2014.09.12 Friday
武人の魂
議場は緊張に包まれ、寂として声も出なかった。
賛成・反対、当初はそれぞれの立場から野次を飛ばしていた議員たちも、いまは固唾を呑んで、ふたりの応酬を見守るだけだった。 「浜田君の発言は、国民一致の精神を害するから、ご忠告を申し上げる」 そう云って壇上を降りる寺内陸相の満面は、朱を注いだように紅潮し、その声音は抑えきれぬ憤りに震えていた。 浜田君、と、寺内陸相に呼ばれたその男は、政友会所属の衆議院議員、浜田国松である。 このとき齢七十。かつては衆議院副議長を務めた長老である。 寺内陸相を激昂せしめたその演説は、このようなものだった。 「軍部は近年、みずから呼称して、わが国政治の推進力はわれらにあり、乃公出でずんば、蒼生を如何せんの慨がある。五・一五事件然り、二・二六事件然り……」 ときあたかも二・二六事件の勃発によって岡田啓介内閣が桂冠し、広田弘毅内閣が発足した直後の議会においてだった。 軍部が政治に容喙し、この広田内閣においても、軍部は二・二六事件と云う大事件を惹起しておきながら、 「二・二六事件後の粛軍については、政治家もまた自粛自戒をもって協力すべきである」 と、称して、軍部の意に添わない閣僚の就任を拒絶したいきさつがあった。 昭和天皇をして、 「朕が軍隊を私にみだりに動かし、朕が信頼せる重臣を殺戮するとはなにごとか。かかることをなすは、朕が首を真綿にて絞むるにひとしい。陸軍大臣はすみやかにこれら暴徒を鎮圧せよ。陸軍大臣に出来ぬとあらば、朕みずからがこれを平定せん」 とまで激昂せしめた事件を惹起しておきながら、それでもなお軍部は、 「あのような事件を起こしたのは悪かったが、そもそもあんな事件が起こったのは、政治家や財閥、役人たちが悪いからだ」 と云う考えだった。 増長極まれり、の感がある。 浜田氏の演説は、その軍部の専横を鋭く剔抉した。 「……独裁強化の政治的イデオロギーは、つねに滔々と軍の底を流れ、時に文武恪循の堤防を破壊せんとする危険あることは、国民の等しく顰蹙するところである」 この浜田議員の演説に、陸相寺内氏がいきりたった。 待ちかねたように発言を求めると、 「先刻来の浜田君の演説中、軍人に対して、いささか侮辱するような言辞のあったのは、遺憾である」 と、述べた。 それに対し浜田氏は、 「いやしくも国民の代表たる私が、国家の名誉ある軍隊を侮辱した……という喧嘩を売られてはあとへはひけませぬ」 と、応じた。 寺内陸相も負けてはいない。 冒頭に引用した発言が飛び出す。 「浜田君の発言は、国民一致の精神を害するから、ご忠告申し上げる」 これに対し、浜田氏の曰く、 「……国民一致を思えばこそ、軍部の言動について、陸相にご注意申し上げたのだ」 そして、歴史に残る名言が口をつく。 「だいたい、僕がはたして、軍部を侮辱した言葉を吐いたかどうか、速記録をお調べ願いたい。もし、それがありとせば、僕が割腹して君に謝る。だがなかったならば、君、割腹せよ!」 議会史に有名な、“腹切り問答”である。 寺内陸相は直後の閣議で、 「政党を反省させるため、衆議院の解散を要求する」 と、主張して一歩も引かなかった。 他の閣僚や同じ軍人である永野修身海相の説得すら、聞かなかった。 むろん、速記録を調べて、腹を切ろうともしなかった。 浜田氏はその演説中に述べておられる。 「日本の武士というものは古来名誉を尊重します。士道を重んずるものである。民間市井のならず者のように、論拠もなく、事実もなくして人の不名誉を断ずることができるか」 真の「武人の魂」が、浜田代議士、寺内陸相のいずれに存していたかは明らかだろう。 もしこの稿を、陸軍厭悪のゆえ、浜田代議士に肩入れするような書き方をしているのだ、と、おっしゃる向きがあれば……、速記録をお調べ願いたい。割腹は求めないから、安心して |