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三木武夫が好きだと云うと……
三木武夫が好きだと云うと、
「あぁ、“クリーン三木”ね」
と、鼻で嗤われることがある。
“口先だけの評論家”、“言うことは言うが実行できない”、“キレイごとばっかりで、現実を知らない”……そう云った意味を込めての冷笑嘲笑である。
田中角栄氏に世話になった代議士が、
「田中角栄と云うと、“金権政治家”と云った単純な図式でしか考えることのできない人が多いが、そんな人たちはとても不幸な人だと思っている」
と、云ったことがある。
三木氏にしても、同じである。
三木氏を“クリーン”と云うことだけでしか評価できない人々は、好意をもってのそれにしろ、悪意をもってのそれにしろ、三木氏の本質を見切れていない、と、思うのである。
それでは、その三木氏の“本質”とはなにか、と、問われれば、それはかつて、“バルカン政治家”と称された、そのマヌーバリングの才である。
大自民党のなかでつねに小派閥を率い、それでいながら、各内閣で党の要職、内閣の枢要閣僚の座を占め続けてきた。
戦後直後の片山内閣、芦田内閣は、社会党、民主党、国民協同党の三党連立内閣であったが、社会党党首片山哲も、民主党総裁芦田均も、六十歳近く、それに比して国民協同党委員長三木武夫は、四十歳そこそこだった。親子ほども年齢の違う二人と共同し、戦後の困難な政局を切り回した。
吉田茂自由党内閣時代こそ不遇をかこったものの、次の鳩山一郎内閣においては、運輸相として入閣、短命に終わった石橋湛山内閣では党幹事長、岸信介内閣では党幹事長から経済企画庁長官、池田勇人内閣では科学技術庁長官、党政務調査会会長、党幹事長、佐藤栄作内閣では外務大臣、田中角栄内閣では副総理・環境庁長官と、小派閥、傍流と云われながらも、かならず、党や内閣の要職に喰い込んでいる。
そこに、三木氏の、言い知れぬ政治上の手腕が看て取れる。
“異能の政治家”と呼ばれた田中角栄氏ですら、
「三木をやり手の年増芸者とすれば、福田も大平も女学生みたいなもんだ。三木がプロなら、福田はアマだ。いま俺と自民党のなかで互角に勝負できるのは、三木だけだろう」
と、三木氏には、一目も二目も置いていた。
三木氏はその権謀術数、マヌーバリングの才を如実に発揮して、田中角栄氏の後の自民党総裁・内閣総理大臣の座を射止めた。
その芸術的とも云える政治的辣腕の妙は、角川文庫、毎日新聞政治部の『政変』に詳しい。
「数が力」の政界にあって、小派閥を率い、類稀なる権謀術数、マヌーバリングの才を発揮して、政界最高峰の与党総裁、内閣総理大臣の座を射止めたその才腕こそ、三木氏の真骨頂が現わされているように思われ、それゆえにこそ、「知恵の勝利」を信じてやまない吾人としては、これを称賛するのである。

政変 (角川文庫 (6596))
政変 (角川文庫 (6596))
毎日新聞政治部
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