらしい。
それもこれも、ブログやフェイスブックなどのウェブサイトから火がついたと云うのだから、ネットの威力も大したものである。
このブログに掲載されているのは、そんな世間の流行とはまるで無縁であることは、ご覧になられているとおりである。
それまで料理とは無縁の生活を送ってきたしがない独り者が、いかにして自分の食卓を飾っている(?)か、その悪戦苦闘、涙ぐましい努力(??)の記録である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:42 | - | - |
相も変らぬひとりめし(朝)
トースト(5枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、コーンクリーム・ポタージュ、いちごヨーグルト、野菜ジュース、インスタント・コーヒー、バナナ
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:39 | - | - |
奇しき訃報
『横溝正史&金田一耕助シリーズ DVDコレクション』2015年2月17日(火)創刊!
http://www.asahi.com/and_M/information/pressrelease/CPRT20153662.html

このニュースを知った数日後の今日、横溝正史氏のご長男、亮一氏の訃報に接した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150218-00000051-mai-peo

奇しき因縁と云うか、なんと云うか……。
ご冥福をお祈りいたします。
| 築山散作 | 気まぐれなブログ | 22:12 | - | - |
いつもどおりのオトコめし(晩)
玉子麦飯(天かす入り)、飛脚玉(乾燥わかめ、えのき入り)、鮭の幽庵焼き風(2切れ)、ほうれん草と油揚げの煮浸し、ハリハリ漬け、納豆、もずく、味付海苔


前回上手くいった鮭の幽庵焼き風が、今回はまた焼け焦げが強くなってしまった。
前回の成功(?)に気を良くし、しばらくつくっていなかったためと思われる。
なにごとによらず、続けることが大切である。
とは云っても、食べられない味ではなかったので、そのへんは良しとせねばなるまい。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:53 | - | - |
いつもどおりのオトコめし(昼-弁当)
麦飯(わさびふりかけ)、生タラの白ワイン蒸し(2切れ)、ほうれん草ともやしのナムル


久しぶりに生タラの白ワイン蒸しをつくってみた。
昨晩に漬け込んでおいて、朝方にレンチンするだけである。いと容易い。朝方には重宝な献立である。
もやしはこのご時世にもかかわらず、値上げされず、お安いままの価格である。しかも使いでが広く、栄養価も高い。重宝な具材である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:42 | - | - |
いつもどおりのオトコめし(朝)
トースト(5枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、ポタージュ・スープ、ブルーベリー・ヨーグルト、野菜ジュース、インスタント・コーヒー、バナナ
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:39 | - | - |
火曜のひとり晩飯
玉子麦飯(天かす入り)、飛脚玉(乾燥わかめ、えのき入り)、タルタルチキン南蛮、ほうれん草と油揚げの煮浸し、野沢菜漬け、納豆、もずく、味付海苔


ほうれん草と油揚げの煮浸しが、かなり甘かった。やはり煮物系の味つけはむずかしい……。
いつもの小松菜をほうれん草に替えたのは、別段深い仔細あってのことではない。
ほうれん草が安かったからである。小松菜170円、ほうれん草105円なら、誰だって、ほうれん草を買うだろうじゃないか。(陰の声:すっかり、“しゅふ”じゃのぉ〜)
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:01 | - | - |
セオドア・ルーズベルト 2
中学で英語を習っていた頃、どうしてウィリアムの愛称が「ビル」なのか、理解に苦しんだことがある。
おそらく、「ウィリアム」→「ウィル」→「ビル」と、なったのであろう。

ウィリアムはなんとか理解できたが、分からないのは、「セオドア」の愛称である。
セオドアの愛称は、「テッド」、「テディ」である。
これはなぜそうなるのか、理解に苦しんだ。

セオドア・ルーズベルトは狩猟好きだった。あるとき狩りにでかけたが、一頭の獲物も仕留められなかった。
側近が一計を案じた。
一頭の熊を木にくくりつけ、これを仕留めるよう大統領に勧めたのである。
側近としては大統領の激務による憂さ(現代で云うストレス)を晴らすために仕掛けたものだったのだろう。一説によると、その熊は母熊で、幼い仔熊がその乳を求めて擦り寄ってきていたと云う。
大統領は銃を下ろして首を振ると、
「そんな非情なマネはできない。不公正で、恥ずべき行為だ」
と、云って、その熊を逃がすよう命じた。

この話から、現在もなお、世界中で愛されている、“テディ・ベア”と云う熊のぬいぐるみが誕生したのである。
| Woody(うっでぃ) | ちょっと一言 | 01:54 | - | - |
金曜のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(ピリ辛らっきょう)、キャベツと魚肉ソーセージの醤油炒め、えのきのベーコン巻き
2/13昼食

えのきのベーコン巻きが残っていた。
キャベツと魚肉ソーセージの醤油炒めは、また鰹節をまぶすのを忘れた。
時間がなかったわけではない。すっかり忘れていたのである。
朝はやはり、頭脳がしっかり稼動していないようである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:43 | - | - |
金曜のひとりめし(朝)
トースト(5枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、いちごヨーグルト、オニオン・コンソメ・スープ、インスタント・コーヒー
2/13朝食

バナナがないが、面倒だから買わなかった。
来週から復活(?)させる。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:40 | - | - |
そう云えば……
去る2月9日で、このブログも1周年を迎えたことになる!
当初はなにせ、いいかげんで気まぐれで、勝手気ままなお天気屋ばかりの連中だから、いったいどうなることか、と、案じていたが、いやぁ〜、続くものである。
いや、下手に、ノルマだの、締切だのを設けなかったのが、よかったのかもしれない。
いやいや、それもこれも、ご愛読くださっている読者のみなさまがたのおかげである。
アクセス数に反映されるみなさまのご愛顧のおかげで、ここまでやってこられたのである!
執筆者一同、これからも微力を尽くし、精進して行くことを誓いまして、お礼の言葉とさせていただきますm(__)m
これからも、よろしく、お願いいたします楽しい
| Woody(うっでぃ) | 気まぐれなブログ | 22:02 | - | - |
休日明けのひとりめし(晩)
玉子麦飯(天かす入り)、飛脚玉(乾燥わかめ入り)、キャベツと魚肉ソーセージの醤油炒め、小松菜と油揚げの煮浸し、カボチャの煮物、ハリハリ漬け、納豆、もずく、味付海苔


キャベツと魚肉ソーセージの醤油炒めには、鰹節をまぶしてから、レンチンするのが基本なのに、鰹節をまぶすのを忘れてしまった……。
小松菜と油揚げの煮浸しは、ムチャムチャ鹹かった……。
やはり厚揚げと油揚げでは、微妙に味つけを変えねばならないのだろう。そのへんの呼吸がまだまだである。
それにしても……、今日び、“チン”などと鳴る電子レンジもないだろうに、なぜみないまだに、「レンジでチンして」あるいは「レンチン」などと云うのだろう?
下駄を履かないのに“下駄箱”、あるいは筆を入れないのに“筆箱”などと云う類だろうか?
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:48 | - | - |
休日明けのひとりめし(昼-弁当)
麦飯(わさびふりかけ)、ピーマンと魚肉ソーセージのじゃこ醤油炒め、ほうれん草のじゃこあえ


手抜き弁当第3弾である。
朝食は駅のコンビニで買って、車中ですませた。したがって、写真はない。
カレーパンが残ったので、昼食後腹が減ったら、それでしのぐことにする。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:39 | - | - |
漱石と云えば……
漱石の作品と云えば、なんと云っても、『坊ちゃん』でしょう。
読書嫌い、本嫌いの人たちでも、『坊ちゃん』でしたら、読んだ記憶があるのではないでしょうか。
昔は学校の教科書にも掲載されていましたし、子供向けのリライト作品も、各出版社から、さまざまな版が出されていたものです。
『坊ちゃん』は、それほど長い作品ではありません。おそらく漱石の長編作品中では、『坑夫』と並んで、もっとも短い作品でしょう。
文章も軽快で、読み易く、それが『坊ちゃん』の魅力のひとつとなっています。
しかし『坊ちゃん』の魅力の最大なるものは、なんと云っても、“坊ちゃん”をはじめとする各登場人物の、その際立った個性にあるでしょう。
真っ正直で一本気、正義感あふれた江戸っ子の坊ちゃん。
豪快明朗で生徒たちの人気もある毬栗頭の山嵐。
おとなしく、善良で、蒼ぶくれした顔のうらなり。
いやに勿体ぶった、狸のようなご面相の校長。
年がら年中赤いシャツを着て、女のように優しい声を出す、教頭の赤シャツ。
教頭の腰巾着で、へらへらした、芸人風の趣のある、野だいこ。
近在で一番の別嬪で、マドンナの異名を奉られているお嬢さん。
その他、東京の坊ちゃんの家に長く勤めている下女の清や、坊ちゃんの下宿先のおかみさん、坊ちゃんを困らせる生徒たちなど、それぞれに個性豊かで、活き活きとしています。
それらの人物像は、単純で深味がなく、紋切型とも云えますが、むしろそれゆえにこそ成功している、と、云ってもいいでしょう。
この小説が拡まった後、各地の学校で、先生に綽名をつけるのが流行ったそうです。
思い起こせば学生時分、みなで先生たちに綽名をつけて、秘かに喜んでいたものです。
みなさまがたも、おぼえがあるでしょう?
その遠因は、じつに、この、『坊ちゃん』にあったのです。
もっとも、識者に云わせますと、先生に綽名をつけるのは、当時から松山ではふつうに行われていたことのようで、それが『坊ちゃん』にそのまま、採り入れられたのだそうです。
と、すれば、松山中学校に赴任していた当時の漱石は、いったい、どんな綽名をつけられていたのでしょうか?
ちょっと、興味がありますね。
それはそれとして、『坊ちゃん』を読んで思うことは、坊ちゃんの一本気な正義感、江戸っ子気質を好ましく思うとともに、その坊ちゃんの行動に、いささかの滑稽味、微笑ましさを感じることです。
ぶっちゃけて云えば、“若さゆえの客気”、“世間知らずの一本気”、まさに、“坊ちゃん”です。
正味の話、坊ちゃんの行動は、実際上では、なんらの効果も現しません。
うらなりくんの転任を阻止することもできず、マドンナを赤シャツから引き離してうらなりくんに返すこともできず、赤シャツや野だいこを反省させることもできません。
いくら赤シャツや野だいこを奇襲し、玉子をぶつけ、打擲したとて、彼らのもつ力には、なんらの影響も及ぼしません。
そんな所業は、坊ちゃんや山嵐の、自己満足にすぎません。
赤シャツには、野だいこを媚びへつらわせ、マドンナをうらなりくんから奪い、うらなりくんを九州の山奥に転任させるだけの力があります。
赤シャツの力の依って来たる根本を探り、その根本に打撃を与え、その力を根こそぎにしようとはしませんし、そんな考えも浮かびません。
坊ちゃんに捉えられるのは、表面上の現象だけです。
その表面上の現象に嫌悪を抱き、その表面上の現象だけを捉えて、これと格闘しているのが、坊ちゃんの“正義感”です。
表面上の現象であるだけに、その実際上の効果は空しく、坊ちゃんが懸命になればなるほど、その行動は滑稽になります。
坊ちゃんは最初から松山を田舎とバカにし、松山で暮そうとは考えず、東京に帰る事ばかりを考えています。
坊ちゃんの“正義感”は、松山での生活に入っていこうとしない、逃げ腰の、(坊ちゃんの言葉を借りて云えば)臆病です。
それが、赤シャツに反発を感じながらも、赤シャツのもつ力の、その力が依って来たるその根本を探ろうともせず、表面上の現象だけを捉まえて、これを攻撃する動きとなって現象するのです。
それゆえに、坊ちゃんの行動は滑稽に思われます。
しかし坊ちゃんのその行動が微笑ましく思われるのは、読者にも、赤シャツに反発を感じるその感性において、坊ちゃんと一致するところがあるからです。
赤シャツの力の依って来たる根本を探り、その根本に打撃を与え、その力を根こそぎにすることは、これはじつは、非常に困難なことです。
それを経験として理解しているからこそ、凡俗な輩は坊ちゃんを、まさに世間知らずの“坊ちゃん”として軽蔑し、却って赤シャツを“現実的である”として、好意的に評価します。
凡俗な輩は、そう考えることによって、野だいことなります。
野だいこは感性的に赤シャツの力を理解し、赤シャツに媚びへつらって自分の地位を確かなものにしていますが、凡俗な輩は小理屈をこね、その小理屈をもって“現実を知る”と称して、赤シャツのような人間に媚びへつらい、それをもって、“現実的な生き方”と、満足しています。
野だいこ以下です。
漱石は坊ちゃんの“坊ちゃんらしさ”を認めながらも、凡俗な輩のように、それを単純に否定するのではなく、坊ちゃんの“坊ちゃんらしさ”を維持したまま、なお赤シャツに対抗しようと、その模索を続けます。
その系列が、漱石の作品群を成しています。
漱石はその手紙に書いています。
「坊ちやんの如きものが居らぬのは、人間として存在せざるにあらず。居れば免職になるから居らぬ訳に候。……僕は教育者として適任と見做さるる狸や赤シヤツよりも不適任なる山嵐や坊ちやんを愛し候」
如何に狸がバカげており、如何に赤シャツが嫌味であっても、「教育者として適任」であれば、「教育者として不適任」な山嵐や坊ちゃんよりも、意義があります。
にもかかわらず、漱石が「山嵐や坊ちやんを愛し候」と、書いているのは、漱石が狸や赤シャツを「教育者として適任」と認めていないこと、むしろ山嵐や坊ちゃんを「教育者として適任」と認めていることを示しています。
そしてこのことは、“教育とはなにか?”、“教育者とは、いかなる人物か?”もしくは“教育者とは、いかなる人物であらねばならないか?”を、考えさせる契機となります。
この問いは、単に“教育”の分野だけにとどまらず、さらに広く、人生全般、生きることそのもの、人間であることそのものへと、つながっていきます。
漱石は赤シャツに対する坊ちゃんの無力や滑稽を認識しながら、それでも“坊ちゃんらしさ”を投棄てることなく、“坊ちゃんらしさ”を維持したままそれを深化させて赤シャツのような人間に対する闘いを繰り広げ、その成果を蓄積していきます。
そのへんが、文豪漱石と、凡俗な“現実的人間”とを分け隔つ、決定的な第一歩である、と、云えましょう。
| 築山散作 | 気まぐれ読後感 | 12:03 | - | - |
火曜のオトコめし(昼-弁当)
麦飯(しそふりかけ)、えのきベーコン巻、ほうれん草のじゃこあえ


いたって手抜きの内容である。
簡単なのはいいのだが、途中で腹が減らないか、まことに不安である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:41 | - | - |
火曜のオトコめし(朝)
トースト(5枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、ブルーベリー・ヨーグルト、コーンクリーム・ポタージュ、野菜ジュース、インスタント・コーヒー


バナナを買い忘れたため、デザート(?)はなし、である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:39 | - | - |
オトコの手抜きめし(晩)
玉子麦飯(天かす入り)、飛脚玉(乾燥わかめ、えのき入り)、ピーマンと魚肉ソーセージのじゃこ醤油炒め、えのきベーコン巻(2個)、小松菜と厚揚げの煮浸し、カボチャの煮物、野沢菜漬け、納豆、もずく、味付海苔


今週は水曜日が休日なので、手抜きの週となる。
休日前夜と当日は、原則、外食である。したがって、飯は料理らない。
もって、休日のある週は、どうしても、簡略な献立になってしまう。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:35 | - | - |
月曜のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(焼鮭荒ほぐし)、ほうれん草のじゃこあえ、カボチャの煮物


月曜には珍しく、写真を撮っておく時間があった。
いつもならバタバタして出かけていくので、とてもそんな時間はないのだが……。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:39 | - | - |
薔薇のつぼみ
『市民ケーン』と云う映画があります。
1941年の作品で、当時25歳だったオーソン・ウェルズが、製作・監督・脚本・主演を務めました。劇団を主宰していたウェルズの、映画デビュー作です。
この作品は、製作当時存命していた新聞王、ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルにした作品として、また、初めてパン・フォーカスを使用した作品として、語り草になっています。
実際、ハーストは、この映画は自分に対する侮辱だ、と、感じて、その製作並びに公開を阻止するために、さまざまな手段を弄した、と、云われています。
映画技法としては、先述したパン・フォーカス以外に、クレーンを使用した大胆な移動撮影、ワンシーン・ワンショットの長廻し撮影、広角レンズによるローアングルの多用、極端なクローズアップなど、現在当たり前のように使用されているさまざまな撮影技術、表現技法が、この『市民ケーン』によって確立された、と、云われています。

物語は、新聞王ケーンが臨終の際に発した言葉の意味を解明するために、とある新聞記者がケーンとかかわりのあった人物を取材していく過程で、ケーンの知られざる生活――その孤独と苦悩――が明らかになっていく、と、云う御趣向です。
回想シーンを多用し、過去と現在を交錯して描くその構成は、当時としては、じつに斬新な手法でした。
そして最後、ケーンの遺品が競売にかけられることになります。
価値のある家具類が残され、価値のないものはガラクタとして火の中にくべられ、焼却されていきます。
その、火の中にくべられていく様々なガラクタの中に、ケーンが幼少の頃、雪の中で無邪気に戯れていたときの橇があります。
その橇に刻まれていた言葉が――、ケーンが臨終の際に発した言葉、“薔薇のつぼみ(ローズ・バッド)”でした。
“貧しい宿屋の倅から身を起して波乱万丈の人生を送り、新聞王とまで云われ、ザナドゥと呼ばれる広大な邸に住むようにまでなったが、妻には去られ、友人たちにも見放されて、ひとり虚しく死んでいかねばならない。結局、一番楽しかったのは、無邪気に雪と戯れていた、あの幼い日々だった”
ケーンのいまわの際の言葉、“薔薇のつぼみ(ローズ・バッド)”の意味を、そのように解釈する人々がいます。
しかし、自分はそうは思いません。
ケーンは“薔薇のつぼみ(ローズ・バッド)”と云う文字が刻まれた橇に乗って遊んでいた時、まったく自分とはかかわりのない、まったくの偶然、まさに、運命のいたずら、と、云うべき偶然によって、大きくその人生を変えられました。
それは、ケーン自身が、そうあろうと望んだものでもなく、ケーンに縁のある人が、ケーンにとって、そうあらしめたい、と、望んだものでもありませんでした。
しかしそれは、ケーンにとっては、まぎれもないチャンス、人生の転機、でした。
おそらくケーンは、その波乱万丈の人生歴程の途中、苦悩の底に沈んだとき、
“しっかりしろ。こんなことでくじけるな。俺は幸運な男なんだ。あの、雪と戯れていた幼い日、思いがけない幸運が舞い込んできたように、きっと俺には、幸運が舞い込んでくる。かならず、幸運は来るんだ”
と、みずからを叱咤して、その苦難を耐え忍び、その苦難を乗り切っていったのでしょう。
そのときの、自分自身を、自分自身叱咤し、自分自身激励する言葉が、“薔薇のつぼみ(ローズ・バッド)”だったのだろう、と、思うのです。
ケーンは何度も苦境に陥りながら、最期には妻や友人たちにも見放されながら、それでもなお、みずからの幸運と、みずからの力を信じて、“薔薇のつぼみ(ローズ・バッド)”と、つぶやいたのでしょう。
“負けてたまるか。俺はケーンだ。俺はかならず、ふたたび立ち上がる。こんなことで、死んでたまるか”
臨終の間際にあっても、ケーンはそう云って自分を鼓舞し、けっして、絶望しなかったのです。
どんな苦難に際しても、たとえ妻や友人に去られ、会社は倒産し、世論の囂々たる批難を浴び、零落の淵に沈もうとも、みずからの力を信じ、みずからの幸運を信じ、けっして逆境に屈しない強さ、その強さを保持している人物こそが、アメリカ合衆国民の理想とする「市民」なのでしょう。
この映画のタイトルが、『偉人ケーン』でも、『巨人ケーン』でもなく、『市民ケーン』である所以は、その点にこそ、あると思います。

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| 映ちゃん | 気まぐれシネマ・デイズ | 03:51 | - | - |
ルパン三世と云えば……
ルパン三世と云えば、日本が世界に誇るアニメ・シリーズである。
その熱烈なファンは、ただに日本国内のみならず、広く世界の各国に存在している。
そのルパン三世の、TVスペシャルシリーズ第2作に、『ルパン三世 ヘミングウェイ・ペーパーの謎』と云う作品がある。1990年の7月20日に、日テレ系の『金曜ロードショー』で放送された。
その冒頭の場面で、ルパンが次のようなセリフを云っていた。
「世ぉの中、情報化社会、情報化社会、なんつってけどもよぉ、本当に必要な情報なんてのは、ホンの、一握りだけなんだよぉ」
インターネットの普及によって、得られる情報量は格段に多くなった。
しかし情報量が多くなっても、それがただちに、情報の質が良くなることには結びつかない。
量の大小増減は質を規定しない。
情報量の多さは質の面から云えば、混沌をもたらす。
或る情報と真逆の情報が、それと正反対の情報と同じ確からしさをもって述べられている。
そこで、玉石混淆する情報の中から、真に必要な情報、真に真たる情報を抽出する能力が必要になってくる。
情報を分析綜合して或る意見を形作るのは、それからである。
さらに意見にとどまらず、一定の見解を得るためには、相当な思惟上の訓練を要する。
哲学は、副次的な効果であるとは云え、その訓練のためには、非常に有効である。と、云うよりもむしろ、哲学の学習こそが、思惟を訓練する唯一の方法である、と、云っても、過言ではなかろう。
哲学の学習すなわち思惟の訓練、ではないにしても、である。
| 哲ッちゃん | コラム―哲学もどき | 15:23 | - | - |
セオドア・ルーズベルト 1
セオドア・ルーズベルトは、日露戦争において、日露両国の間を調停してポーツマス条約を締結せしめるのに功あった。その功により、一九〇六年に第六回のノーベル平和賞を受賞している。太平洋戦争時の大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトは、彼の従兄弟である。
セオドアが日露戦争の仲介をして日本に好意的だったのに、その従兄弟のフランクリンが大統領のときに、日米が開戦のやむなきにいたったのも、歴史の皮肉と云うべきだろうか。
セオドアのほうのルーズベルトは、『忠臣蔵』の英訳を愛読していたと云う。
| Woody(うっでぃ) | ちょっと一言 | 11:43 | - | - |
週末のひとり昼食(弁当)
麦飯(ピリ辛らっきょう)、えのきベーコン巻き、ほうれん草のじゃこあえ


えのきベーコン巻は、初チャレンジである。
どんな味になっていることか、一抹の不安がある。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:42 | - | - |
週末のひとり朝食
トースト(5枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、ポタージュ・スープ、いちごヨーグルト、野菜ジュース、インスタント・コーヒー、バナナ
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:39 | - | - |
夜型から朝方へ
若い頃は夜型だった。徹夜も(遊びでなら)平気だった。
その代わり、昼によく寝た。休日など、正午前に起きることが珍しいくらいだった。
その頃10時台に電話に出ようものなら、掛けてきた相手が吃驚したものである。
齢のせいか、朝方に変化して久しい。
頭脳も身体も、朝のほうがシャッキリして、冴え冴えしている。
やる気力も、POWERも、アイディアも、文章も、湧くが如くに生じてくる。
年寄りが朝早く目覚めるのが、分かるような気がする。
徐々にだが、しかし確実に、自分の体質も、そのように変化していっているのだろう。
| Woody(うっでぃ) | 気まぐれなブログ | 09:25 | - | - |
変り映えせぬひとりめし(晩)
玉子麦飯(天かす入り)、飛脚玉(乾燥わかめ、えのき入り)、豚肉としめじのすき煮、小松菜と厚揚げの煮浸し、カボチャの煮物、高菜、納豆、もずく、味付海苔


やはり、豚肉としめじのすき煮は、6食分はありそうである。
旨くはないが、不味くもない。ただ、人には勧められない。
他人に勧められるようになるまでには、まだまだ修行を積まねばならぬ。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:44 | - | - |
変り映えせぬひとりめし(昼-弁当)
麦飯(焼鮭荒ほぐし)、豚肉としめじのすき煮、ほうれん草のじゃこあえ
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:42 | - | - |
変り映えせぬひとりめし(朝)
トースト(5枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、コーンクリーム・ポタージュ、ブルーベリー・ヨーグルト、野菜ジュース、インスタント・コーヒー、(写ってないけど)バナナ
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:39 | - | - |
いつもながらのひとり晩飯
玉子麦飯(天かす入り)、飛脚玉(えのき、乾燥わかめ入り)、豚肉としめじのすき煮、小松菜と厚揚げの煮浸し、カボチャの煮物、ハリハリ漬け、納豆、もずく、味付海苔


昼飯の際、豚肉としめじのすき煮について、「嵩が多い。昼食、晩食×2日分ある。」と、記したが、実際には6食分くらいはありそうである。
つまり、昼飯、晩飯×3日分はいけそうである。
3日くらい同じものが続いても、飽きることはない性格なので、それはそれで、ありがたいことである。
問題は、写真の写りが悪いことである。知らぬ間にレンズを触って、汚していたものと見える。それとも技倆が悪いのか? ダウンロードしたアプリに問題があるのか? いずれにせよ、困ったものである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:45 | - | - |
いつもながらのひとり昼食(弁当)
麦飯(わさびふりかけ)、豚肉としめじのすき煮、ほうれん草のじゃこあえ


豚肉としめじのすき煮とは言い条、他にも、玉ねぎ、舞茸が入っているため、嵩が多い。
昼食、晩食×2日分ある。重宝なおかずである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:41 | - | - |
いつもながらのひとり朝食
トースト(5枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、ポタージュ・スープ、野菜ジュース、インスタント・コーヒー、バナナ
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 12:38 | - | - |
節分のひとり晩飯
玉子麦飯(天かす入り)、飛脚玉(えのき、乾燥わかめ入り)、ブリの生姜煮(2切)、小松菜と厚揚げの煮浸し、カボチャの煮物、野沢菜漬け、納豆、もずく、味付海苔


世間は節分らしいが、ひとり暮らしの自分には関係ない。
ブリの生姜煮が薄味だったのは意外である。いつもは品の如何にかかわらず、濃いめの味つけになるのだが……。
まぁしかし、薄味のほうが健康には好い。
小松菜と厚揚げの煮浸しも、カボチャの煮物も、さして辛くはなかった。
いささか味つけの加減が分ってきたものと見える。
もっとも、今日の品の中でいちばん美味だったのが、野沢菜漬け、と、云うのが、情けないような、納得できるような……。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:25 | - | - |


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