ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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 注)タイトルに「*」のついた記事は「ネタバレ記事」です。ご注意ください。
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黒澤&三船+……
クロサワと云えばミフネ、ミフネと云えばクロサワ……。
と、云うくらいであるから、三船さんのデビュウ作が、黒澤監督による『酔いどれ天使』である、と、誤解されているのも、やむを得ないかも知れない。
しかし、三船敏郎さんのデビュウ作は、黒澤監督の先輩にして親友である、谷口千吉監督の『銀嶺の果て』である。
その間のエピソードが面白い。
谷口監督はその頃、『銀嶺の果て』に出演させる三人組の銀行強盗役のひとりのキャスティングに行き詰っていた。
その役は、若く、猛々しく、いかにもふてぶてしい男でなければいけなかった。
線の細い“二枚目”ばかりの俳優たちのなかに、谷口監督の思い描くような男はいなかった。
或る日小田急線の車内で、谷口監督は、思い描くイメージにぴったりの男を見かけた。
「あれだよ、ああ云う男が欲しいんだ」
傍らにいたプロデューサーにそう云うと、
「ああ、あの男なら、うちの新人だよ。でもありゃダメだよ。面接試験のときに、『数人くらいなら、喧嘩しても、コテンパンにしてやります』
なんて、云ってたヤツだからな。
ありゃダメだよ。途中でいなくなっちゃうよ」
それが、三船さんだったのである。
「男のくせにツラで飯を食うのは嫌なんです。ぼくは撮影部の空きを待っているだけなんです」
と云う三船さんを、谷口監督は必死に口説き落とした。
「どうだい、会社がいくら出すか分らないが、この映画に出てくれたら、出演料とは別に、背広を一着、プレゼントしようじゃないか」
戦後直後の時代である。当時三船さんは、除隊時にもらった毛布をご自分で手縫いされておつくりになられた服を着ておられた。
背広一着に心を動かされたわけではないだろうが、三船さんは『銀嶺の果て』へのご出演をご承知なされた。
その三船さんが、どうして黒澤さんの映画にご出演なされることになったのか、そのへんの経緯について、谷口監督はおっしゃっておられる――、
「黒澤なんてヒドイんですよ。ぼくが『銀嶺の果て』で彼を使うと決めたときに、
『千ちゃん、バカだなぁ、大事な初監督の作品に、あんな得体の知れないヤツを使うなんて』
って、云ってたくせに、撮影が進むにつれて、三船ちゃんに惚れこんでしまって、
『なぁ千ちゃん、あれ(三船さん)、いいなぁ。こんどあれ、貸してよ』
なんて云って、持ってっちゃって、いまだに返してくれないんだから」
と、笑っておられた。
もし黒澤監督が、旧友であり、恩人でもある谷口氏に遠慮していたら、“世界のミフネ”は存在しなかったかもしれない。
いや、“世界のミフネ”は存在していても、“世界のクロサワ”は存在せず、その代わり、“世界のタニグチ”が、存在していたかも知れない。
そんなことを微塵も感じさせず、黒澤さんと三船さんのご活躍を、嬉しそうに目を細めて語られる谷口千吉氏の映画は、残念ながら拝見したことはないが、きっと、素晴らしい作品に違いない、と、このエピソードを知れば、みな思うに違いない。
| 映ちゃん | 人物往来 | 09:38 | - | - |
『王様と私』
はい、みなさん、こんばんは。
今日は、『王様と私』、この映画のお話、しましょうね。
『王様と私』、これは、もともとは、ブロードウェイのミュージカルとして、発表された作品ですね。
ブロードウェイのミュージカルとして発表されて、ブロードウェイの舞台で上演されて、それで、それがあんまりにも素晴らしかったので、これを映画にしよう、映画にしよう、云うて、映画化されたのが、この、『王様と私』ですね。
これが映画になる前、ブロードウェイの舞台で上演されてたとき、王様の役を演じていたのが、ユル・ブリンナーですね。
このユル・ブリンナーが、とっても素晴らしかったので、映画にするときでも、あの王様はユル・ブリンナーじゃなくちゃいかん、ユル・ブリンナーこそ、あの王様だ、なんて云って、映画でも、この王様を、ユル・ブリンナーが、演じることに、なったのね。
それで、この王様になったユル・ブリンナーが、その演技が、とっても素晴らしかったので、ユル・ブリンナーは、この映画で、1956年(昭和31年)のアカデミー主演男優賞を獲得しました。
まぁ、ほんとうに、ユル・ブリンナーの王様か、王様のユル・ブリンナーか、そんなふうになったのね。
そんなわけで、ユル・ブリンナー、この王様役で、いっぺんに有名になったんだけど、さぁ、困ったことができた。
それは、ユル・ブリンナーは、この王様役を演るのに、東洋の、いかにも、東洋風の、そんな、エキゾチックな雰囲気をだそうとして、頭を、ツルツルに剃ったのね。
頭をツルツルに剃って、スキン・ヘッドにして、いかにも、東洋風な、王様の雰囲気をだそうとしたのね。
それが受けて、大いに受けて、みんなが拍手喝采して、そのツルツル頭、スキン・ヘッドが、とうとう、ユル・ブリンナーの、トレード・マークになっちゃったのね。
それでとうとう、ユル・ブリンナーは、髪を生やせなくなったのね。毎日毎日、お風呂で、自分で、頭の毛を剃って、ツルツルにしてたんですね。
それで、ユル・ブリンナーと云えば、ツルツル頭、ツルツル頭と云えば、ユル・ブリンナー、それくらい、有名になったのね。
その、ユル・ブリンナーを有名にした『王様と私』、これは、本当にいた王様、昔のシャム、現在のタイに、実在した王様を、モデルにしてるのね。
その王様は、ラーマ4世と云って、まぁ、マーガリンみたいな名前だけど、これがとっても、すごい王様なの。
この人は1851年から1868年まで、タイの王様だった人なんですね。
1851年と云えば、中国では洪秀全の太平天国の乱が起こり、フランスではルイ・ボナパルト、後のナポレオン三世がクーデターを起こして、日本では2年後に、ペリー提督の率いるアメリカ合衆国艦隊、いわゆる黒船が来た頃なのね。
そして1868年と云えば、日本は王政復古して、明治維新政府が出来た年なのね。
まぁそんな物騒な時期、そんな大変な時期に、この人は、国王だったのね。
それで、世界的にそんな物騒な時期に、この人は、タイも、いつまでもこのままじゃいかん、西洋文明のよいところを採り入れて、国を新しくしなくちゃ、なんて思って、イギリスと通商条約を結んで自由貿易を進めたり、仏教を近代風に改革したり、農商業を励行して生産を増やしたりしたのね。
そんな改革のなかで、これからは、王子や王女たちにも、西洋風の教育をしなくちゃならん、云うので、イギリスから、家庭教師を招くのね。王子や王女たちの教育を委せる、家庭教師を、イギリスから雇うの。
そうしてやってきたのが、アンナ・レオノーウェンズ云う人なのね。
この人がそのときのことを小説に書いた『アンナとシャム王モンクット』と云うのが、ミュージカルになって、『アンナとシャム王』になって、これが、シャム王の、ユル・ブリンナーが、あんまり素晴らしいので、最初は、家庭教師のアンナが主人公だったんだけれども、ユル・ブリンナーがあんまり素晴らしいので、主人公が逆転して、王様が主人公になっちゃって、『王様と私』になって、ついにとうとう、映画にまで、なったんですね。
この『王様と私』の場面で、すごく好きな場面があって、それは、王子や王女たちに、アンナが、雪のことを教えてるの。
アンナは、王子や王女に、雪のことを教えるんだけど、ここは、タイの国、熱帯の国、そんなの、見たことない、そんなの、聞いたことない、みんなそう云うのね。
王子や王女は、まだこの先生に、アンナに、反撥してて、この先生を困らせてやろう、そう思ってるのね。
それで、
「先生は嘘つきだ、先生は嘘つきだ、そんな白いのが、空から降って来るもんか」
教室が騒然となって、アンナが困ってるとき、王様が入って来るの。王様が、ユル・ブリンナーが、さて、子どもたちはちゃんと勉強してるかな、なんて思って、教室に入って来るの。
そしたら、教室が騒がしい、王子や王女が騒いでる、アンナが困ってる、いったいどうしたんだ、訳を訊いてみると、
「お父さん、お父さん、アンナは嘘つきだよ、アンナは嘘つきだ。空から白いものが降って来るって云うんだ。そんなの嘘だよね」
云うんですね。
王様が、ユル・ブリンナーが、アンナに訊いてみると、
「雪のことを説明してたんです……」
云うんですね。
すると、ユル・ブリンナーは腕を組んで、
「雪か。ウン、昔、若い頃に見たことがある。山の上にある、白い帽子のようなものだった」
云うんですね。
そしたら子供たち、王子や王女たちが、
「ほら、やっぱり先生は、アンナは嘘つきだ。そんな山の上にあるもんが、降ってきたりするもんか」
騒ぐんですね。
そしたら王様が、ユル・ブリンナーが、
「静かにしなさい」
云うて、王子や王女たちを、叱るんですね。
そして、
「知らないことを学ぶからこそ、学ぶんだ。知ってることだったら、学ぶ必要はない」
云うんですね。
いいセリフですね。
学ぶこと、知ること、教えてもらうこと、そのことに、どれだけ謙虚になってるのか。
知ることはすばらしいこと、とっても、ステキなこと、いままで自分が知らなかったことを知ること、それがどれだけ素晴らしいことか、素敵なことか、それを教えてくれるのは、どれだけありがたいことか。
いまの日本の教育は、この根本がないんじゃないか、そんな風に思いますね。
この場面の後で、いかにもミュージカルらしく、ユル・ブリンナーの歌が始まるんですね。
その歌は、
「いままで自分が信じてきたことは何だったのだ。いままで自分が信じていたこと、それが覆ってしまった。しかし、いままで自分が信じていたことの方が間違いで、いま教えられたことのほうが正しいように思われる。いままでのわたしはなんだったのだ」
云うんですね。
これはすばらしいですね。いままでの自分は間違っていた、と、認める、勇気がありますね。新しいことを学ぼう、知ろう、とする、度胸がありますね。
素晴らしい場面ですね。
そして、この王様は、イギリスと通商条約を結んで、イギリスからアンナを家庭教師に招いて、いかにも西洋風な王様なように思われますけど、心の底には、やっぱり、昔風の、タイの、東洋風の、考えが、残ってるんですね。
そんな王様を、なんとか、西洋風の、文明的な王様にしたい、アンナは、この王様を、だんだん、だんだん、好きになっていって、そんな風に思うように、なるんですね。
そこで、アンナは、この王様を、ダンスに誘うんですね。
ダンス、と、云っても、社交ダンス、そんなんじゃないの。
とっても素晴らしい、本当に、いかにも人間らしい、本当に素敵なダンスなんですね。
「思い浮かべてごらんなさい。
 星々がまたたく、静かな夜。
 あなたの腕に抱かれたいと思う女が、精一杯美しく着飾って、あなたの前にいる。
 あなたは正装して、彼女を迎えている。
 聞こえるでしょう? 胸の高鳴りが。
 あなたは優しく彼女の肩に手をまわし、
 彼女はあなたの腰に手を添える。
 さぁ、踊りましょう。
 ふたりで愉しく、踊りましょう」
そうして、あの有名な、“Shall we dance”のメロディーが流れるんですね。
このダンスが、素晴らしいのね。
アンナは、イギリスの上流の婦人。ダンスの作法も礼儀も知ってる。
でも、王様は、古い、古い、シャムの王様。
王様はステップもターンも知らない、力強い、野性的な、バーバリズムそのもの、それでも、音楽に合わせて、いかにも、愉しそうに、ダイナミックに、踊るんですね。
そして、踊ってるうちに、なんとも云えん愉しい気分になって、とっても素敵な気分になって、
「あぁ、これが、西洋文明だ。これが、西洋文明の、すばらしさだ」
なんて、思うんですね。
イイですね。素晴らしい場面ですね。
堅苦しい学問、歴史とか、物理とか、化学とか、数学とか、文学とか、そんなんじゃなくて、音楽、ダンスで、西洋の文化の、いちばん大事な、いちばん素晴らしいところ、人間は、みんな同じ人間なんだ、王様も、家庭教師も、西洋の人間も、東洋の人間もない。人間はみんな同じ。男も、女も、王様も、農民も、商人も、貴族も、みんな、みんな、音楽聴けば、愉しい気持ちになって、仕合せな気分になって、みんなウキウキして、踊りだしたくなるんだ。それはとっても、すばらしいことなんだ。それを解らせてくれる、とっても、すばらしい場面なのね。
この映画の最後、ラスト・シーン、ユル・ブリンナーの王様は、病気になって、床に着いて、もうダメ、もうダメ、いよいよ、この王様も、息を引き取る、そんな最後のシーンに、この、ユル・ブリンナーの王様は、長男をベッドの傍に呼び寄せて、
「これからはおまえが王様だ。おまえの思ったとおりにやりなさい」
なんて、遺言するのね。ユル・ブリンナーの王様はまだ生きてるけど、そう云うのね。
そしたら、この、新しい王様、ユル・ブリンナーの王様の長男が、新しい王様だ、これからはこの人が王様だ、云うんで、兄弟姉妹が、みんな、跪くのね。
跪いて、この新しい王様、自分たちのお兄さんに、敬意を表すのね。
自分たちのお兄さんだけど、王様だ、王様だから、敬意を表して、跪かなきゃならない、みんなそう思って、跪くのね。
そしたらこの王子は、新しく王様になった、この王子は、アンナから、西洋風の教育を受けてるから、そんなのおかしい、そんな、兄弟姉妹が、同じ兄弟姉妹に跪くなんておかしい、そう思うのね。同じお父さん、お母さんから生まれた、同じ兄弟姉妹じゃないか。
一緒に遊んで、一緒に勉強して、一緒に泣いて、一緒に笑って、一緒にいた兄弟姉妹じゃないか。
なのになんで、その兄弟姉妹を、跪かせなきゃいけないのか。
でもそれが、昔からの、タイの、風習、しきたりなのね。
新しく王様になったその子は、ベッドの上で、病気になって、死にそうになってるお父さん、ユル・ブリンナーのほうを見るんですね。
そしたら、ユル・ブリンナーは、死にそうになりながら、死の床から、
「これからは、おまえが王様だ。おまえが思うようにやりなさい」
云うのね。
そしたら、その新しい王様、まだ幼い、その王様は、
「みんな、立つんだ。跪く必要なんてない。
 ぼくらは同じ人間じゃないか。
 同じ人間が、同じ人間に、跪く必要なんてない」
そう云うんですね。
そう云って、ふっと、お父さん、死にかけてる、ユル・ブリンナーのほうを見るんですね。
やっぱり、ちょっと、気になってるんですね。
そしたら、ユル・ブリンナーは、いかにも、満足したような、いかにも、嬉しげな表情を浮かべるんですね。
アンナも、傍にいて、いかにも、嬉しそうに、微笑んでるんですね。
そうして、王様は、この、ユル・ブリンナーの王様は、静かに、息を引き取るんですね。
そんなわけで、この『王様と私』、この映画は、ミュージカル、ミュージカルの傑作だけど、それだけじゃなくて、とっても素晴らしい映画、とっても素敵な映画、とっても、とっても、素晴らしい、とっても、とっても、素敵な映画ですよ。
そんなわけで、この素晴らしい映画、この素晴らしいミュージカル映画、1956年(昭和31年)の、『王様と私』、ぜひ、ごらんなさいね。

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| 映ちゃん | 今夜もしねま☆と〜く | 09:18 | - | - |


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