2019.11.29 Friday
弔 中曽根康弘氏
中曽根康弘氏が亡くなられた。享年101歳だった。
かつて「平成の妖怪」と呼ばれたとおりの長寿ぶりだった。 氏は衆議院議員在職中、この「平成の妖怪」をはじめとして、「タカ派」、「風見鶏」などと揶揄され、攻撃されていたものだった。 今回の逝去に際してマスゴミ各社は、「死んだら褒める」の“美風”にしたがって、氏の功績なるものを取り上げて、さかんに褒め称えている。かつての社説論説はどこへやら、まったく見事な風見ぶりである。御本尊の中曽根氏も、草葉の陰で、さぞや苦笑なさっておられることだろう。 その点われわれは志操堅固なもので、遊冶郎などは、 「まさか、また“死んだふり”じゃあるまいな」 などと、不遜の言辞を弄していた。 氏が内閣総理大臣の重責に任じておられた頃、われわれはちょうど思春期・青春期の真只中であった。 「タカ派」、「風見鶏」、「田中曽根内閣」、等々と評判芳ばしからぬなか、われわれはわれわれで、「すだれ総理」あるいは「バーコード総理」の異名を奉っていた。 また、 「総理、あなたには人望のなかそうね」 などと、お国訛りで揶揄っては悦んでいたものである。 もっとも、いずれも、ご本人の耳には届いていなかっただろうが。 さて、そんなわけで、ここでは氏にまつわる逸話をご紹介して、われわれなりの哀悼の表現としよう。以前にこのBlogでご紹介したものだが、そこはご寛恕願いたい。 ■「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」とは、立居振舞いのそれをも含めた美人を形容する、古くからの言葉である。 吉田茂が総理大臣だった頃、野党民主党の代議士としてその政策に痛烈な批判の矢を放っていたのが、中曽根康弘である(当時は、“緋縅の若武者を思わせる”と評されたものである)。 あるときの国会で、彼は吉田茂の対米追従外交を批判して云った。 「吉田首相の対米追従外交は、日本の若者たちに良からぬ影響を及ぼしている。現在の日本の若者たちを見れば、『立てばパチンコ、座れば麻雀、歩く姿はヘイ、マンボ!』ではないか」 註:当時、パチンコは立ってやっていた。 ■その中曾根氏が、晴れて首相の印綬を帯びた。 「晴れて」と云ったのにはわけがある。彼は佐藤栄作氏が首相を辞めたときに後継候補のひとりと目されたのをはじめとして、その後の首相交替のときには、必ずその後継候補として名前があがった。 しかしそのつど、「まだ早い」、「先を急ぐな」、「時機を待て」、「ここは○○にやらせろ」と、長老実力者たちに抑えられてきたのである。 その中曾根氏が、長い念願かなって総理になったとき、彼はその胸中をこう語った。 「♪いつも、わたしが、待ぁたぁされたぁ〜」 |