ろ〜りぃ&樹里とゆかいな仲間たち

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おむすびの日のひとりめし(晩)
玉子麦飯、粕汁(鮭、鰯のつみれ、焼麩、大根、人参、白菜、白葱、蒟蒻、ニラ、もやし、貝割、薄揚げ)、菠薐草としめじと薄揚げの煮浸し、カボチャの煮物、冷奴、納豆、味付海苔


さすがに食べ過ぎであろう。昨晩などは、どうにも腹が減っておらず、晩食を食べるのに難儀した。めずらしくも、贅沢な話である。
ものの本によると、朝食、昼食、晩食、の、比率は、3:4:3、が、望ましい、と、のことである。
わたいの場合、明らかに、晩食に比重がかかりすぎている。日本のおおかたの家庭も、ご同様だろう。朝と昼の比率は同じくらいだと思う。
では、晩食のなにを減らすか、が、問題であるが、品数(種類)は減らすわけにいかない。無理してなんとか減らせるとしたら、カボチャの煮物くらいか。
と、したら、1品1品の内容を減らすしかない。しかしご覧のとおり、冷奴、納豆、味付海苔は、減らしようがない。ミニ豆腐半分、などと、いくらなんでもせせこましすぎる。
菠薐草や小松菜などの青菜類は、これでもまだ過少である。
と、すると、ごはんと粕汁の具を減らすしかない。そう思って、減らしているつもりなのだが、実際料理ってみると、どうも多めになってしまう。困ったことである。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:07 | - | - |
おむすびの日のひとりめし(昼-弁当)
麦飯(みそかつおにんにく)、ブリの煮つけ、菠薐草としめじと薄揚げの煮浸し


ブリの煮つけを料理ったのも、ひさしぶりである。地口ではない、念のため。
料理ろう料理ろうと思いながら、ついつい目先の値段に誘惑されて、廉きに傾いてしまっていたのである。
一時期凝っていただけあって、久しぶりに料理っても、大きく失敗する、と、云うことはない。ただ、あまり濃い味にならないよう気を配ったせいか、味がやや抑え気味になった。そのわりに砂糖が多かったのか、ちょっとべたつく感じがする。やはり砂糖は控えめのほうがいい。あるいは、砂糖をやめて、みりんだけにしてみようか。
ちなみにわたいは、砂糖とみりんを併用することはない。別に、栄養学の面から見た 、なんらかの理由に基づいているわけではない。ただたんに、実家がそうだったから、と、云うだけの理由である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:04 | - | - |
おむすびの日のひとりめし(朝)
トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ(2本)、みかん(2個)


今日は“おむすびの日”であるそうだ。
Wikipediaによると、“JA等でつくる「ごはんを食べよう国民運動推進協議会」が2000年11月に制定”したのだそうである。“阪神大震災ではボランティアの炊き出しで被災者が励まされた”のが、その由来なのだそうである。
なるほど、迅速簡便な食品(いわゆるファスト・フード)にして、栄養バランスに秀でたもの、と、云えば、やはり、おにぎりに止めを刺すだろう。
散作によれば、生島治郎氏の『幕末ガンマン』と云う作品のなかで、高杉晋作がサンドウィッチを評して、戦のときにはおにぎりより便利かもしれん、と、云う件があるそうである。なるほど、当時としてはおにぎりの具も少なかったであろうし、初めての物珍しさから、そう思っても無理はなかろう。
しかし現在では、実にさまざまな食材がおにぎりの具として使用されており、このあたりに、洋の東西時の古今、人種民族伝統習慣の相違を度外視して、よきものは進んで取り入れ、自己流にアレンジして吸収する、日本人のよきところがあろうと思われるのである。
近年、そんなよき日本人の心魂を忘れ棄て去って、特定民族を侮蔑嘲弄してはばからない輩が跳梁跋扈しているのは、まことに遺憾である。
そんな輩に、日本人ヅラして欲しくないのだが、悲しいかな、事実日本人なのだから、如何ともしがたい。
もっともそのことと、わたいの食卓を飾る献立とには、なんらの関連もない。
おにぎりとも、日本人の心性とも、まったく関係のない、洋風そのものの献立である。
| ろ〜りぃ | ろ〜りぃの食卓 | 22:02 | - | - |


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