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孝明天皇祭の日のひとりめし(朝)
ワッフル(4個)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ


慶応2年(1867年)の今日(旧暦では12月25日)、孝明天皇が崩御なされた。
孝明天皇と云えば、明治天皇の父親である。幕末の風雲の中で、それまで存在感のなかった朝廷が、突如、激動する政治の中心に押し出された時の天皇である。
幕末と云えば、開国に伴う尊王攘夷の風潮が吹き荒れ、朝廷の存在感が高まるとともに、徳川幕府の勢威が没落し始めた時期として印象されている。
しかしそのような時代に天皇であった孝明帝は、皮肉なことに、“佐幕攘夷”とも云うべき考えの持ち主であったらしい。
それはなにも、孝明帝が頑迷固陋であったわけではなく、当時との朝廷としては、きわめて当たり前の考えであった、と、云えるだろう。
しかしそのような孝明帝の存在が、朝廷の権威を担いで倒幕を志向していた西郷や大久保、あるいは木戸や岩倉などにとって、快かろうはずもない。
孝明帝崩御の当時から、岩倉による孝明帝暗殺なる伝説が、まことしやかにささやかれているのも、そのためであろう。
もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
政権争奪とも、暗殺とも、まるで無縁の、いたって平和で平凡な献立である。
それにしても、孝明帝崩御のその日、朝廷ではどのような食事が喫されたのであろうか。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 21:58 | - | - |


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